表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/11

その6

 最近、妃の様子がおかしい。

 そんなことは、侍女頭に言われるまでもなく、気が付いていた。

 何やら、物憂げに考え込むことが増えた。

 元々快活に動き回るよりは、静かな場所で本を読んだり手先を動かしたりする方が好きな女性ではある。

 少し前にはよく見かけた、日なたに座って何かに夢中になっている姿は、10年前を彷彿とさせ、俺の頬をついついと緩ませたものだ。

 しかし、最近は本を開いたままそれを読むでもなく、椅子に座って伏せ目がちに物思い、時折ふとため息を漏らす様をしばしば目にする。

 それは間違いようもない大人の女の憂いある姿で、これはこれでひどくそそられると言えば非難を浴びそうだが、もちろんその様子が彼女の尋常であるとは思ってはいない。

 しかし、気が付いていながら、俺は何も言えない。何もできない。

 なぜならば。

 どうしたのかなどと一言尋ねて、『国に帰りたい』とでも願われたらどうすれば良い。

 帰す気は毛頭ない。

 長い忍耐を経て、ようやく手の届く位置にまでやってきたのだ。

 手離すことなど絶対にあり得ない。俺の元から辞することなど、間違っても許さない。

 だが、あのセピアの瞳で切に請われたら?

 俺のことが嫌だと、俺から離れたいと、冷たく言われたら?

 俺は、否と言えるだろうか。

 いや、それより何より冷静でいることができるかさえ、分からない。

 うろたえ、凶行に及びぶやもしれぬ。

 そう思うと何も言えなくなる。

 そうして、大国の賢帝とはやし立てられる身は、一つの策として思い浮かべることさえできず、ただ、何事もないように振舞うことしかできなくなるのだ。


 目が覚めた時、俺は正妃の膝を占拠していた。

 彼女は俺に膝枕を呈した時と同じ態勢で、寝台の端に腰かけ、俺をじっと見下ろしている。

 俺が目を開いたことに気がつくと、どうしてか気まずげに、つとその視線は逸らされる。

 視線が逸らされたことは気に入らなかったが、ひとまずは

「すまん」

 起きあがって、詫びを入れた。

 目に入った時計は、既に夜半を過ぎている。

 俺がここを訪れてから、2時間あまりもの間、彼女は俺を膝に乗せ身動きの取れない状況だったことになる。

「……何が、でしょう?」

 しかし、俺の謝罪の理由が彼女には分からなかったようだ。

 逸らされた視線が俺に戻り、きょとんと見つめてくる。

「重かっただろう」

 こんな風に、ぐっすりと眠ってしまうつもりではなかった。

 先頃、10年ぶりに取り戻すことのできた彼女の膝枕は、記憶にあったそれよりずっと心地好いものだった。

 あの後、またも忙しくゆっくりとここに戻ることもできなかったが、その膝枕の感触は忘れ難く、執務室で仮眠を取れば夢に見るほどだ。

 だから、久しぶりにこの部屋に帰ることのできた俺は、眠る前に少しばかりとそれを所望した。

 彼女といえば、もう少し恥じらい、戸惑うかと思いきや、随分とあっさりそれを差し出し、俺にその場所を明け渡した。

 しかし、10年前の子供だった俺ならばともかく、今のこの身体では、さすがに重かろうと半時ばかりで解放するつもりだったのだ。

 安眠を望んでのものではなく、彼女の柔らかさや香りに包まれて、さすがに少しばかり疲れたと訴える心身を癒したかったに過ぎない。

 だが、その疲労は、俺が感じ取っていた以上だったようだ。

 極上の心地好さも手伝って、うっかりと深い眠りに落ちてしまったらしい。

「大丈夫です。慣れてますから」

 俺の言葉の意味が分かった彼女は頷きながら、しかし、そのまま聞き流すことのできないことを口にした。

「……慣れてる?」

 その言葉は、俺で慣れている、というものではないな?

 10年前はさて置いて、俺がお前の膝を枕としたのは、改めて数えるまでもなく、まだ二度目だ。

 慣れるはずがない。

 癒されて穏やかだった気が、一気に荒ぶる。

 お前は一体、誰に慣れる程に膝を貸した?

