『勝利と敗北』①
第二章 ~大戦の英雄~
『勝利と敗北』
アーティーズの悪夢と呼ばれることとなる事件から一日過ぎ、首都アーティーズでは、生き残ったアレーたちが宣誓の場へと集められていた。首都には元々二百名ほどのアレーがいた。それが今、百二十名ほどしか残っていない。
ビースはこの状況を非常に重くとらえていた。アレーですら八十名殺されたのだ。キーネ、特に四の郭の人々は、何万人と死んだだろう。
宣誓の場の舞台に立ったビースは、しかし毅然とした態度を崩さず、集まったアレーに高らかに宣言をした。
「卑劣なるカンの策により、我がアーティーズは少なくはない被害を被りました。しかし、シャルグやシュールの良き友であるドーモンが、その命に代え、この事態を静め、首都陥落という恐ろしい事態はまぬがれました。
皆、心には暗雲が立ちこめていることでしょう。しかし、まだ絶望しきることはございません。勇者アラレルはたった三百の部隊で、スニアラビスの砦に攻め行ってきた敵軍二千を、日に日に減らしているということでございます。
そしてシェンダーでは、シュールの軍が敵の一万の軍勢を、無傷のまま二千にまで減らしました。二つの軍の勝利は確実でしょう。そしてそれは同時に、我らがアーティスの勝利を意味しております。我々はどちらかの砦の勝利報告がもたらされ次第、もう一方へ援軍へ行き、瞬く間に勝利をつかもうと考えております。
皆その日まで、英気を損なわず、万全の態勢であることをお願いいたいします」
まるでただ事実を語っただけというように、落ち着いたビースの宣言は、失われかけた軍の士気を確実に立て直した。
しかしビースの胸には、数多くの不安があった。ドーモンの死に幼い王はふさぎ込んでいる。シェンダーにしろスニアラビスにしろ、正直抑えきれる確率は五分といったところだ。まして完全な勝利となると……。
ビースは十年前の戦争を思い出す。あのときのような奇跡はもう起きないのではないか。どう考えても、アーティスはカンを抑えきれる規模の国ではない。
そしてビースの最も危惧していることは、リージアが彼とシャルグに告げたことだ。
闇の大神官、クラム。
リージアはその男がこの大陸の時を止めていると言った。時を止めるとは抽象的な表現だったが、ビースはリージアの意図を正しく理解していた。
時を止める。それは時代を止めるということだ。言い方を変えれば進化や変化を止めるということだろう。歴史的な規模の出来事はなんの進展も生まずに繰り返される。かつてルーカファスが魔法を発見し広めたように、かつてミリストが魔法具を生み出したように、かつて開国の三勇士がマナの体術を考案したように、大陸を揺るがすような発明は決して広まらない。
とても信じられない話だ。しかしリージアが確信を持って告げてきたのだ。軽んじるわけにはいかない。時を止める秘技という、想像を絶するものが事実だとすれば、今度のような戦争はまた繰り返される。時が止まっているということは、カンやヨーテスがアーティスに勝つことはないということだが、その時を止める秘技というものが、一時期弱められていたという。
今はまた時は止められているということだったが、弱められていた間に、アーティスの命運がどう転んだかが分からない。
そして敵に闇の大神官がいるということは、クラムと連携していると見て間違いない。もし今度アーティスが勝利の流れを掴み取ったとして、その歴史が固定されるとは限らない。
アーティーズの悪夢に沈む首都アーティーズで、ビースは誰よりも暗澹たる想いを抱き、宣誓を終えた。
リージアの魔法具は、確かに目を見張るものがあった。
リージアはおもむろに森人の一人が持っていた大きめの布を広げると、ルックへそれに乗るよう指示をした。そして自らもそれに乗ると、突然その布は二人を乗せ、東へと進み始めた。
「私は残念なことにもう足腰があまり良くないわ。そしてあなたは少し休息が必要なようよ。この布は私がマナを与え続ける限り進み続けるわ。ここからスニアラビスまで、飛ばしていって一日半という所でしょう。あなたはここでしっかり体を休ませなさい」
リージアは言うが早いか、自らも目を閉じ眠り始めた。見たこともない魔法具に目を見張っていたルックは、ヒリビリアを見た。
「リージアは一日の内ほとんどをそうして目を閉じて過ごされるのですよ。しかし本当に眠っているわけではありません。その証拠にその布はしっかり動き続けているでしょう」
ヒリビリアは落ち着いた口調でそう言った。歌うような口調は、ルックの耳には心地よかった。
「そっか。けど一日半って、みんなマナを使って向かうって言うこと? 危険じゃないかな?」
ルックは半日と少しでここまで駆けてきたが、本来ならスニアラビスまで歩こうと思えば、五日ほど距離があるはずだ。七十人の部隊で動くとなれば、五日でも足りないかもしれない。それでは確かに遅すぎるとはいえ、やむをえないことだ。そうルックは考えていた。
「こちらにはリージアがいますし、私とシーシャはあなた方のペースで動いたとしても、マナを温存しておけます。敵の本陣と遭遇するのでもなければ、まずは大丈夫でしょう」
ヒリビリアの言葉に、ルックは概ね納得し、ビラスイたちに無理を強いることを詫びた。ビラスイたちはその移動方法に多少不安があったようだが、結局不平は言わずに従ってくれた。
ルックにはどうにも分からなかったが、どうやらビラスイたちはルックをかなりあてにしているようだった。そもそも彼らのリーダーは亡くなったロチクだったという。他は誰も、ビラスイでさえ、自分にリーダーとしての器がないと思っていたのかもしれない。
だとしたら、体のいい押しつけだな。
そうルックは思った。
一団はやがて速度を上げて東へと向かい始めた。ルックが座る布はそれに合わせて速度を上げた。馬車とは違い揺れも少なく、どういう仕組みなのかとルックは考え始めたが、不意に強い眠気に誘われ眠りについた。
ルックはここ数日ほとんど休息をとっていなかった。リージアの布の上はとても快適で、充分な休息がとれそうだった。
「リージア、先ほどはこの子に対してあんなに疑いを持ってましたのに、どうして急に優しくなったのですか?」
リージアの布の隣を走るシーシャが、丁寧な口調でそうリージアに尋ねる。微睡んでいたリージアは瞳を開け、シーシャを見るとにやりと笑んだ。
「昔、私が好きだった男に似ているのよ。この坊やは」
リージアの言葉に、シーシャは少しはしゃいだように目を輝かせた。
「まあ、知らなかった。リージアに好きな人がいたのですね。幸せな方ですね」
「ふん、当然じゃない。そうだったに決まっているわ。ただ惜しむらくは、私と彼は歳が離れすぎていたのよ。おかげさまで私は今でも独り身よ。あなたはまだ若いんですから、こうならない内に手を打っておくのをお勧めするわ」
「私は、もう五十ですから、いいんです。ヒリビリアのように美しければ話も違うのでしょうけど」
「バカを言わないでちょうだい。私だってまだあきらめた訳じゃないのよ。半分も生きていないあなたがそれでどうするの?」
謙遜気味なシーシャの言葉に、からかうようにリージアは言う。
「あら、そうしたらリージア、このルックという子はどうですか? この子もリージアのような方なら不足はないでしょうし」
シーシャもリージアのからかいに、楽しそうに言葉を返した。
「ふん、分かってないのね。こんな幼い子じゃ、私の魅力に釣り合わないのよ」
もしもルックが起きてこの発言を聞いていたら、腹を立てただろうか、それとも呆れて笑っただろうか。少なくとも私はまるで少女のようなこのリージアの発言に、時の中で笑みを浮かべた。




