探偵クリスの事件録
「先生、ついに僕達もフランスに行けるんですね!」
大きな瞳を輝かせて助手であるリチャード・トンプソン。
「僕、こんなおっきい汽車は初めてです!コーフンしちゃいますねっ!」
「こらこら、あまりはしゃぎすぎるものじゃないよ。英国紳士を目指すのなら、尚更だ」
私は空咳とともに叱責する。優秀な助手ではあるのだが、いかんせん子供っぽい。
「うー。わかりました…………クリス先生」
しょぼんとうなだれるリチャード助手。いつもはやれ英国紳士だそれ英国紳士だと言うくせにすぐにへこむ。まだまだ子供だ。
私の名前はクリス・キャンベル。私立探偵である。私たちは今、イギリスの片田舎からフランスへの旅路の途中にある。なぜかというと依頼があったから……ではなく単に友人に会いに行くからだ。
久々の遠出ということで助手であるリチャードも連れてきたのだが…………
「うわ!先生!ロープから車輪から何から何まで高級そうな感じがします!」
「あー!うるさい!」
さっきへこんでいたとは思えないほどはしゃいでいる。これだから子供は。
キングス・クロス駅に来たことも無いような田舎小僧を連れてくるのではなかった、と後悔しながら、切符売り場に早足で向かう私だった。
「ごめんなさい…………」
「謝る気力があるなら次への反省文でも書きたまえ。私は怒っていないから」
「…………」
どうして切符を勝手から汽車に乗るまでにコートが水でぐしゃぐしゃになるのだろう。
もしかしたら私がただ単に不幸なだけなのか。
リチャード助手が手に持った水筒の中身をぶちまけたのは、言うまでも無かった。
《8番線の汽車が発車しマース!》
「ほら、汽車も出ることだし、外でも見てきたまえ。前方の車両はここより見晴らしがいいだろう」
「うー。ここからでいいですー……」
「……………………」
これだから子供は。
くそ、こんなのだと叱れないじゃないか。
「いいから行くぞ、私が行きたいんだ。汽車からの眺めも意外と悪くないからな」
「でも、コート…………」
「いらん。別に寒いわけでもあるまい。そこにかけておいてくれ」
「…………!はい、先生!」
現金な奴め。
この汽車は最前部が談話スペース、その後ろが私たちのいる個室スペースとなっている。つまり、金持ちの乗る汽車(実際には私のような一般人も乗っているのであくまでイメージ的に、だが)であるのだ。
私と助手は自分たちの個室を出て、談話スペースに向かった。廊下の内装もなかなか凝っており、まるでホテルのようだ。
「というか、ホテルに似せて作ったらしいですよ?快適な空間ということで」
助手はガイドブックを広げながらとてとてと私の後ろにくっついてくる。親鴨にでもなった気分だ。
「そうか……と、あそこが談笑スペースか」
私は狭い廊下の先に開けた空間があるのに気づいた。そこには何人かの乗客らしき人物たちが歓談していた。
私が談笑スペースに足を踏み入れると、朗らかな声の老紳士が話しかけてきた。
「やぁ!あなたもこちらに来て、話さないか?」
白髪交じりの髪に肥えた体の老紳士は、わざわざ私の目の前まで来て、大仰にお辞儀をしてみせた。
「私の名前はトマス・マクスウェルです。後ろのメイドはジュリア、執事はアランです。以後、お見知りおきを」
後ろについているメイドらしき少女と執事のような青年もニコニコとした表情を崩さずに会釈をした。
「はぁ…………よろしく。私はクリス・キャンベル。探偵だ。こっちが助手のリチャード・トンプソンだ」
私は友好の印として右手を差し出したが、彼はそれにも目をくれず立て板に水を流すように喋り始めた。
「いやはや、こんな狭い列車の中で会えたのも何かの縁。ぜひ、私の金細工を買いませんか!というのも私、金製品の商売を行っておりましてね。ここで逢えた記念に、おひとつどうですかな?」
「あー。すまない、私は装飾品の類はつけないんだ、すまないね」
「おやおや、そうですか…………それは残念です」
そういって肩をがっくりと落としたかと思ったら次の瞬間にはニコニコとした表情でこちらに話しかけてきた。
「では、これだけでも貰って下さい」
「?これは」
「テディベアですね!可愛い!」
私が手渡された熊のぬいぐるみを見て助手が横から興奮の声とともに覗き込んできた。
「おや、少年は興味がおありですかな?これはジュリアとアランが作ったのです」
「といっても、僕はジュリアが作ったものの点検だけですけどね」
微笑した青年、アランが困ったように笑う。
「えへへ……わたし、小さいころからずっと作っていたからテディベア作りだけは得意なんですよー」
照れからか、ほんのりと頬を赤く染めたジュリアは鈴のような声で否定する
「………………………………だからそれしか出来ないんだよな」
ぼそり。
確かな悪意がトマス氏の口からこぼれ出た。
「…………っ…………」
俯いてしまったジュリアから、苦悶の声がにじみ出る。
一瞬、重苦しい沈黙が場を支配する。
「ハァ~イ!ミスター・トマス?」
