『呪術の禁忌』①
第二章 ~大戦の英雄~
『呪術の禁忌』
シェンダー陥落の報せを受けたルックは、戦闘での疲れも忘れて、西に向かってなりふり構わず駆けだした。
それを見た仲間たちが制止の声をかけたが、ルックの耳には届かなかった。
嫌な予感がしたのだ。報せを寄越した兵士の話では、シェンダーは壊滅したという。間一髪、敵の魔法を逃れた者はたったの三人で、その内動ける者は彼一人だったようだ。
もし仮に後の二人がシュールとルーンだったとしても、敵軍のすぐそばで動けなくなっているということは、無事でいられる可能性は極めて低い。そして、シェンダーに向かっていたはずのリリアンたちも気になった。
そんなルックの後を赤髪が追う。アラレルが単独行動は命取りになると判断し、ルックを連れ戻そうとしたのだ。しかしあの勇者アラレルが、みるみるとルックに引き離されていく。
ルックは嫌な予感が膨らむにつれ、自分が速くなっていくのに気付いた。鞘を置いてきたため、抜き身の大剣を手に持ちながら、ルックはただただ西を目指した。
後ろを追う勇者アラレルはルックの纏う黒い気配に気付いて、ルックを追うのを諦めた。そしてルーザーの指示を仰ぐため、スニアラビスの砦前へと引き返した。
「あの子は……?」
砦の前に戻ると、薄緑色の髪をした老婆がアラレルに話しかけてきた。先ほどの戦闘で、数十の土像を操り大活躍をしていた戦士だ。かなり取り乱した様子で尋ねてくるところを見ると、ルックと浅くない関係なのだろう思えた。
「ルックには追い付けなかったよ」
アラレルがそう答えるとリージアは肩を落としてうなだれた。そしてかと思うと、突然アラレルの目を見てまくし立て始めた。
「全く、何が勇者アラレルだって言うのよ。私が若い頃だったら、あの子も確かに速いでしょうけど、追い付けなかったなんてあり得ないわ。それとも何? あなたまさかあの子を見捨てたんじゃないでしょうね? そもそもそうよ。あなた彼を一人でシェンダーの細作にやったんでしょう。何か恨みでもあったって言うの? 危険なことだって分からないほど能無しなのかしら。全く情けないわ。これがあのビースの息子だなんて。馬鹿面下げて、全く使えないわ」
ヒステリックに話すリージアに、アラレルはとてもたじろいだ。何をどこから説明していいのかも分からなくなった。
そこへ助け船に入ったのは、副官のルーザーと、長い桃色の髪の女性だった。
「少し弁明させてください。アラレルは何も一人でルックを行かせたわけではありません。ルーンという少女が一緒でした。どういう理由があったかは分かりかねますが、恐らく道中で死んでしまったか、シェンダーに置いてきたかして、一人で帰ってきたのでしょう。スニアラビスは非常に危険な戦場でした。アラレルはルックを大事にしていたので、彼により安全に思われる伝令を命じたのでしょう」
ルーザーはビースが一目を置くだけあって、とても思慮深い口調で話した。
「そんなこと、くどくどと説明してくれなくても分かっているわよ。私はこの勇者がのろまなことに腹を立てているのよ」
分かっているのなら最初から何も言わなければいいのだが、一度ヒステリーを起こしたリージアは手に負えない。それは子供のときよりも確実に悪化しているようで、ルーザーもお手上げだという風にアラレルを見た。
「リージア。それはあんまりでございます。アラレルだとて人間でございますでしょう。戦闘の後の疲れを残していては、追い付けなかったのも仕方なかったのですわ」
桃色の髪の女性ヒリビリアは、息子のアラレルを当然のように擁護した。
「戦闘の後だって言うのはあの子も同じだわ。開国の三勇士の血も薄れたものね」
「それは違うんだ。ルックはちょっと特殊で、仲のいい人が死んだりすると、とんでもない力を発揮するんだよ。ああなったらもう、僕にだって追い付けないよ」
リージアの言葉に、アラレルは咄嗟に反論をした。アラレルの言葉の意味に気付いた三人は、意外そうに目を丸くする。
「ルードゥーリ化をするのか」
ルーザーは呟くように言い、リージアは深く考え込むと、ついには自分の非を認めた。
「そう、それは知らなかったわ。悪かったわね。少し取り乱したわ」
落ち着いた口調に戻ったリージアに、三人はほっと胸をなで下ろした。
「けどリージア、どうしていきなりそこまであの子に固執されたのですか? もちろん感じのいい子ではありますけど、そんなに良く知った方ではないでしょう?」
リージアとルックが出会ったばかりだと知っていたヒリビリアは、不思議そうにリージアに問いかけた。
「ふん、あなたには関係のないことよ。それよりシーシャ! 少し頼まれてくれないかしら」
尊大な口調でリージアは言って、少し離れた位置にいた紫色の髪の女性を呼んだ。
「はい、リージア」
女性、シーシャは従順そうにそう返事をして、リージアの元へ歩み寄ってきた。
