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それからまもなく、三人の姿は城の中庭にあった。
シャルグは投擲用の木片を体中に仕込み、小太刀に似せた木刀を手にしている。万が一にもライトを傷つけないための配慮だ。
ライトもまさか一撃必殺の金の剣を使う訳にはいかず、普通の木刀に持ち替えている。
ライトの金色の剣は、本人の意思に関わらず切れない物は何もない。そのため、どのような鞘にも収めることができず、常に抜き身だった。
ルック同様、ライトは幼い頃からその剣を使う想定で剣技を磨いていたので、その剣を含めてのライトの強さだ。しかしそれはこの場合は仕方のないことだ。ライトは一太刀でも入れればその時点で勝利だと約束事を決め、勝負は始まろうとしていた。
二人は一定の距離を取る。ビースは二人の邪魔にならないように、城の壁へぴたりと寄って佇んでいる。
ライトは武器を構え、シャルグは素手のまま身を低くして、ビースからの始まりの合図を待った。
二人は向き合い、互いの目を見据え合う。相手の動きをいち早く察するためには、相手の目を見ることだ。……そうライトに教えたのは、他でもないシャルグだった。
城の中庭は広く、数十本の木が植えられた林まである。松明に照らされているため暗くはない。風はほぼ凪に近く、ライトの息づかいまでも、シャルグには聞き取れる気がした。
シャルグにとってはずいぶんと不思議な感覚だった。幼い頃からこうして何度も手合わせをしたことがあったけれど、こうまで真剣に向き合ったことはない。泣かせないよう気を配りながら向き合うことはあっても、背筋が蠢くような、そう、まるで恐怖のようなものを感じながら、真剣な手合わせをするようになるとは、今まで思いもしなかった。
だが、シャルグは負けるわけにはいかなかった。これからライトは、もっともっと強くなっていくだろう。目の技法を教わったとはいえ、いや、だからこそ、もうシャルグには伸びしろが残されていない。ライトはすぐにシャルグの手には負えなくなるだろう。そうなってからでは、世の広さをライトに知らしめることは彼にはできない。
シャルグは心から、この最後の機会を与えてくれたビースに感謝していた。
「よろしいですか?」
ビースが問う。ライトからもシャルグからも、異論の声は上がらない。
「それでは参ります」
場は、息を呑む静寂に包まれる。ライトがわずかに身を低くする。合図とともに突進してくるつもりだろう。
「始め!」
ビースの高らかな宣言とともに、ライトの姿が金色の線になった。目の技法を得たシャルグでも、完全には追いきれないスピードだ。
しかしシャルグは、斜め後ろに地を蹴って、前方に木片を打ち出す。ライトはしっかりと見切り、身を反らすだけでそれをかわした。そしてそのままほとんど勢いを殺さず、シャルグに向かって距離を詰める。ライトの目は決して揺るがずシャルグを見据えている。シャルグもまた、それをしかと受け止めている。
二人の距離は、瞬きをする間に掻き消えた。
ライトの剣がシャルグに向かって突き出される。恐ろしく速い一撃だが、シャルグは見事にそれを紙一重でかわす。そしてすかさず手首の力だけで、ライトの死角から木片を投げつける。しっかりとシャルグの目を見据えていたライトは、その動きにいち早く気づき、回避行動をとる。その動きはとても雑で、見るからに隙だらけではあったが、それでも速度が速度だ。シャルグはその隙をやむなく見送る。
二人の間に、再びの間合いが生まれた。しかしそれは束の間のことだった。シャルグは一息にその間合いを埋め、ライトに肉迫する。
シャルグの猛烈な反撃が始まった。ライトは体勢も立て直せないまま、シャルグの豪雨のような剣戟を受ける。アラレルから教わった技法で、体捌きは明らかにライトが上だったが、剣術ではシャルグに圧倒的に分がある。
細かい剣戟の中に、ものすごい気迫を込めたフェイントが混ぜられている。かと思えば、何気ないように繰り出された剣が、ひやりとするほど的確にライトの急所を狙っている。動きの速いライトの方が、手数では圧倒的に上だったが、シャルグのどんな細かな動きにでもライトは手数一つを無駄にしなければならない。
