⑦
「ジルリー王子。王子の計画はことごとく裏目に出ているようだ」
スニアラビスの砦での敗戦の報は、カンの王城にも届けられていた。カン王城の王の執務室に喚ばれたジルリーは、そのことでサラロガに詰問を受けていた。サラロガの隣には、無表情で一人の老中が立っている。
「い、忌々しくもビースは、我らがカン・ヨーテス連合軍に暗殺者を忍ばせていたようでございます」
ジルリーは全身恐怖で総毛立っているようだった。
カンの帝王サラロガは非常に恐ろしい男だ。大国カンを自分の思うままにする男は、尊大で、自分以外の人間を、人間とは思っていない節があった。それは友好国の王子であっても変わらない。今、ジルリーを見るサラロガの目は、奴隷でも見ているかのようなまるで感情のないものだった。
「青の書をティナへ運ぶのを妨害するため、偽の金貨を使おうと言ったのはお前であったな。どうやら青の書は、偽の金貨に気付いたヨーテス人の手によって護られたらしい」
サラロガの情報力はなかなか侮れないものがある。ジルリーにもそのことは初耳だった。
「加えてカンの第二軍、ほぼ全勢力を注いだそれが、スニアラビスで壊滅をした。カン軍千二百をスニアラビスに配置するというのも、お前の考えた戦略だったな」
ジルリーの息は、耐えかねるほどの恐怖に、次第に荒くなっていった。それらがサラロガも諸手を上げて賛成した策だなどとは、思っていてもとても口には出せない。あとは、これから導き出されるサラロガの処罰が、できるだけ軽いものであることを祈るばかりだ。
しかしサラロガは真綿で首を絞めるように、ジルリーに恐怖を与え続けた。
「ジルリー王子であれば、このような愚か者にはどのような処罰を下されるか、お伺いしよう」
ジルリーはどう答えれば罰を軽くできるか考えを巡らせた。
しかし考えれば考えるほど、ジルリーの立場は絶望的に思えた。
重い処罰を提案すればそれまでだろうし、軽い処罰を提案すれば、ジルリーの判断は常に裏目に出るのだとして、重い罰を言い渡されるだろう。
「答えぬのか? ジルリー王子」
サラロガは語りかけるように優しく聞いた。しかしそれがまたぞっとするほど冷たく聞こえた。
「私でしたら」
急かされたジルリーは、しかしそこで二の句が継げずに黙り込む。あまりの恐怖に、舌の根が凍り付いているようだった。
「ジルリー王子であれば、かような愚か者に慈悲などはかけられまい」
サラロガの言葉に、藁にもすがる想いで法務を担当するカンの老中を見た。しかしサラロガの信任が厚い老中を、カンに入ってからというものジルリーは何かと目の敵にしてきた。老中はまるでジルリーが見えていないかのように、ただ黙して突っ立っている。
「ならば首を切るのがいいか、はたまた燃やすがいいのか、私はそこで迷っておるのだよ」
こともなげにサラロガは言った。ジルリーはいよいよ窮地に立たされた。残された道は三つだ。哀願し、許しを請うか、どうにかサラロガの機嫌を取りなす名案を提示するか、逆に自分の立場を利用し、サラロガを脅し返すかだ。
ジルリーは腹を括った。ジルリーは冷静でさえいれば頭の回る男だ。まず彼はその三つの可能性を瞬時に分析し始めた。
脅し返すというのはまず不可能だろう。サラロガの情報網を鑑みればそれは明らかだ。ジルリーは国でもそれほど人望が厚くはない。「自分が死ねばカンと全面戦争になる」とはならないだろう。恐らくそれをサラロガは知っている。
哀願をすると言うのは、サラロガという男には通用しないだろう。サラロガは間違いなくそういう男だ。無慈悲で、凶悪なのだ。それはジルリーですら嫌気のするほどそうだった。
とすれば残るは、何か自分の命を救う代案を出すことだ。
代案はすぐに思い付くものが一つある。だがそれはできることなら避けたかった。恐らくサラロガはジルリーのその答えを期待して、この詰問を始めたのだろう。法務を司る老中がここに居合わせたのは、恐らく彼がそれを提案したからなのだろう。
そこまで考え付いたジルリーに、ぞっとするような名案が浮かんだ。彼ですらそれを口にすることをためらう程の、非人道的な案だ。
ジルリーは人望のない男だ。だがそのジルリーにして嫌気が刺すほどのサラロガは、恐れられながらも人望がある。十年前の敗戦でも、その後の重い課税でも、その人望は揺るがなかった。
自分には人望はない。向けられるのは嫌悪感や拒否感ばかりだ。ジルリーにはそれが、自分が中途半端なせいであるように思えていた。
ジルリーの口元に笑みが浮かんだ。
「サラロガ、畏れ多いお方。あなたは一つ勘違いをされているようです」
「ほう、勘違いとな」
「はい、左様にございます。今ここにいる私、ジルリーは、ヨーテスのこの度の戦争での全権を委託されております。よって私は個人ではなく、ヨーテス国総意の代弁者に過ぎません。つまり私の犯した過ちは、私自身が負うものではなく、私の国が負うものにございます」