「悪いんだけど、あの子の落としていった剣の鞘を拾ってきてくれないかしら」
リージアのその頼みにシーシャは首をかしげながらも従って、すぐに西へと走っていった。
「さあじゃあ、まだ自己紹介もしていなかったわね。私たちは森人の民よ。ビースの依頼でここに駆けてきたのよ」
リージアは大体の事情を二人に話す。
フォルキスギルドのビラスイたちはアラレルも見た顔だった。そのためリージアたちもアーティスの兵なのだろうと思っていた。しかしリージアという名前から、大体のことを予想していたルーザーは冷静に話を進める。
「分かりました。ではリージアたちはこの戦争が終わるまで私たちにご助力いただけるのですか?」
「当然じゃない」
「はい、一応はその予定でございます」
リージアとヒリビリアが続けて答える。
「それではまずビラスイたちを合わせまして、私たちには百名弱の兵力が残っています。あなた方森人は五十名ほどでお間違いないですかね」
ルーザーに問われ、リージアはあたりを見渡した。先ほどの戦闘で敵軍は全滅し、アーティス軍も半数近くが倒れた。森人の民はみな目の技法を持っていたので、あの乱戦の中でもほとんどが生き残っていた。
「そうね。逝ってしまったのは、キュウエイとミラークと、スネアグリスかしらね。けど負傷した子も多いわ。全員は兵力に数えられないでしょうね。まあ、それはあなた方も同じでしょうけど」
「いえ、ところがそうではないのです。アラレル、怪我の酷い人から砦の中庭へ運ぶように指示をしてくれ」
ルーザーがそう命令すると、言われた通りにアラレルは皆へ指示を出しに行く。
「あべこべね。あなたがここの実質のリーダーというわけね」
二人のやりとりを見たリージアは今初めて見たというように、ルーザーの顔をまじまじと見た。
ルーザーは藍色の髪を少し長めに揃えた男だった。右目に比べ左目が少し小さく、左右の目はわずかに違う方向を向いていた。前髪が長く目にかかり、暗い印象がする。ともすればなめられかねない印象の顔立ちだが、引き締まった顔付きからは青臭さは感じられない。
「まあそうですね。こちらには、死んでさえいなければ、大抵の傷を治すことのできる薬があります。ビースはさぞあなた方を脅したでしょうから、きっと伝えていなかったでしょうね」
「ええ、良くお見通しですのね」
ヒリビリアはルーザーの言葉に相打ちを打つ。恐らくビースの巧妙な手腕に内心腹を立てているのだろう。声にはそれを隠そうとしてか、必要以上に力がなかった。
「ふん、そんなことよりも、その薬というのはどのくらいで効いてくるのかを教えてちょうだい。私たちはすぐにでもシェンダーへ向かわなければならないでしょう」
「違います」
ルーザーは丁寧な口調でリージアの言葉に訂正を入れる。
「シェンダーは壊滅したということですので、私たちに出る幕はないでしょう。敵軍もいつまでもシェンダーに留まってはいないでしょうし。私たちが今するべきことは、一刻も早く首都へと戻り、首都の軍勢と合流することです」
「ここに攻めてきた敵兵の残りはどうなったのでしょうか? ルックが二千の軍が攻めてきたとおっしゃっていましたが」
ほとんど情報という物を持っていなかった彼女らは、敵の数が今の四百強に減っていたとは露ほども思わなかった。まず必要なのが、情報の交換だというのは明らかだった。
彼らは三人で持っていた情報を分け合った。
そこに全軍に指示をしていたアラレルが戻ってきて、ルーザーに報告をする。
「ルーザー、報せを持ってきてくれた兵士が、話をできるくらいに回復したようだよ」
報せをもたらした兵士は、腕に重傷を負っていた。彼は敵の魔法により、シェンダーの砦は三名を残して壊滅したと報じると、その場で意識を失った。すぐに治水に入れて回復させていたのだが、どうやらもう意識は取り戻したようだ。
「そうか、何よりだな。それに彼には聞きたいことが山ほどある。リージア。一緒に話を聞いてもらえますか?」
ルーザーはリージアの方を向きそう尋ねた。
「いいえ、遠慮しとくわ。そろそろ私は眠たくなってきたわ。一応この子がこちら側のリーダーなんですからね。ヒリビリアに話してちょうだい。いいわね? ヒリビリア」
リージアは有無も言わさぬ口調でそう言うと、ヒリビリアは自信なさげに頷いた。リージアはそれに少し不満を覚えたようだが、そのまま何も言わずに砦の中へと向かって歩き始めた。
「自由な人だね」
リージアが砦の中へ入り見えなくなると、独り言のようにアラレルが呟いた。それを聞き咎めたヒリビリアは、しかと勇者の目を見つめる。
「口を慎みなさい、アラレル。あの方は畏れ多くもかの光の織り手・リージアなのよ」
ヒリビリアはぴしゃりと言うが、産まれてすぐに手放し、気付けば自分よりもかなり目線の上になったアラレルを見て、たじろぐように目を落とした。