ライトはすでに自分の驕りを理解していただろう。しかしシャルグは、ライトの自信を粉々に打ち砕こうと、一時も休まることのない連撃を繰り出し続ける。
端から見ていただけでは、細かいシャルグの動き全てに意味が込められていることになどは気付けない。実際に向き合って初めて、相手の強さというものは分かるのだ。
しかしライトも何とかして決定的な一打を逃れ、その体勢を整えた。ライトは大きく跳躍し、近くの木の枝へと飛び乗った。間髪入れずにシャルグの投擲が襲う。ライトは枝から飛び降り、それを難なくやり過ごす。着地地点にまた投擲が飛来するが、ライトはそれを木刀で叩き落とす。
ライトが木片を払ったのを見て、シャルグは林の中に身を隠した。木々はかなり密集していて、二人はお互いの姿が完全に見えなくなる。
シャルグが身を隠したのは、林といってもこぢんまりとした庭園の飾り程度のものだ。しかしシャルグは、決してライトがこの中に入ってこないという確信があった。遮るものの多い場所は、アラレルやライトの体術の弱点だったのだ。シャルグはそこでマナを集め出す。無言のまま、左の掌をライトが待ちかまえているだろう林の外に向ける。
シャルグの手から、林の外に向かって黒い影が飛び出していった。それに続いてシャルグも林の中から飛び出す。
シャルグの狙い通り、林の外でシャルグが出てくるのを待ちかまえていたライトは、シャルグの放った黒い影に食いつき、その影を薙いでいた。
シャルグは攻撃のため体勢を乱していた少年に切りかかる。ライトはそれを後ろへ大きく飛びのきかわすも、余りに悪い体勢のため、地に尻餅を着くこととなった。シャルグはその機を逃さず木片を投げつける。シャルグの投擲は手首の力だけを使った動きの小さなものだ。そのためシャルグはその投擲を追うようにライトに向かって瞬時に駆け出すことができる。
投擲は剣で弾いて何とか持ち堪えるも、ライトにはシャルグの突進を、そのままの体勢で受けきることはまず不可能だ。
シャルグはその場から飛び離れようとするライトの目が、体より先に左に動いたのを見た。そのためライトが左へ跳ぶのと同時に、自らも突進する角度を修正した。
ライトも自分の失敗に気付いて慌てたようだ。苦肉の策で高く垂直に跳び上がった。ライトの体術を駆使した跳躍は、スニアラビスの城壁に跳び乗ったルックの跳躍よりも二周りは高かった。だが、近くには跳び乗る枝もなく、ただいたずらに宙にいるだけでは、隙だらけと言っていい。魔法も使えないライトにはこの滞空時間は不利なだけだった。
地に足を着け、シャルグはライトが落ちてくる隙を突こうと待ちかまえる。緩やかな下降に転じたライトは、破れかぶれなのだろう、木刀を大きく振り上げた状態で落ちてくる。地に着く瞬間のライトの攻撃を冷静に対処し、大きく体勢が崩れたところを突く。シャルグにはその勝ち筋が見えた。
「はあぁぁっ」
ライトが雄叫びを上げ、着地に合わせ、渾身の力で剣を振り下ろす。しかしシャルグはわずかに立ち位置をずらしただけでそれをかわした。
シャルグは勝利をほぼ確信した。ライトに次の攻撃を防ぐ術はない。だがそこで、思いもよらないことが起こった。ライトの木刀が地に着いた瞬間、折れ、その折れた木の刀身が、シャルグの顔をめがけて跳んできたのだ。
「!」
それはシャルグにとっても、ライトにとっても、全く予想していないことだった。木刀とはいえ、ライトの渾身の力が込められたものだ。目にでも当たれば取り返しのつかない事態にもなりうる。
シャルグは攻撃の体勢に入っていて、剣で打ち落とすことができそうもなかった。やむなくシャルグは最大のチャンスを諦め、無理矢理大地を蹴って飛び退いた。無理な体勢を強いられたため、シャルグは尻餅をつく格好で着地する。
先ほどとは真逆の状態だ。すかさずライトは、シャルグに壊れた木刀の柄を投げつける。即座に二本目の木刀に持ち替え、シャルグに向かって地を蹴った。
シャルグは木刀で飛来した柄を払う。しかしシャルグの難はそれだけではない。右へ跳ぶか左へ跳ぶか、ライトの突進をこのまま受けるわけにはいかない。ライトはシャルグの動きを見逃すまいと、シャルグの教え通りに、シャルグの瞳を凝視している。シャルグはそれを確認すると、目線をあえて左に逸らし、右に跳ぼうかとも思った。
しかし、それでもおそらくライトを騙せるだろうが、それよりもより良い案が彼の頭に閃いた。




