③
ルックは言うが早いか、踵を返してスニアラビスの砦の方へと駆けだした。ルックの速さについてきたのは、ヒリビリアとシーシャだけだった。ルックはリリアンに教わった体術も使わずに、ぴたりとルックにつける二人の速さに驚きを感じた。
ルックは駆けながら器用に、背負った鞘を取り外し、剣を抜いた。鞘をその場に投げ置き、剣へとマナを溜め始める。
五クラン後、ルックとヒリビリアとシーシャはスニアラビスに到着した。敵軍はときの声を上げ、今まさに砦の中へと押し寄せていた。本当は敵の後ろを突く形が望ましかったが、贅沢は言えない。敵軍の左手からルックは勢いよく近付いていき、二十歩ほどの距離まで達すると、剣を地面に突き立てて、宝石のマナをすべて使い切って魔法を放った。
「地割!」
それはルックが使える最も高度な大地の魔法だ。敵軍の足下の地面が大きく裂けた。敵の軍を横断するほどの大きな裂け目に、数人の兵士がバランスを崩し落ちていった。残った敵は思いのほか多かったが、それでも敵はその足並みを大きく崩した。
すぐさま二十ほどの敵がルックたち三人に襲いかかる。
「二人とも目をお閉じになって! ……光よ」
ヒリビリアが言うと、ルックはすぐに言われた通りに目を閉じた。
ヒリビリアの光の魔法は普通のそれとは大違いだった。太陽のように明るい光が敵軍の方へ投げ込まれる。目を眩まされた敵軍に、シーシャの放った鉄の魔法が襲う。ルックが見たことのない、高温で液状になった鉄を生み出す魔法だ。規模こそ大きくはないものの、光に視力を失い、回避をできなかった十名ほどが大火傷を負う。
しかし二十名のアレーに続いて来ようとしていた敵の数は、ぱっと見では判断ができないほどの量だった。さすがに三人だけではどうしようもない。だがそこにリージアが、五十体ほどの土像を従えてやってきた。
「行け! 土傀儡よ!」
しわがれた声が威勢良く飛ぶ。リージアにわずかに遅れて森人たちが、そしてさらに遅れてビラスイたちが加わった。
砦の中からもときの声が響く。ルックたちに気づいたアラレルたちが牽制のために上げたのだろう。うまい手だと思った。
ルックは青年会で俯瞰から見る戦争を学んだ。敵兵と切り結びながらも二つの自軍と一つの敵軍の状況を正しく把握していた。
敵軍にとって横からの奇襲と前方のときの声はどちらも無視ができない。意識が分散した軍は的確な指揮がなければただの集会でしかない。前にのみ意識を向けたルックの部隊を抑えきれるはずがない。
しかし敵の指揮官は優秀らしい。ルックはすぐに敵が砦への警戒を一部だけ残し、こちらに全意識を向けてくるだろうと思った。
ルックは前線から一歩後退し、近くで戦っていたヒリビリアを呼んだ。ちょうど彼女も手近な敵兵を打ち倒し次の相手へ向かおうとしていたのだ。
「ヒリビリア! 上空から光を降らせられる? 殺傷能力はなくていいから、とにかく目立つ魔法がいい」
ルックの指示を受け、ヒリビリアはすぐにマナを集め始めた。ルックは前線に戻り、頃合いを見て部隊全体に聞こえるよう大きな声を出した。
「士気を上げろ!」
それはヒリビリアへの合図でもあった。色とりどりな光の粒がヒリビリアから上空に向けて放たれた。その光は放物線を描いて敵軍へと降りかかる。敵軍は大混乱に陥った。
それはただの光でしかないが、敵軍は前と横だけでなく、上にまで意識を分散させられたのだ。
ルックはさらに石投を降らせようかと考えた。しかしさすがにそこまでの大立ち回りは敵軍の指揮官が許さなかった。
「やむを得まい。混戦に持ち込め!」
どら声が響いた。キラーズの声だ。敵はその指示に従い、にわかに隊列を崩し、各々で行動を始めた。
砦からもアラレルの軍全軍が躍り出てきて戦闘に加わる。
カン・ヨーテス軍の方が数の上では倍ほども有利だったが、前方と左方からの挟み撃ちはアーティス軍にかなり有利だった。そこへさらに上空からの立体的な魔法攻撃だ。とても一方向にだけ集中することができない。しかし無理に隊列に拘らず混戦に持ち込んでしまえば、お互いの軍が全方位に意識を向けざるを得なくなる。そうなればカン・ヨーテス軍の有利が生きる。混戦では数が第一に重要なのだ。キラーズの判断は速く、的確だった。
ルックは叫ぶように自軍に指示を飛ばした。
「一人が三人の敵兵を倒すんだ!」
こうなってはもう作戦や知略には意味がない。とにかく気持ちだ。数で負けるなら質で凌駕するしかない。そのために士気だけは下げるわけにはいかないのだ。
ルックの軍からときの声が上がった。
そこから先は、ルックはただただ近くの敵を斬っていった。時間はどれくらい経ったか、ルックには全く分からなかった。仲間の状況も定かではない。リリアンの体術があるルックもいつ斬り倒されるかは分からない。むしろまだこうして立っていることが不思議にすら思えた。
視界の端でカミアが斬り倒されるのを見た。また斬り倒した敵兵が、森人の一人に胸を突かれる。
ルックはもう何人目かも分からない敵を斬り捨てた。そこに、見覚えのある髭面がルックの前に立ちはだかった。すさまじい量の返り血を浴びたその男は、ルックが以前見たときよりもやつれているように見えた。
「キラーズ! カン・ヨーテス軍の将軍だな。アーティスのフォル、ルックだ!」
ルックは勇ましく吠えると、キラーズへと向かって剣を繰り出した。敵の将軍を討ち取れば一気に敵の士気を奪える。だが、キラーズは機敏な動きでルックの剣を弾く。剣術の劣るルックはそれで大きな隙を生む。キラーズはこともなげに、ルックに絶対的な凶刃を繰り出す。
ルックは死を意識した。
しかし奇跡的に弾かれた剣が地面を突き、それと同時にルックは新たに溜めておいた宝石のマナで、掘穴を放った。
キラーズの右足の地面に穴ができ、彼はそれに足を取られてバランスを崩した。
ルックは咄嗟に地に着いた剣を軸に、キラーズへ蹴りを放った。
それは自分でも驚くほどに素速い蹴りだった。剣を抜いてから斬りかかっていたのでは、恐らく間に合わなかっただろう。ルックの蹴りは、見事にキラーズの頬を打ち、キラーズの首は異様な方向へ折れ曲がった。
「敵軍の将、キラーズを討ち取った!」
力の限りの大声でルックは叫んだ。
それが聞こえた敵の士気は瞬く間に下がり、潰走する者も現れ始めた。
そうなれば、アーティス軍の動きはより調子づき、敵軍のそれは精彩を欠き始めた。
結果、アーティス軍はカン・ヨーテス連合軍に大勝利を上げた。だがそれは、何も勇ましいことではなかった。世界の壁の向こうからでなければ、私は吐き気を催していただろう。
戦争というものは、ただの恐ろしい殺し合いにすぎない。生き残ったものはほとんどが狂気じみた目を爛々とさせていた。
ルックも同じ事を感じたのか、ふと表情を曇らせた。しかし感傷に浸る間は彼らにはなかった。突然西方から一人のアレーが駆けてきて、警戒をするアーティス軍に、シェンダーの砦が崩壊したとの報せをもたらしたのだ。




