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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第二章 ~大戦の英雄~
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 ライトにとって、折れた木刀がシャルグの方にちょうど良く跳んでいったのは思いがけない幸運だった。


 そして今ようやく、この手合わせで初めての勝機が巡ってきた。折れた木刀をシャルグに投げ、腰から二本目の剣を抜き、投げた柄を追うように地を蹴った。

 シャルグが飛来する柄を木刀で払った。あとはシャルグの動きに合わせてこのまま突進すればいい。スピードではシャルグとの差は絶対的だった。ライトにはどちらに避けられても、シャルグの動きに合わせ切る自信があった。

 さすがにシャルグの目は、ライトに何も悟らせはしない。ライトは千載一遇のこの機を逃さないため、シャルグのどんな動きも見逃さないよう神経をとがらせた。


 そして、シャルグの視線が下に動いた。


「!」


 下というのは、ライトにとって予想外の方向だった。しかし、影の魔法師の目が下に動いたということは、抑影を警戒しなくてはならない。

 ライトはとっさにシャルグの目線を追った。松明によって照らされた中庭の地面。そこに、けれどライトの影はなかった。


 しまったと思ったときにはもう遅い。一瞬気を逸らしたライトの脇を、シャルグの木刀がかすめて通る。シャルグが手の木刀を投げつけたのだ。もちろん、あえて当てないように狙いを逸らして。


「終わりだ」


 シャルグがそう宣言する。負けを悟ったライトも、そのままシャルグの脇を駆け抜け、止まった。

 ぱちぱちぱちと、緩慢な拍手の音がする。


「素晴らしいお手合わせでした」


 隅で佇んでいたビースが、手を打ちながらそう言った。

 戦闘は終始、シャルグのペースだったと言えた。遂にライトは、シャルグに触れることすら叶わなかった。スピードだけなら間違いなくライトが上だ。それにシャルグには、一太刀も受けられないというハンディキャップまであった。滅多に起こり得ない幸運までも味方した。

 ライトは自分がいかに驕っていたかに気づき、思わず顔を赤らめた。そして同時に、シャルグの強さを改めて認識して、どこか安心もした。


「ごめんなさい」


 ライトは止まった体勢のまま、後ろにいるシャルグに謝った。振り返るのが恥ずかしく、また恐ろしくもあった。言い終えたあともシャルグの方を向こうとはしなかった。

 そんなライトに、シャルグはそっと歩み寄り、その肩に温かな手を置いた。




 次の日、北から流れてきた重たい雲は、ついに雨を落とし始めた。

 空に浮く巨大なマナは、その雲の向こうに隠れ、真昼だというのに、首都アーティーズは薄暗かった。

 立派な造りのアーティス城も、その重たい空模様に呑まれるように、どこか物悲しく見えた。




 アーティス城で最も大きい謁見の間、王の間。そこは異常なまでに広かった。天井は見上げなければ目に入らないほど高く、赤く大きなカーテンがあちらこちらで垂れ下がっている。床も細部まで磨き上げられた大理石が美しい。とても、滑稽なほど豪華な造りだった。これ見よがしに金銀を散りばめた鉄扉から、王座に向かって一直線に、金糸と銀糸で織られたカーペットが延びている。

 王座はなぜか部屋の中央より多少左にあって、そこには今、アーティス国十二代目国王、ライトが座している。ビースがそのすぐ脇に控え、三歩ほど後ろでシャルグが佇んでいた。さらに数人の兵士がカーペットの脇に立っている。どれもこの王の間に相応しい、きらびやかに磨かれた魔法防具で身を包んでいる。

 シャルグだけがいつもの黒装束で浮いているようにも見えたが、全く身じろぎをせず佇む黒影は、ある意味でここの何よりも威圧感があった。


「カン帝国よりの使者、第十九軍の四名、入場いたします!」


 開け放たれた扉の外から、若い門兵が精一杯の大声で叫んだ。

 巨大な扉から、五人のアレーが入場してくる。一番後ろに立つのは、紺の重鎧に身を包んだシャルグと同じくらい背の高い青年だ。彼は前の四人を油断なくにらみ据えている。

 おそらく彼がカイルなのだろう。絵に描いたような形のいい目が特徴的で、エメラルド色の瞳が彼の誠実さをたたえている。鎧に隠れて見えないが、顔には無駄な贅肉などはないので、細く引き締まった体つきをしているのではないかと思う。精悍な顔つきはとても魅力的で、妙齢の女性なら誰もが見とれるような色男だった。くすんだ黄色の髪が少し彼の魅力を落としているものの、そこがまた彼に深みを与えているようでもあった。


