書架に住まうもの
「ナルミ、今日はもう終わりにしたら?」
同僚のアガワの声ではっと我に返った。
「ごめん、今何時」
「今は3時。勿論夜のね」
キイ・ナルミは手にしていた本を閉じると、慌てて立ち上がった。机の上に散らばる書類やメモをかき集める。
「地下に返してくる。鍵開いてる?」
「ええ。気をつけて」
ナルミは認識カードをかざして扉を開けて部屋を出る。
無機質な壁が続く廊下を進み、地下への階段を降りる。一歩踏み出したところで、ポケットの端末が音をたてた。
「どうしたの、アト」
『あ、お母さん? 今日も無理そう?』
少し疲れたような声が返って来る。まだ起きていたのかと咎めようかとも思ったが、待たせているのは自分だとすぐに諦める。
「ごめんね。明日は帰るから」
『うん、分かった。家のことは大丈夫だよ。おやすみなさい』
「おやすみ、アト」
通話終了の画面をしばらく眺めて、やり場のないため息をつく。コロニーに置いてきた息子はナルミの仕事を知らない。大方何処かの会社で大気再生計画の研究をしていると思っているはずだ。
地下へと続く道の先で、扉を開ける。
入り口には何故か古代の照明器具が置いてあり、それに明かりを燈すのが習わしだった。こんなに光が弱く、自分の足元さえ照らし出せないものをなぜ使うのか、ナルミには分からなかった。
「ええと、1万と3920のソ」
ここは幾千幾万もの本が誰にも読まれることなく眠る、巨大な書庫。
寝入る竜のそばを通るかのような不安と恐怖を抱くのは、気のせいなのか。
この施設が発見されたのは数年前。
新たな研究員として派遣されたのが、ナルミやアガワ他数十人。
先が見えないとはまさにこのことだった。
何しろ蔵書数が膨大で、今だ幾冊あるのか把握できていない。文法も単語も分からない失われた言語で書かれたものがほとんどで、解読も進まない。
「誰!」
物音に振り返り、あまりにも頼りなげな明かりをかざす。
「そんなに怯えなさるな」と言った
声の主を探すが見当たらない。
「こっちじゃ」
声の方に振り向くと、書架の向こうに人影がある。息子より幼いだろうか。
淡い色の髪は肩口で切りそろえられ、黒い外套を纏っている。
「その光を弱めてはくれまいか、光に住まう者よ」
言われるままに光を弱める。どうしてこんな子どもがこんなところにいるのか。
「すまぬの。我ら闇に住まう者はどうしても光を嫌うての。驚いておるな、何故ここに子どもがおるのかと」
「ええ、だってここは」
「政府の極秘機関だったのじゃろ? 知っておるよ」
各国政府が秘密裏に作り上げた機関
古書貴重書保存開発計画
今はもう失われた世界を描く書物や記録物は政府にとって都合の悪いものであり、理解し難いものであるという理由から、保存を名目に世界中の書物がかき集められた。
と、いうのも、今では何千年前のことか分からない。今では政府という言葉はどの中枢機械にハッキングしても見つからないだろう。
「おお、それは『続・クランストクの冒険』じゃな」
「ええ、そうらしいわね」
今でにしている本、『続・クランストクの冒険』。現在の調査対象。
「随分と心を失うておるようじゃの。その本は」
「心?」
「そうじゃ。本はの、人の思いを受けて心を持つ。じゃが、その心というのはほんに脆くての。ほれ、そこの一冊を開いてみなされ」
言われるがままに書架から一冊を抜き出し、ページを開く。
「ほうれ、文字が乱れておる。既に単語がかなり抜けておる。これが心を失うということじゃ」
ままならない文字の塊がかろうじて並ぶ。『彼』なのか『彼女』なのかすら分からない文ばかり。
「この解読が私の仕事よ。手掛かりが少なくて」
「光に住まうもの。それはちと違うようじゃの。解読ではない。会話じゃ」
「会話? 本は話さないわ」
「数万年か前までは多くの主人がおって会話も楽じゃったが、今ではほんに主人たるものがおらんようになった」
彼がつと一冊の本を手にとった。
「我、汝の主を知るもの。代理者となりて、契約を結ばん」
言い終わるとともに、どこからか光が溢れ本を包んだ。あまりの眩しさにまぶたを閉じる。
「何、誰?」
白い見知らぬ形の服を纏った女性が中に浮いている。長い髪を両耳の下で結い、前髪をあげていた。
「久しいの、レディ・セバスカ」
「お久しぶりです、マスター」
虚ろな瞳を子どもに向け、無表情で挨拶をする。名をセバスカというらしい。
「紹介しようかの。『明日のおかず百選』のセバスカ・グレメレストアーヌじゃ」
「はあ。はじめまして、レディ・セバスカ」
「はじめまして、キイ・ナルミ」
落ち着いた声色はなんとも心地良い。なぜか彼女はナルミの名前を知っていた。
「すまぬの、起こしてしもうて」
「いえ。何か御用がおありですか?」
「久しぶりにそなたの声が聞きとうての。以前逢うたのは何時だったか」
既にこの子どもがただ者ではないことに気がついていたが、本を人間(?)にしたり、妙に長い年月を生きたようなことを言ったり、一層得体が知れない。
「大きな戦争の際でありました。東の王都が一日で焼け落ちたあの日に」
一体何時のことなのか。戦争が最後に起こったのも、最後の王国が滅びたのも、遥か昔の話だった。あまり探るべきではないのかもしれないと、ナルミは思いはじめていた。
「そうであった、そうであった。あれで多くの主人が死んだ。そなたらの仲間も多くな。あれから大分経ったのじゃな」
「お疲れではございませんか、久しく光の元に出ておいでではなかったのでしょう? そろそろ、失礼します。マスター」
「ふぅ、そうじゃな。お眠り、セバスカ」
セバスカの姿がすうと空気に溶け、引き換えに本が現れる。
「彼女は精霊か何かですか」
「是であり否、じゃ。彼女は本に宿る精霊ではない。まあ深く考えるでないぞ、光に住まうもの。彼女は彼女じゃ」
本を書架に戻して彼は笑った。
どこか疲れたようなその顔に、息子の顔が重なる。
「ここにおるものはすべて、彼女のように心を持つもの達。時折会話するがよい」
「しかし、私にあなたのようなことはできない」
「そうじゃの。光に住まうそなたでは無理じゃな。じゃが、手にとり、開き、ページをめくることならどうじゃ?」
「読むということ?」
「まあ、そうじゃな。おぉ、もうこんな刻かの。では、また会おうの。キイ・ナルミ」
背を向け歩き出す彼を呼び止める。
「まって。あなたの、名前は?」
「我ら闇に住まうものは真名を言わぬ。
再び会うたら教えようぞ」
そういって、暗闇に沈んで行ってしまった。
*~*~*
彼とはそれ以来会えていない
それでも書架の間を歩くたび、ふと幾冊か取り出して本を開くようになった
そして闇に目をこらして見るのだ
小さな身体に恐ろしく長い年月を背負った
書架に住まうものに出会えないかと
初投稿となりますので、誤字脱字・意味不明など色々あると思いますが、とりあえず読んでくれた皆さま、ありがとうございます