「はい。よく弟妹のお昼寝に添い寝をしたり、膝枕をしたりしました」

 彼女はにこりと笑い、軽くそう答えた。

 わざとじゃないだろうな。

 俺が彼女の一言に一喜一憂するのを楽しんでいるのではないかと疑いたくなるような会話の流れだが、そういう女でないことは重々承知している。

 そんな駆け引きを楽しむ女性でないからこそ、俺はこんなに苦労しているのだ。

「退屈だっただろう?」

 気を取り直して、もう一つ気になることを問う。

 久しぶりに訪れた男が、まともな会話もなく2時間も眠りこけていたとなれば、女としては愚痴の一つや二つ言いたくもなるのではないか。

「いいえ」

 しかし、彼女はこれも大丈夫だと答えた。

「陛下の寝顔をじっくり拝見できる機会なんてありませんもの」

 サラっと言ってくれたな。

「……お前」

 俺は顔を覆った。

 妙に気恥ずかしいのは、幾度と俺自身が彼女の寝顔に見入ったことがあるからだ。

 その時の俺は彼女に伸し掛からんばかりの身体を、必死に律している訳だが。

「はい?」

 首を傾げて、俺を見つめる様に、そんな情欲の名残は微塵もない。

 俺は苦笑いのような自嘲のような、そんな笑みを浮かべた。

「俺の寝顔が、退屈凌ぎになったのなら何よりだ」

 お前は知らないだろう。

 俺は眠りが深い(タチ)ではない。

 むしろ、隣に人がいると眠れないぐらいで、他の妃の元に通っていた時でも、その部屋で夜を明かしたことはない。

 薄情と言われようと、共にいて欲しいと請われようと、ことが済めば、さっさと自室に戻る。

 そうやって過ごしてきた。

 だが、お前の側では眠ることができるのだ。

 お前の傍らでは、身体が猛って眠れぬことはあっても、その存在が俺の眠りを妨げることはない。

 だから、俺の呑気な寝顔を眺めることができるのは、お前の特権だ。

「退屈凌ぎだなんて……」

 俺の戯言に、彼女は困ったというように答え、ふと表情を曇らせた。

 隠すようにすぐに俯いたが、俺は見逃さなかった。

 なぜ、この会話でその顔をする?

 最近、よく見かける憂いを含むそれは、今浮かぶべきものか?

「弟や妹の寝顔を見ていると……どんなに成長していても、小さな頃の面影が浮かぶんです」

 お前が膝枕やら、添い寝やらをしてやったという弟妹か。

 俺にも随分あっさり膝枕を差し出したのは……まさか、俺は、お前の弟妹と同じか?

 たとえ弟妹でも彼女が膝枕をしたと思えば腹立たしく、しかも、彼らと同列に扱われたとあっては、俺は不機嫌にもなろうが、しかし、やはりその言葉の中にも、彼女の表情の理由は見つからない。

「そう思って陛下の寝顔を拝見したのですが……」

 彼女の視線が僅かに上がり、俺を一瞬だけ見た。

 だが、すぐにまた俯いてしまう。

「でも、思い出せませんでした」

 垣間見える表情はとても切なげで、そそられる、と言ったそれを撤回したいように、胸に痛みを与えながら食い込んでくる。

 だが、同時に抱き寄せたくなるのだから、やはり撤回は難しいのか。

「10年前……陛下はどんな方だったのでしょう」

 10年前の俺?

 ひ弱な8歳の子供だった。

 病弱で、泣くことでしか、何かを訴えることのできなかった脆弱な男児だ。

 彼女は、それが知りたいのか。

 それを思い出せぬことが、彼女の憂いの原因になり得るのか。

 だが。

「……別に、思い出す必要はない」

 俺は呟いた。

 思い出して欲しくはない。

 その記憶の片隅に、僅かばかりも俺がいないことは、少々寂しい気がしないでもないが、だが、あの貧弱でお前に縋るばかりだった子供は、過去のものだ。

 お前には、今の俺を見て、知ってもらえれば良い。

「過去の俺など思い出したところで意味はない」

 冷たくも聞こえたかもしれない言葉に、彼女は先程まで俺が頭を預けていた場所で、所在なさ気に指を組んだ。

 小さく華奢なのに、あの当時の俺では包みようもなかった手。

 だが、迷いなく、その手を掴んで側にいてくれと願った。

 今ならば、用意に包み込めてしまえるのに。

 幼い頃には無邪気に捉えた手に、何故か今は触れることを戸惑っている。

 彼女に振り払われるのが怖くて。

「どうした?」

 そう尋ねることしかできない。

 彼女は、はっとしたように指を解いた。

 何故だ?

 何故、そんな顔で、10年前を知りたがる?

