その3
とある昼下がり。
ここは後宮にある私の部屋から続くテラスの一角。
いいお天気なので、テーブルと椅子を設えて貰って、午後のティータイムの真っ最中。
居心地がいいとは言えないここでの生活の中、ホッと息をつく一時、の筈なんです。
でも、どうしてか、向かい側には皇帝陛下。
つく息も、幾分控え目になってしまい、代わりにため息が漏れそう。
そんな私の気分を知ってか知らずか、陛下はのんびりとお茶を召し上がっている。
陛下とのティータイムは、これが初めてではないから、妙な緊張はないけれど。
というか、私が、こちらに輿入れしてから、早いもので一週間が経つが、ほとんど毎日昼食かお茶のどちらかはご一緒して下さる。
ついでに、夜も一週間の間に、四日もいらっしゃったのよね。
もちろん、何もしないで、眠っていかれるだけだけど。
慣れもするわ。
でも、そんなに後宮にいらっしゃっていていいのかしら。
お忙しい筈の方だもの。
無理をされているのではないかと少し心配もしている。
この陛下の行動が、私に本気を分からせる、というそれに起因しているなら、なおさら、なんとかしなくてはいけない気になってくるのだけど。
今のところ、陛下の本気とやらは分かっていない。
「……果物は嫌いか?」
悩みがちな私に、不意に、陛下がお尋ねになる。
何かと尋ねられることが多い気がするのは、私がここで不自由しているように見えるから?
だったら、さっさと国に帰して下さればいいのに。
こう思う私は、かなり後ろ向き。
反省しなくては。
と、陛下のご質問はなんだったかしら。
そう、目の前のきちんと皮を向いて、鮮やかに盛り付けられている果実達のこと。
「嫌いではないのですが」
料理人が手をかけてくれるものを残すのは、申し訳ないと思う。
でも、皮を剥かれて時が経ち、瑞々しさを失ったそれらをどうしても口に入れる気にならない。
「が?」
陛下に促されて、私は正直なところを答えた。
「田舎育ちなものですから、もぎたて、剥きたてが好きなんです」
そうなのだ。
私の実家では、庭に果実の樹木がたくさん植えられていて、直接もいで食べたり、なんて普通だった。
「ああ」
陛下は納得したように頷いた。
「田舎育ちかは、ともかく……お前の城は果実園のようだったな」
え?
陛下は私の実家をご存じ?
これは意外。
陛下は、私の驚きを笑みで流し、近くにいた侍女の一人を手招くとに、何やら命じた。
「陛下は……私の国にいらっしゃったことがあるのですね」
侍女が礼をして去るのを見届けてから、尋ねた。
「本当に覚えてないんだな」
陛下は視線を少し下げて呟かれた。
う。
この方の、これ、ずるいと思う。
常に威風堂々とされた方が、ふと見せる寂しげな様子は、ひどい罪悪感を抱かせるんだもの。
「……いつ頃でしょう?」
思い出す努力をしようと、尋ねたのに。
「思い出すまで、教えん」
それ、おかしいです。
思い出したら、聞く必要ないじゃないですか。
私が困っているのが楽しいのか、陛下のしょんぼりはどこかに行ってしまった。
目にするたびに、そこだけは年相応だと思わせる、悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
謎は残ったままだけど、そのことにはホッとする。
私のために、陛下のお心を煩わすなんて、やはり心苦しいもの。
「お待たせいたしました」
ほどなくして、私の目の前には、皮の剥かれていない様々な形の果実が並べられた。
そして、無造作に差し出されたのは小さな短刀。
「使え」
陛下は、実にあっさりと私にそれを手渡された。
「もぎたては無理でも、剥きたては可能だろう」
それはそうでしょう。
でも。
私は手渡された装飾の少ない実用的なそれを見つめた。
「どうした?」
「後宮は刃物厳禁と聞いております」
ここで刃を手にできるのは、皇帝のみだと聞いている。
後宮を取り巻くように立っている衛兵はもちろん剣を携えているが、一つしかない後宮への入り口を通る者は身分に関係なく、厳しい検査を受けて、刃物を持っていないかを確認される。
もちろん、私もその検査を受けたし、その時に小さな糸切り鋏でさえ持ち込んではならないと、きつく言い渡された。
「こんな小さなもの構わないだろう?」
そうは言われても。
私が固まっていると、陛下はクスリと笑い。
「俺がここにいる間、貸してやる。終わったら、俺に返す。これでどうだ?」
そんな風におっしゃる。
それなら、いいのかしら。
詭弁に思えなくもないけれど、でも。
「お借りします」
せっかくのお申し出を、私は受け入れることにした。
お借りした短刀を鞘から抜き、運ばれてきた果実を一つ手に取る。
どこかで冷やしてあったのだろう。
とてもひんやりとしている。
するすると皮を剥き、一口サイズに分けて皿に乗せる。
「器用なもんだな」
「ありがとうございます」
ひとかけらを口に入れた。
冷たい。
そして、みずみずしくて。
さすがは帝国に運ばれる極上品の味は素晴らしい。
満足して果実から目の前の方に視線を戻すと、陛下がじっと私を見ている。
もしかして、召し上がりたい?
