朝武芳乃の悩み
車の通ってない山奥に「穂織」という町があります。 周りとの交流を避けてきたせいで、文明開化に後れをとったちいさな田舎町です。
ですが、そのおかげで独自の文化の発展を遂げ、一風変わった温泉地として名をはせることになりました。
その穂織の地にある建見神社で、巫女をしている私————朝武 芳乃のちょっとした話にお付き合いください。
どの神社でもそうだと思いますが、この時期になりますと私たちの仕事は忙しくなります。 しめ縄を用意したり、神殿を掃除したり、いつもより多くお守りを作ったり猫の手も借りたいぐらい忙しくなります。
最近では海外からわざわざ参拝に来てくださる方もいますので、初詣の準備は年々忙しいものになっています。
この忙しさはうれしいものです。 いろんな方が顔を見せに、この神社に足を運んでくれることがうれしいです。 ですが私には、そうもいかないのがこの土地に生まれ育った人です。
朝武家は古くからこの土地を納めてきた一族で、土地の人からしたら自分たちよりも位の高い人、という位置になっていまいます。 そのため、みんなからは一歩距離を置かれた接し方をさせてしまいます。 学校でも様を付けられて呼ばれています。 それが時に寂しいと感じます。
私には友達といえる友達がいないのです。 小さいころから一緒にいる常陸 茉子は友達ではありますが、茉子の一族も古くから朝武家に仕えてきた忍びです。 私は茉子のことを「茉子」と呼びますが、茉子は私のことを「芳乃様」と呼びます。 距離を感じます。
お父さん以外、私のことを「芳乃」と呼んでくれる人はいません。
「芳乃、ちょっといいかな?」
「なに、お父さん」
「神様にお供えするお酒が足りなくてね、ちょっともらってきてくれないかな?」
「うん、わかったわ」
「悪いね」と言ってお父さんから、お金をもらって外に行きます。
「芳乃様、お出かけですか?」神社の掃き掃除をしていた茉子が私に気づきました。
「お酒をもらいにちょっとね」
「それでしたら私が行きますよ」
「掃除してもらってるし、これぐらい私が行くわよ」
少し思案したあと「それではお願いします」と私を送り出してくれました。 この守られている感じが、落ち着きません。
町に出ると門松を立てて、正月を迎える準備をしている店が多くありました。 すれ違う人すれ違う人、私にお辞儀したり、拝んでくる人がでてきます。
落ち着きません。
ときどき、手を振ったり反応して酒屋に着きました。
「すみません、建見神社のものですが……」
「はいはいはいはいっと! っとっとっと、これは失礼しました。 巫女姫様」
巫女姫。 簡単に言ってしまえば、この土地の顔、ということで納得しておいてください。 詳しくは話したくありません。
「お神酒が足りないと、父が言っていたので取りに来ました」
「ちゃんと数は確認しましたが……、少々お待ちください」
そう言って急ぎ足で奥に消えていった店主を呆然と見送って待ちます。
空を見ると少し雲が出て陰ってきました。 明日は晴れるでしょうか。
「あれ? 巫女姫様?」
顔を正面に向けると、着物に割烹着を着た女性がいました。
「えっと……」
「馬庭 芦花といいます。 そこで甘味処をしています」少し遠いところ指差して言いました。
「甘味処、ですか?」
「ええ、最近では外の文化を取り入れてパフェとかもやってますよ。 巫女姫様はいつかいらしてくださいな」
「はい、そうさせていただきます」
ぱふぇ……。 実物を見たことはありませんが、いい響きです。 ぱふぇがどういうものか想像を膨らませていると奥からお神酒を持って店主が出てきました。
「申し訳ありません。 ウチのバカ息子が数を間違えてしまったようで……」
「いえ、問題ありません」お金を取り出します。
「お代はもう、もらっていますので……」
「そうですか、それでは失礼します。 馬庭さんも」
馬庭さんはにっこり微笑んで手を振ってくれました。 少しほっこりしました。 お姉さんのようです。
神社に帰ってきたとき、すれ違いで学友たちが出てきました。 明日の打ち合わせが終わったようです。 建見神社は朝武の一族だけで管理しているのですが、こういう時期には巫女のアルバイトとして学校のクラスメイトを呼んでいます。 彼女らと一言二言、言葉を交わして別れます。
寂しいです。
「お父さん、もらってきたよ。 数を間違えてたみたい」
「あぁ、ありがと。 この時期はどこも忙しいからね」
「じゃあ、私、舞いの練習するから」
「うん、頑張ってね」
自室で正装に着替えて舞台に立ちます。 私にとって舞いは特別な意味を持ちます。 どの人間よりも舞いに対する気持ちは強いはずです。 さぼろうと思ったことはありません。 舞いを踊ることが私の仕事で、私にしかできないことなのです。
「年末だというのに精が出るのぉ」
いつの間に、私の舞いを見ている人がいました。 小学生の背丈で薄緑色の髪を頭の横で小さく結んでいます。 もう冬だというのに肌を大きく露出させて寒そうです。
舞いをやめて「ムラサマ様」と小さく呟きます。
ムラサメ様。 この土地にある神刀————叢雨丸の管理者。 数百年も前の人でいまは魂だけの存在。 私以外にも茉子も見ることはできますが、私たちだけにしか見ることができません。
「いつもは余念などなく真剣そのものじゃが、今日はなにか迷っておるのか?」
「…………………」
「こんな姿はしておるが、芳乃よりずっと長く生きておる。 相談ぐらいのってやるぞ?」
「……ムラサメ様は、ご自身が特別視されることをどうお思いになっていますか?」
「どうとも思っておらんな」
ため息を吐くことしかできませんでした。
「まぁ、そーガッカリするな。 そうじゃな……、吾輩が生きていた時代では、相手のことを様を付けて呼ぶことは当然のこととしてあったからな。 それに不思議な出来事も多々あった。 今の時代と齟齬があるかもしれんが、吾輩が言いたいことは意味にとらわれないことじゃな」
「意味、ですか?」
「芳乃はいま、皆から『芳乃様』と呼ばれてどう思っておるのじゃ?」
「……距離があるみたいで、深く関わりたくないような感じがして……、嫌です」
「なぜそう思うのじゃ?」
「それは……『様』って呼ばれるから……」
「そう呼んでいるだけかもしれんぞ?」
「どういう意味です……?」
「口では『芳乃様』と言っても本当は小娘が、と思ってるかも知れん。 『巫女姫様』と言っていながら自分との違いが判らず、なんとなく呼んでいるだけかもしれない。 言葉は堅いが、根っこのところは別段なんとも思っておらんことの方が多いのじゃ」
「そうでしょうか……」
「長いこと生きてきた吾輩が言うのじゃ、間違いはない!」
「そう、ですね。 ありがとうございます、ムラサメ様」
「うむ!」と満足そうな顔をして頷いたサラサメ様。 ひょっとしたら、ムラサメ様は私を元気づけようとしてくれたのかもしれません。
そうです、こんな些細なことで悩んでいる暇はありません。 私には、私にしかできないことをやるしかないのです。 それも山ほどあります。
止まってる暇なんてものは毛頭ありませんでした。
一日でも早く、普通の女の子に————。