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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第二章 ~大戦の英雄~
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 青年が軍の前で何かを宣言すると、敵軍からときの声が上がった。アレーの百を殿にして、二千の敵が百二十のティナ軍に向かって襲いかかってくる。敵軍がリリアンたちの隠れる木陰のすぐ脇へ差し掛かる。


「行くわ。狙いは後ろにいるアレーの部隊よ」


 リリアンは言うと、地に手を着ける。溜めておいたマナを魔法に変える。


「水魔よ!」


 信じられない太さの水魔が敵軍を襲う。轟音が林の中までなだれ込む。間髪入れず、木の魔法師らが魔法を放つ。水魔にたじろぐ敵軍を、足下から大木が襲う。立林の魔法だ。虚を突かれた敵軍に、グランたち前衛部隊が斬りかかる。リリアンは手を地に着けたまま、続けざまに次の水魔を放った。狙いは後方、アレーの部隊だ。かなりのアレーが避けられず、餌食となった。


「左だ! 左に敵が潜んでいるぞ!」


 敵の怒鳴る声が聞こえた。するとアレーの部隊から二十人ほどが林の中へと攻めてきた。


 この数なら行ける。


 心の中でリリアンは呟く。

 敵の一人がリリアンたちに気付いた。いたぞと声を上げると同時に、投げナイフをリリアンに向けて放ってくる。リリアンは短い剣を抜いて、それをたたき落とす。


「毒霧」


 仲間のアレーが毒霧を放つ。敵の大地の魔法師が、隆地の魔法でそれを防いだ。リリアンはその隆地が消えない内に樹上へ飛び上がる。数本の小枝がリリアンを打つが、リリアンは意に介さず、太い枝へと飛び乗った。隆地の向こうで、敵の部隊はマナを溜めていた。さすがに林での戦闘を考慮して、敵は全員魔法を使えるアレーだった。

 敵の頭上に氷柱が生まれる。敵は慌ててそれを回避しようと、四方に散った。リリアンは五人が逃れた方に狙いを定め、無数の氷擲を放った。かなりの範囲を氷擲が襲う。難を逃れたのは、たまたま太い木の陰に隠れていた女一人だ。

 たかが氷擲でしかないはずが、リリアンの放ったそれは細い幹ならもろともせずに貫通し、敵の体を穴だらけにした。リリアンはすぐに残った一人の元へ枝から飛び降りた。敵は長剣使いで、それなりの戦士だったのだろうが、林立する木の中で長剣は扱いづらく、リリアンと剣を合わせることもなく斬られた。


 他の方向に跳んでいった敵と、味方の兵士が交戦を始めた。リリアンは休む間もなくそちらへ向かう。木々の合間を舞うように縫い、リリアンは敵兵を次々と葬っていく。九対二十の差が、あっという間になくなった。ティナの兵士も二人倒れたが、戦闘に馴れていない彼らが、よく頑張っていた。無理に敵を倒そうとはせず、リリアンの援護を待った。リリアンの強さは圧倒的だ。短剣を振るった数と、倒れた敵兵の数はそう変わらなかっただろう。


 最後の三人となった敵のアレーは、勝ち目はないと判断し一目散に逃げ出した。林の奥へと逃げた二人は無視し、本隊に戻ろうとしていた一人をリリアンは小さな水魔を作って打ち倒した。


 戦闘は意外にも圧倒的有利に運んでいた。林の向こうでは、グランが大立ち回りをして敵軍を攪乱させていた。リリアンたちの奇襲が利いたのだろう、敵軍はまだ足並みが揃わず、ティナ軍の前衛にほとんど切り込めてはいなかった。何よりも戦闘力の低いティナ軍だったが、ほとんどの人が何かしらの魔法具を身に付けていた。魔法具部隊ほどきっちり身を固めてはいないが、魔法具を付けたアレーに、魔装兵はかなり苦戦をしているようだ。

 敵は退却を始めた。誰が見たところで、ティナ軍の優勢は覆らないと思っただろう。そのため誰も敵のその撤退に疑問を抱きはしなかった。

 グランはもちろん追撃をかけようと号令を飛ばした。しかし後衛を撤退させるために残った敵のしんがりが、予想以上に手堅い守りを見せた。


「どうしてこんな事態になるまで私を起こさなかったんだい!」


 敵軍の後衛から、そんな怒鳴り声が聞こえてきた。次の水魔を放つため、マナを溜めていたリリアンは、そのときふと、嫌な予感に襲われた。それはリリアンにも理由の分からないほど、背筋の凍る予感だった。


「グラン! ただちに撤退よ!」


 リリアンはその直感を信じ、有らん限りの大声でそう叫んだ。ティナ軍はその指示に従って、追撃を止め、敵のしんがりを逃がした。


 その瞬間だった。逃げ遅れた敵のしんがりを巻き込んで、ティナ軍の前方、敵の後衛部隊から、黒い炎が襲いかかってきた。その炎はあまりに大きく、そして速く、細い道に、逃げ場はなかった。