「何でもありません」

 彼女が顔を逸らし、立ち上がりかけたのを捕らえて留める。

 慰めを拒否されるのが恐ろしくて触れられなかった手は、捕らえるためならば迷いなく掴めた。

「そうは見えんな」

 さすがに、このパターンで幾度と抱き寄せられているだけあって、彼女は身構えた。

 しかし、力では俺の方が圧倒的に優位だ。

「……っ陛下!」

 腕を引き、倒れ込む身体を抱きしめる。

「お前が見るべきは、今、お前を抱きしめている俺だ」

 ぐっと胸元へと閉じ込めれば、小さな身体は強張りながらも、柔らかく存在を誇示する。

「過去の俺などどうでもいい」

 彼女の腕が、俺から逃れようともがく。

 無駄な抵抗だ。

 今の俺からは、どう足掻いたところで逃れられない。

「陛下は……」

 やがて、おとなしくなった妃の掠れて震える声が胸元をくすぐった。

「ずるい」

 確かに。

 皇帝として、すべからく平等であらんとする俺は、お前に関しては狡いばかりの男だ。

「狡い、か」

 だが、仕方があるまい。

 どのような手を使っても、俺はお前が欲しい。

 しかし、今この時に、彼女が言う俺の狡さとは何だろうか。

「陛下は私には10年前を思い出す必要はないとおっしゃるのに」

 消えてしまいそうな小さな声だった。

 俺は聞き逃すまいと、胸元の彼女に顔を寄せた。

「……陛下ご自身は10年前の私をお求めになる」

 なんだ、それは。

「おい」

 そんなつもりはない。

 彼女は俺の声が聞こえなかったように、独白じみた訴えを続ける。

「……私には今の陛下を見るようにとおっしゃるのに」

 俺は問い掛けようと開いた口を閉じた。

 これが、この妃に憂いを与えているものの正体ならば、暴かねばなるまい。

「陛下はいつも10年前の私を探していらっしゃる」

 だから、そんなつもりはないのだ。

 だが、俺の態度に彼女にそう思わせるものがあったのだろうか。

 それに、彼女は傷ついた?

 俺は、知らぬうちに、彼女を傷つけていたのか?