ジルリーの言葉に、サラロガの目はギラリと輝いた。外交相手にその様な変化を見せるなど愚かなことだと、内心ジルリーはサラロガをあざけった。
「つまりジルリー王子は、国としての責任を取ろうと言うのか」
このままではカン・ヨーテス軍は敗戦になる。その可能性が高い。サラロガもジルリーもディフィカの真の力を知らなかったため、そう考えていた。敗戦国にはそれなりの賠償が課される。サラロガは、恐らく隣にたたずむ老中も、その賠償責任をヨーテスに持たせようと言うのだろう。
「ええ、それが当然のことでございましょう。しかしながら、この度の戦争が万が一に敗戦となった場合、ヨーテスにのみ責任があることなのでしょうか? 恐らくそうではないでしょう。悲哀の子は、思っていたよりも大した成果を上げなかった。私は悲哀の子の部隊編成に、疑問を投げかけていたでしょう。シェンダーで八千の魔装兵が失われたのも、私の預かり知らぬものにございます」
「何が言いたい」
そこで話を切ったジルリーに、サラロガが冷たい目線で問いかけた。
「いえ、状況を整理させていただいたまででございます。もしも我らが負けることがあったとすれば、ヨーテスはこの度の戦争での、カンへの賠償額の五割程を引き受けましょう。我らとしても、誠意を見せることに異存はございません」
ジルリーの答えはサラロガを完全に満足させるものだった。サラロガは早くもこれで手打ちにしてやろうと思っていただろう。だが隣に立つ老中は、それでもまだ満足はしていないようだ。ここで老中は負担額の釣り上げを行い、サラロガからの信任をより厚いものとするつもりだろう。老中が口を開こうと一歩前へ踏み出した。そこまではジルリーと老中、二人ともが描いた筋書き通りだ。だがそこからがジルリーの卑しい計画の始まりだった。
ジルリーは何かを言おうとする老中を遮り、「しかし」と言って切り出した。
「私はあなた方の責任が、それではあまりに果たされていないと思うのです」
「何を言い出すおつもりか」
突然反撃に出始めたジルリーに、老中は苦々しげな顔をした。悪足掻きだと思ったのだろう。彼にはこの場を支配する外交力に、かなりの自信があったのだろう。
「私はカンにもまた、誠意を見せていただきたいと思います。しかしそれで我々の賠償額の一部を負担いていただくのでは意味がない。カンとはサラロガ、あなたでございます。私はあなたが煮え湯を飲むことにより、カンの誠意としていただきたく思います。
つまりあなたの大事なものを、私に差し出していただきたい。あなたがそれをできないとおっしゃるのなら、どうぞ私を焼いてください。ただしその場合、カンの賠償額は、全額カンの、いえ、あなたのご負担となるでしょう」
サラロガも老中も、ジルリーの言うことの意図が見えなかった。戦争の賠償額五割とは、国の数年分の収益になる。それと引き替えてもジルリーが欲するものなど、思い付きもしなかっただろう。
「私の大事なものとは、いかなるものだ?」
サラロガは尋ねた。その問いを聞いたとき、ジルリーの顔は不気味に歪んだ。
「例えばその、……」
サラロガに注がれていたジルリーの目が、ちらりと老中の方へ向かった。老中の目が大きく見開かれ、ジルリーは胸に何とも言えない残酷な満足感を覚えた。
サラロガはジルリーの言わんとすることを察し、ジルリー以上に不気味な笑みを漏らした。
「なるほどなるほど。そなたは悪名を広げようと言うのか。しかしこいつは先代の王から我が家に仕える大事な家臣。首をやるにはちと惜しすぎる」
サラロガの言葉に、青くなっていた老中の顔に少し血の気がさす。だがしかし次のサラロガの言葉に、老中の顔は青を通り越し、真っ白にまで染め上がった。
「しかしなるほど。誠意を見せろと言うならば、こいつほど適切な者は他におらぬだろうな。確かにこいつは私にとっては最も大事な家臣だ。だが、そうであるからこそ恐らく、自らこの名誉に名乗りを上げてしまうであろうな」
老中はその言葉で、逃げ場のない袋小路に投げ込まれてしまった。ジルリーはサラロガの言葉を聞き、残酷な笑みを浮かべた。
これでジルリーは老中の口をふさいだ。もう必要以上の賠償を負わされることもないだろう。そして自らの悪名を高めることによって、人々に畏怖という名の尊敬を与えることができる。だがそんなものはほとんどジルリーにとってはおまけのようなものだった。
この戦争に腸が煮えくり返っていたのは、ジルリーも同じだ。自分がこのような目に合うのが理不尽だと思っていた。つまり老中の身はジルリーにとってはただの腹いせだ。腹いせで、老中の人生を台無しにしてやったのだ。
何とも嫌らしいことだった。それはジルリー自身そう思った。しかしそれがまた何とも愉快だった。
「くっくっく、やはりそなたはひと味違う」
サラロガは言う。
「ふふふ、お褒めに与り光栄にございます」
寒気のする笑みを溌剌と浮かべ、ジルリーはそうそれに答えた。