その沈黙を破ったのは陽気な女性の声であった。
「いきなりこっちのお客さんに鞍替えするのはすこ~しばかり失礼じゃない?アタシという魅力的な女性がいるのに、どーいうこと?」
そのブロンドの女はずかずかと私とトマス氏の間に入り込み、一方的に自己紹介をした。
「アタシの名前はジェシカ・アンダーソン。今アタシは自分探しの旅をしているの!家出をしてね!うるさいパパとママから離れて、本当の自由を探しているのよ!」
最悪だ。私はアメリカ人とアメリカかぶれのイングランド人が大嫌いなのだ。鳥肌か立つくらいに。
「あなた、クリスっていうのね!」
「貴様に呼ばれる名前は無い」
「先生、キャラ変わってます!」
「あー。アンダーソン君。さすがに安価で金製品、というのは無理があってだね…………」
「なによ!あなたは商人なんだから黙って客の言ってること聞いてりゃいいの!そう思うでしょ?ジュリアちゃん!」
「ぅう!?わたしは…………」
「クリスさん、こちらで紅茶でもいかがですか?」
「ああ、頂こう。少しでもアメリカ成分をなくしたい」
「先生、アメリカ成分って何なんですか…………」
「おや、こんな時間になってしまいました。私は部屋に戻るとします」
トマス氏がそういうと、ジュリアはこちらに会釈した後、小走りで個室方面にいってしまった。私が不思議そうな顔をすると、トマス氏は、「寝室の片付けですよ」といって、数分後にはアランやはり行ってしまった。ジェシカも同じく、さっさと自分の部屋に戻ってしまった。私はうつらうつらしている助手をおぶって自分の部屋へと戻り、ベッドに助手を寝かしつけ、自分もまた、ベッドに寝転がって明日の朝は朝日で健康的に起きようそうしよう、とか考えながら、泥のように眠るのだった。
「おきてください、先生!事件ですよ、事件!」
私はリチャード助手に揺すられて最悪の目覚めをすることとなった。さらば昨日の妄想よ。さようなら健康的な朝よ。
「トマス氏が殺されているんです!」
さすがに目が覚めた。殺人?
「とりあえず、おきてください!」
ベッドから叩き出された私は、嫌々ながら素晴らしい朝の二度寝タイムを手放すこととなった。
「おお、死んでる」
一応驚いたフリをしてみたが、正直あまり感動も心境の変化も無い。
おそらく死因は腹に刺さったナイフによるショック死。
これだけ見ると普通だが、これ以外の場所があまりにも妙だ。
ナイフ。おそらくトマス氏の商品だろう、金の装飾が施されている。なぜかその豪華ナイフの柄には長いロープが結ばれており、窓の外まで垂れ下がっている。
「しかも、密室だったと?」
「はい。アランさんの証言から確認済みです」
助手は沈痛な面持ちで主人の死体を見る青年執事を指差す。
「アランさん、説明をしてくれ」
「はい」
アランは蝶番の外れたドアを指差す。
「今朝、ご主人様を起こそうとドアを叩いたのですが…………中から反応が無いのでジェシカさんを呼んできたのです」
「なぜ、ジェシカを?」
「女の人の高い声のほうが響くと思いまして…………」
「ジュリアじゃ駄目なのか?」
「ジュリアはメイドの中でも下の下。ほぼ奴隷階級なのです。ですから鍵を彼女の部屋のみ特別なものに変えてもらって、外から鍵がかかるようにしたのです。暗殺されるリスクを減らすため、ですね。そのおかげで容疑者が一人減りましたけど」
そういうと青ざめたジュリアを憐憫の目でちらりと見ると、再び説明に戻った。
「続けます。そうしてジェシカさんに呼んでもらっても返事がないので、仕方なくドアに体当たりして開けました。そうしたらそこにはすでに、事切れたご主人様が…………」
目を伏せたアラン。やはり主人の死というのはショックなのだろう。
「ありがとう。休んでいてくれたまえ、と言いたいが。君のアリバイのことなんだが」
「…………ない、です」
「わかった。ありがとう」
私はアランを下がらせた後、ドアの前で怯えているジュリアに話しかけた。
「夜、この部屋から何か物音が聞こえなかったか?」
「いえ、何も。とても、静か、でした、よ」
歯切れ悪くなりながらも答えてくれるジュリア。ありがたいものだ。こういう人間はいつどんなときでも役に立つ。それに引き換え。
「うわーん!パパー!ママー!家に帰りたいー!」
あそこで騒いでいるブロンド女は何だ。鬱陶しい。仕方なく同じようにアリバイと気づいたことを聞いてみる。
「ううぅ…………アリバイなんか無いわよ。でもそれはみんな同じじゃない。全員が犯人になりうるでしょ」
少なくとも私と助手はやっていない。いくつもの殺人を見てきた私たちは殺人を犯すことがいかにハイリスクローリターンであるかを知っている。やるわけが無い。動機も無い。
「気づいたこと?ああ、そういえばシャンデリアの上にすったような傷があったわ。あまりにもいいシャンデリアだったから眺めてたんだけど、そのときわかったの」
よく目を凝らすと、確かにそうだった。馬鹿の癖にやるじゃないか。
しかし、アレは何の傷だ?