「私は……10年前の陛下が恋なさった少女ではありません!」

 正妃の声が珍しくも荒ぶり、俺の胸元から顔を上げる。

 瞬間、俺は頭が真っ白になった。

「………………泣くな」

 間抜けな間の後に、ようやくでたのは、救いようのない間抜けな慰めだった。

「泣いてなどおりません!」

 はらはらと瞳から雫を落しつつ、年上の妻は幼子のような返事を返す。

 俺は慌てた。

「ああ、落ち着け。これはなんだ?」

 なんとかいつもの声音で、彼女の濡れた頬を指先で拭う。

 しかし、その指先が震えている。

 落ち着くのは、俺の方だ。

 妃の涙は、国の大事以上に俺を動揺させた。

「泣き止んでくれ」

 情けなくも懇願するしかない。

 とにかく、涙を止めてくれ。

 でなければ。

「どうして良いか分からなくなる」

 本当に。

 ここで、もう国に帰ると言われようものなら、俺は壊れるぞ。

 彼女は涙にけぶる瞳を大きく見開いて、俺を見つめた。

 もはや、俺はどんな表情をしているのか分からない。

「……申し訳ありませんでした」

 やがて、彼女は憑き物が落ちたように、力を抜いた。

 同時に、俺の中に吹き荒れた動揺も、ピタリと止む。

 お互いに、寝台の端に座り込む。

「いや……詫びはいらない。お前が何を思い悩んでいるのかは分かったが」

 俺は頭をかいた。

「困ったな」

「申し訳……」

 俺の言葉をどう受け取ったのか、もう一度口にしかけたその言葉を

「俺には10年前のお前も、今のお前も……俺には何も変わっていないように思えるのだが」

 そんな風に遮った。

「……確かに……俺もお前も時を経た」

 山河の10年の些細さに比べて、人の10年はどれだけ大きいものか。

「俺は10年前の、お前より小さくて……お前に守られるばかりだった幼子ではない」

 彼女はじっと俺を見つめた。

 幼子の面影を探しているのだろうか。

 だが、無理だろう。

 俺の10年は、彼女のそれよりも、ずっと大きな変化をこの身にもたらしたのだから。

「……お前は10年前より……凛と美しくなった」

 あの謁見室で、10年ぶりにお前を見た時。

 記憶にある少女の面影を残しながら、大人の女性に変貌したお前を、俺がどれほどの驚きで受け止めたか。

 そして。

「だが、変わっていない」

 それにも、また驚かされた。

「俺が恋したお前の……優しさや強さは何も変わっていない」

 俺は、確かに10年前のお前に恋をしたのだろう。

 それを忘れられずに、ここに召し上げたのも、事実だ。

 だが、今、こうして惹かれているのは。

 離れていれば、お前に会いたいと思う。

 会えば、触れたいと思う。

 それは、今、目の前にいるお前だ。

 俺は、間違いなくそうだと言える。

「……それが……幻想です」

 彼女は、プイっと俺から顔を背けた。

 しかしながら、その頬から耳は朱に染まり、俺の言葉が彼女に届いていることを表している。

「私、優しさも強さも美しさも……なにも、陛下が思って下さるようなものは持ち合わせておりません」

「そうか?」

 拗ねたような口調が、なんとも愛らしくて、俺はつい笑ってしまった。

 それが、お気に召さなかったのか、愛しい正妃殿はきっと俺を睨みつけた。

「そうです! 早く気がついて、私など国にお返し下さいませ!」

 聞きたくなかった筈の一言が彼女が飛び出る。

 しかし、思ったよりも動揺していないのは、これが彼女の本音というよりは駄々をこねた挙句の売り言葉だと分かるからだ。

「……頑固なところは以前より増したな」

 頑ななところがあるのは知っていたが。

「年を取ると頑固になるんです」

 彼女はやけになったように、俺を睨んだまま答えた。

 ここに到着したばかりの頃は、逸らされていてばかりだったそれ。

 ようやく慣れて俺を見ることができるようになったと思ったら、最近は、また逸らされがちだったセピアの瞳。

 それが、俺をまっすぐに見据えていることに、睨まれているにも関わらず、俺の心は和やかだ。

「そんなお前も、嫌いではない」

 彼女の頬が、更に染まる。

 俺はその頬に手のひらを触れた。

「それに……そんな風に泣くお前を見るのも初めてだ」

 自らの失態を思い出したのか、彼女はいたたまれないように俯いた。

「だが、そんなお前も悪くない」

 そう。

 年上然と構えていられるより、感情をぶつけてくれた方が良い。

 それを受け止められる程度の男ではあるつもりだ。

 彼女は更に俯いた。

 目に入る肌はどこも鮮やかな朱色だ。

「……お前の膝枕だがな」

 いきなりの話題の転換は、10年前との差を語る振りをした意趣返しだ。

 俺を動揺させた、俺の想いを疑う、彼女への。

 彼女は涙の渇きかけた瞳を瞬いた。

「10年前はただ寝心地がいいばかりだったが」

 言いながら、俺に予想外の安眠をもたらした脚に手を触れる。

「……あの……陛下?」

 俺の声や手にある不埒な気配に気が付いたのか、彼女が強張る。

「今も寝心地は最高だが」

 薄い生地越しの体温を、手のひらで楽しみながら。

「同時にひどく悩まされる」

 顔を寄せて、目の前で囁いた。

「……何をおっしゃっているのか分かりかねます」

 なんとか落ち着いている態で言う妃の声は、だが震えている。

 俺から離れようと身を引くのを、許さぬと腰を抱いた。

 そして。

「このあたりの柔らかさも……香りも……」

 腰の一番円やかな場所から、一番細い所まで。

 指先に微妙に力を入れながら、撫で上げていく。

「陛下!」

 彼女の手が、俺の肩を押した。

 そんな抵抗は無駄だと、さっきも思い知った筈だろう?