 彼は立ち止まりひれ伏す四人の横を通り抜け、ビースの脇でくるりと向きを変えた。


「まずはカイル、護送、ご苦労様です」


 ビースがそんな彼に向かって落ち着いた口調で言う。実際彼は見張りの役目だったのだが、他国の使者に対する礼儀として、護送という言葉を使った。


「さて、あなた方がカンの第十九軍ですか。どうぞ顔をお上げ下さい」

「はい、それでは失礼させていただきます」


 十九軍のリーダーとおぼしき男が言い、顔を上げた。街の入り口で門兵と話をしていた男だったが、どこか覚悟を決めているような、堅い目をしている。


「ご用件をお伺いしましょう」


 ビースの言葉に、男は言う。


「我々は隣国アーティスに、これ以上の血を流していただきたくなく、降伏勧告に参った」


 単刀直入に言う男に、ビースは逡巡して見せ、言う。


「降伏勧告とはまたおかしな話でございますね。私たちの耳には、あなたたちが大軍を引き連れてきたという話は届いておりませんが。それにスニアラビスでも、シェンダーでも、アーティス軍が危機的状況にあるとも伺っておりません」


 これはとても当然な発言だった。調停ではなく降伏ということは、国を明け渡すということだ。戦争の行方がまだどちらに転ぶとも分からない状況で、降伏をすることなどあり得ないだろう。

 しかしビースのこの発言は、その当然の状況を諭すためのものではなく、アーティスに不足する情報を彼らから引き出すためのものだった。


「スニアラビスには、カン・ヨーテス連合軍、二千のアレーが攻めております。この事はもう耳にお入りのことでしょう」

「ええ、確かに伺っておりますが、なかなか善戦をしているとも報告を受けております」


 ビースは言い、男の反応を待った。ビースはまだスニアラビスの戦況を知らされていない。そう言ったときの男の反応で、実際の状況を探り、さらには男のこの行動の意図を探ろうという腹なのだろう。


 彼らがここに来るまでは、ビースは彼らがただの狂人の可能性もあるとしていた。しかし彼らをひと目見たとき、聡明な首相には何か引っかかるものがあったようだ。

 確かに彼らは狂っているようにも、何か深いかけひきをしているようにも見えない。それをいち早く悟り、本当にカンからの使者ではないかと考え、さらにそれを情報の宝庫と考え、鎌を掛ける。その頭の回転の速さはさすがと言うよりはなかった。

 しかし、スニアラビスが善戦していると聞き、男は意外そうな顔をした。


「しかしながら、シェンダーの砦は、なお危機的状況にあると言えるでしょう。魔法具部隊とはいえ、一万を越える部隊が向かっております。そして何より我らが大将軍ディフィカは、闇より参りし者にございます」


 闇より参りし者というのは、闇の大神官ダルクが、自らを名乗ったときに使った言葉だ。ビースほどの年齢であれば、伝え聞いている表現だろう。

 ビースは男の言葉に驚愕しただろう。しかしそれをおくびにも出さず、余裕の笑みを浮かべて言った。


「そういうことでございますか。こちらに届いた報告によりますと、シェンダーではカン軍自ら、自国の兵を何千と虐殺しているようでございます。大将軍が闇だとすれば得心の行くことでございますね」


 ビースの言葉に、男は今度こそ驚愕し、わなわなと怒りに震え、しかしすぐに諦めたようにため息を吐いた。

 ビースは男のそんな様子を見て、もうこの男から聞き出せることは何もないと踏んだ。


「私からのお答えを申し上げます。我がアーティスはカンやヨーテスの凶行に屈することはございません。ライト王もそれでよろしいでしょうか?」


 ビースに問われ、ライトは威厳を持って、いや、そういった振りをして頷いた。


「左様か」


 男は言って、重たく沈黙した。しかし意を決したように立ち上がると、後ろの三人に向かって、「行こうか」と声をかけた。

 後ろでひれ伏したままだった三人も、その言葉を聞くと、ゆっくり頷いて立ち上がった。


 それは突然だった。十九軍の四人のアレーが、脇に控えていた衛兵に飛びかかった。魔法具に身を包んでいても、彼らはただのキーネだ。その攻撃を避ける術はない。瞬く間に四人が倒れた。どこに隠し持っていたのか、十九軍は全員手に小刀を持っている。

 しかし、その彼らは逆に、シャルグとカイルによって瞬く間に葬られた。シャルグが冷静に次の衛兵を襲おうとしていた一人を斬り、そのまま流れるような動作で近くにいたもう一人を袈裟切りにする。その間マナを溜めていたカイルが、氷柱の魔法を使い、二本のつららで残りの二人を串刺しにした。


 ほんの少しの間に、王の間には八つの死体が転がった。

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