「先生?犯人わかりましたか?」
うんうん唸っていると、リチャード助手が不安げに話しかけてきた。
「ううむ、後一押しだ。紐はどこの物なんだ?やたらと頑丈そうだ」
「ええと、あ!これは出発前に外についてたやつです!二つの窓の下を結ぶように!」
「あの先端がカタツムリみたいにぐるぐるになって留められていたやつか…………あ」
もしかしたら。わかったかもしれない。
リチャード助手に、駄目押しの質問だ。
「この部屋の隣はジュリアのものと、空き部屋だな?」
「ええ!そうです!なんでわかったんですか!」
「私はエスパーだから、な」
そう言った後、談話スペースに皆を集めるよう、助手に指示したのだった。
「おお、全員集まったね」
談話室には異常な緊張感が漂っている。
「じゃあ、今回の事件の真相を暴こうか」
誰も、何も言わないで、じっと私の言葉に耳を傾けている。
「この殺人は、まあ、簡単だよ。ということで、説明に入らせてもらうよ」
私は持ってきた紙煙草を燻らせながら、真相を明かす。
「トリックは単純。ロープをナイフの柄にくくりつけ、殺したい相手の真上のシャンデリアを支点にしてロープを引っ張り天井近くまでナイフを持ち上げるんだ。滑車みたいにね。
こうすればロープを引っ張るものがなくなったときに自然落下でグサリ。ってわけさ。たぶんロープを離したときにシャンデリアの根元部分に傷がついたのだろう」
私はぐるりとあたりを見渡す。反応はなし。
「さて、このロープだが…………どうやら汽車の外部分についていたもののようなんだ。長さも頑丈ささも、作業用ロープだと思うと納得がいくな。このロープは発車時、まだ外についていた。となると、このロープを使用できる人間には限りがあるんだ」
すっ、と私は犯人に向かって視線を動かす。
「ロープはおそらく、外を通して自分の部屋と繋げて固定していたのだろう。寝室の片付けのときにね。全員が寝静まったころ、全員に不可能と思わせておいてトマス氏を殺すためさ。ロープは二つの窓を結ぶように設置させられていた。つまりロープを使うのは隣の部屋の人間しか出来ない。さらに、この頑丈なロープを切るための道具も、その部屋の人間しかもっていないんじゃないか?――裁縫用の鋏、とかね」
犯人の顔は可哀相なくらいに青褪めていた。私は犯人を指差す。
「犯人は、君だ。ジュリア」
ジュリアはひざから崩れ落ち、顔を覆って泣き始めた。
「先生、理由、聞かなくてもいいんですか?」
ジュリアが泣き出すと同時に個室に戻った私に対して疑問を隠せない助手。
「ああ、いい。意味がないからな。犯人にどんな事情があっても、殺してしまったらその時点で言い訳にしかならないからな。自分の不幸話とかされても、困る」
「…………投げやりですね、先生」
「良いんだよ、探偵なんてこんなもんだ。どうやったかさえ暴けば、後は誰かがどうにかしてくれるさ。お涙頂戴は他のやつに任せる」
「…………ま、いいです」
助手の諦めたようなため息を背に、私は個室のベッドで、静かに眠りにつくのだった。