 ティナ軍はリリアンの指示があったため、早くにそれに気付いた。それで林の中や海の崖の向こうへと逃げ出せた者もいた。しかし、そのほとんどは黒炎に呑み込まれた。


 リリアンは信じられない光景に、言葉を失う。全身に重たい絶望感が這いずり回るのを感じた。炎の通り過ぎた後には、帰空の鎧に頭まで身を包んだ者以外、立っている者はいなかった。

 敵軍は再び進軍を開始した。


「リリアン、どうすれば」


 一緒に林にいて難を逃れた奇襲部隊の面々が、リリアンに縋るような目線を送る。


「敵の生き残りはどうされるんで?」

「抵抗してくるようなら殺しなさい。今はそれより先を急ぐわ」


 リリアンの目の前に敵軍が差し掛かったとき、そんな話が聞こえてきた。リリアンは耳たぶをつまみ、仲間に静かにするよう指示を送った。

 リリアンは今まで見たこともないほどの強大な魔法に、ただ誰も抵抗しないように祈るしかなかった。動くことのできた残兵はカン軍が通る道を開けるため、林の中に逃げ込んだ。


 リリアンの頬に涙が伝った。自分がいれば、ティナ軍をこんな事態から守れると考えていた。それなのに今自分は、先を急ぐカン軍をただ見送ることしかできない。

 それは慈悲だったのだろうか、それとも得体の知れない魔法を恐れたためだろうか、敵軍はティナの兵士の屍を踏まずに避け、東南東へ過ぎていった。

 林の中に身を隠していた兵士たちが、リリアンを含め、みな倒れた仲間の元へ駆け寄った。

 リリアンは絶望に支配される頭を必死に働かせ、生き残った人に息のある負傷者の手当を急がせた。

 それから彼女は切り立った崖になっている海側の方へ駆けていき、下を見た。数名の兵士がここから身を投げたはずだ。

 二本の剣を鞘ごとその場に置くと、リリアンは迷うことなく海へ飛び降りた。

 みるみる海が近づく。リリアンはこの海域の水深を知らなかったため、足からではなくあえて背中から水面に落ちた。かなりの衝撃を受けたが、どうにか上手く受け身を取った。辺りには数名の兵士が、自力で近くの礁に掴まっていた。


「これで全員?」


 リリアンは問う。答えたのは、つば広帽を手で押さえながら立ち泳ぎをするキルクだった。


「全員だ」


 キルクはいつになく真剣な面もちでいた。リリアンは仲間の姿を見て、少し安堵を覚えた。


「何とかなるか? とても上まで登っては行けないぞ」


 崖は気の遠くなるような歳月、波に削られていた。そのためそれは、決して登ることはできないだろう、反り返った物になっていた。だがリリアンはキルクの言葉に自信を持って頷いた。


「少し我慢して。みんなちゃんと泳げるわよね?」


 リリアンの問いに誰からも異論は上がらなかった。


「水操」


 リリアンは力を込めて魔法を放った。最初はほとんど何も起こらなかったが、リリアンが込めるマナを増やしていく内、次第に海面が上昇してきた。


「あんなに苦しそうなあいつは初めて見たぞ」


 キルクは近くにいた兵士にそう囁いた。リリアンの顔には飛沫ではないと明らかに分かる汗が、次から次へと吹き出してきていた。せり上がっている海面は、彼女たちのいるごく一部の場所だったが、それでも海を持ち上げているのだ。相当な水量がある。それをかなりの高さの陸地にまで持ち上げようというのだ。さすがのリリアンにも、簡単なことではないようだった。


「大丈夫かよ」


 キルクはそのリリアンを見て、そんな独り言を漏らした。だがリリアンはついにはそれを成し遂げた。陸地が手の届く位置に来ると、兵士たちは次々陸地に上がっていった。最後に残ったリリアンは、崖から手を差し伸べるキルクの手首をしっかり握り、陸地に戻った。

 持ち上げられた海が元に戻るとき、想像以上に大きな音が響き渡った。


 リリアンが海から救い出したのが七名。林に入って難を逃れた人が十五名。帰空の鎧に護られたのが三名。直撃を受けたが、一命を取り留めたのが一名。

 百二十の部隊で、生き残ったのはそのたったの二十六人だけだった。


 この軍を護るために名乗りを上げたというのに、何も出来はしなかった。五十人では足りないと、軍の数を増やさせたのはリリアンだ。結果、百名近い犠牲者を生むことになった。


 リリアンは共に大陸中を旅した仲間、ウィンの亡骸の前で、身を苛む絶望感に体の自由を奪われていた。

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