「10年前とはまるで違って……」

 俺は、彼女を持ち上げるようにして抱き寄せ、向かい合わせに膝に乗せた。

「陛下!」

 お互いに身につけているのは、薄い生地の寝着のみ。

 俺の体温が一気に上昇したのを、お前は感じているだろうか。

「今のお前には……ひどく誘われる」

 生地を押し上げる胸元に顔を埋めて、その香りを思い切り吸い込んだ。

「っも、いいです!」

 悲鳴のようなそれを無視し、更に腰を引きつけて重ねた。

 あたかも、情事の最中であるかのように。

 意趣返しのつもりだったのだがな。

「陛下! お離し下さい!」

 彼女の声が切羽詰まっていて、俺の当初の意図は既に成し遂げられていることに気が付きながら、なお手離せない。

 既にこれは意趣返しなどではなく、俺の欲望の吐露だ。

「時折、お前の中に少女を見つけて懐かしいが……」

 10年前のお前を垣間見た時の俺の感情は、懐かしいという感傷であることが、多分、一番相応しい。

 そして、今のお前は。

「俺を煽るのは今のお前だ」 

 俺を改めて惹きつけ、焦がれさせる。

「……分かりました!」

 いきなり、彼女が叫んだ。

 勢いあるそれに、俺の暴走しかけていた欲望が留まることを余儀なくされる。

「何がだ?」

 突然、何が分かったのだ。

「陛下が……今の私をきちんと見て下さっているということを」

「ほお?」

 それは、いつか言った俺の本気を分かったということか。

 ならば。

「ですから、私も迷わずきちんと陛下を拝見致します」

 ならば……と、先に進みかけた俺を留める一言。

 俺は少々呆れた。

「お前……まだ、そこにいるのか」

 俺は、俺の気持ちにもうすっかり気が付いて、ついでに身体もすっかりその気なのだが。

「……年を取ると出だしも歩みも遅れがちになりますの」

 彼女は、しらっと答えた。

 そういうところは、確かに年を経たそつのなさが見える。

 だが、お前がそういう態度ならば。

「俺は若いからな……そうそう抑えておれん」

 俺は言って、彼女を寝台に押し付けた。

「……っ陛下!」

 彼女は、怯えたように俺を見上げた。

 そうだ。そうやって、怯えれば良い。

 俺はお前の弟妹ではない。

 いつでも、お前を欲しがっている飢えた男だ。

「だいたいが……こんなに俺を誘っておいて、よくもそんなに逸らせるものだな」

 言いながら、俺は彼女の脚の間にある己の腰を更に押し付けるようにして重ね合わせる。

 俺の欲望を、彼女に思い知らせるために。

「誘ってなど……っ陛下」

 切羽詰まって震える声が、俺を留めようと必死に発せられる。

 少しでも、俺を遠ざけようと伸びる腕の両手首を纏めて捉えると、シーツに抑えつけた。

「陛下!」

 声に泣きが混じった。

 先ほどは俺に混乱をもたらした涙が、うっすらと浮かんでいる。

 だが、今度は俺は、それらを受け止めて、なお、首筋に口付けた。

「香りが誘う」

 耳元に囁けば、重ねた身体が大きく震える。

 それにつられて、欲望に身震いしながら、俺は彼女の胸を手のひらで包み込んだ。

「……この身の柔らかさは……暖かさは、何だというのだ?」

 彼女は、潤んだ瞳で俺を見つめた。

 怯えの涙であることは分かっているのだが。

 しかし、それでも、俺を煽る。

「俺に抱かれるのを待つばかりのようではないか」

 俺は彼女の手首を離した。

 彼女の手はもう俺を遠ざけようとはしなかった。 

 その代りと言うように、手のひらが俺の口元を覆う。

「……っもう、黙って下さい!」

 彼女の手のひらに舌を這わせれば、慌てたようにそれが引かれる。

 解放された口元で、俺は最後の一言を囁いた。

「黙らせてみろ」

 そして、彼女に唇を寄せる。

 唇が重なった瞬間、腕の中にさざ波が起きたが、それが大きな動きに変わることはなかった。


 彼女との初めての深い接吻を堪能し、だが、そこで俺は必死に自らを制して彼女の上から傍らへと身を滑らせた。

 このまま本懐を遂げてしまうことも可能に思えた。

 だが。

 希望が見えた。

 いずれ、彼女が自ら俺を求めるだろう、と。

 だから、今は、欲望を宥めて鎮める。

 濃密な接吻の余韻でくたりと力ない正妃をそっと抱き寄せれば、抗う風もなく柔らかな肢体を俺に預けてきた。

「今後は俺以外の者への膝枕も添い寝も禁ずる」

 これは本気だ。

 彼女は俺の腕を枕にしながら、不思議そうな顔をする。

「……弟妹にしかしたことございません」

 それでも、だ。

「弟妹にも禁止だ……その辺りの猫やら犬にも禁止したいくらいだ」

 以前、迷い込んだ子猫を抱き上げていた様子を思い出し、俺は思わず言っていた。

 自分でも呆れる独占欲だ。

 彼女は俺の言葉にクスリと笑いを零した。

「……承知いたしました」

 呆れてもいない、怒ってもいない、柔らかな微笑み。

 憂いないそれが……やはり、何よりだな。


 まもなく、妃は俺の腕の中で眠りについた。

 この様子では随分と思い悩み、ここのところは安眠とも遠かったのだろう。

 それは俺にとって決して悪い話ではない。

 少なくとも、彼女は俺に無関心ではない証だ。

 いいや。

 無関心どころではない。

 10年前の姿を探すと俺を責める。

 10年前を求めていると涙した。

 それが何を意味するか。

 お前が気が付く前に、俺は気が付いた。

「……あと……どれぐらい、辛抱させられるのだろうな?」

 仕返しのように寝顔を見て。

 穏やかなそれを見守りたいような、揺さ振り起こして……。

 何にしても。

 そこに俺は10年前の姿を探していないことを確信していた。

だから、いつまでRなしでいけるのよ? と思う作者なのでした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