私が剥いたものなど、お勧めしてよろしいのかしら。
「召し上がりますか?」
おずおず聞けば、陛下は頷いて口を開けた。
よく弟妹にも、こうして分け与えていた私は、あまり深くを考えず、そこに一欠けらを運ぶ。
「確かに、うまいな」
同意を得られて、つい笑みがこぼれた。
「これも」
陛下が今しがた口にされたものとは違う果実を手に取り、私に差し出す。
これはつまり、剥けということかしら?
受取り、皮を剥き、そして皿に盛って陛下の前に。
ところが陛下ときたら、また口を開けて、待ちの態勢。
小さな子供のお相手をしているようだわ。
私は先ほどと同じように、果実をそこに運んだ。
陛下がご所望の果実はとても果汁の多いものだ。
望まれるままに幾度と陛下の口元に運ぶ動きを繰り返すうちに、果汁が滴り、手首を伝う。
あ、と思うと、陛下の唇がそれを追った。
え?
これは何事?
一瞬、硬直したものの、私は慌てて手を引いた。
でも、ぐっと力のこもった手の平に握られた手首は、僅か揺らいだだけで捕われたまま。
陛下は、果汁を追うように私の手首から肘に唇を這わせ、しかも。
「……っや……」
戯れるように、時折舌で嘗め上げた。
なぜ……どうして、急にそうなるのですか。
この一週間、何もしないと約束なさってから、そんな素振りは少しもなかったのに。
眠る時だって、小さな子のように、シーツをポンポンと叩いて……あら?
今、何か思い出しかけた気が……って。
「……っ陛下!」
果汁を滴らせた指を、唇に含まれて舌を絡められ。
気のせいじゃなく、背筋がゾクリとして、私は半泣きで陛下を呼んだ。
陛下は、ようやく指を離し、唇の端を上げる。
先ほど見せた、悪戯めいたような。
でも、どこかに妙な色香を漂わす。
いったい、貴方は。
子供なの?
大人なの?
「いつになったら、俺はお前を味わえるんだろうな」
手を捕らえたまま、陛下は私をじっと見た。
また怖い、睨みつけるあの視線。
「……このような極上品を口にし慣れた方に、古びた果実など……」
情けないが、声が震えている。
はっきり自覚できるほど、瞳には涙が浮かんでいるし、きっと顔は紅い。
「俺には……未だ枝について、摘まれるのを待っているようにしか見えんな」
人が殺せるのではないかというような強い視線に射抜かれて、もう何も言えない。
どれぐらい時間が経ったのか。
ふと手首が解放された。
「時間切れか」
そう言って、陛下が立ち上がる。
ストンと体の力が抜けて、私は、その時になって自分が息をするのも忘れて、陛下の瞳に見入っていたことに気がついた。
「今夜はお前の部屋には行けそうにないな」
陛下が苦々しげに見やる先には宰相が、早くしろとばかりに待ちかまえている。
「行ってらっしゃいませ」
なんとか、気を取り直し、立ち上がり見送る態勢。
こここはさっさと立ち去ってもらって、気を落ち着けたいところ。
「ああ……行って来る」
陛下が頷きながら、寛がせていた衣服を直そうとされているのに気がつき、私はほとんど反射的に手を伸ばしてその衿元を整えた。
「お妃様」
侍女に声をかけられて、はたと気が付く。
しまった。
こういうことは、本来、侍女の仕事だわ。
これ、弟妹が多い長女の性だと思う。
何せ私には母親の違う者も合わせれば、妹9人と弟7人がいるのだ。
もちろん、世話をしてくれる侍女も乳母もいたけれど、それだけ大人数が一堂に会すると、手が回らないことも多くてついつい手を出してしまっていた。
でも、ここではそんなことする必要ないし、むしろしてはいけないのよね、きっと。
「申し訳ありません」
しかし、手を引こうとすると、また手首を掴まれ
「続けろ」
命じながら促すように胸元に手を導かれる。
良いの?
いえ、別にしたい訳ではないですよ?
側に控えていた侍女頭に問いの目線を向ければ、咎める風ではなく、二コリと微笑んだ。
どうやら許可らしい。
仕方なく、私は陛下の上着に手をかけ、ボタンを嵌めていく。
なんか……ちょっと……つい、指先が身体に触れたりすると、変な感じなんですけど。
ボタンを嵌め終え、皺を伸ばして。
結局、すべての身繕いを終える。
「今度は、俺が手伝ってやる」
はい?
何をですか?
着替え?
そんなの不要ですけど。
頭上からの声に、私は疑問符を頭に浮かべて、顔を上げた。
「脱がす方を、な」
陛下は身を屈め、私の耳元に囁くと、ついでのように頬に唇を掠めて離れた。
は?
何?
えーと、脱がす……?
「……っな……」
私が陛下の言葉の意味を察したのは、既に陛下が部屋を出ていき、更に侍女達も片付けなどでいなくなってからだった。
「……もう、や……」
私は、思わずその場にへたりこんだ。
心臓がバクバク跳ねあがる。
陛下が唇と舌で触れた私の指や腕が、急激に熱を帯びてくる。
キスが掠めていった頬に至っては、今そこに炎を灯しているように熱い。
なんだか。
もう。
初恋の君などというのは幻影で、私がいかにつまらない女かを陛下がお気づきになるまで、こんな心臓に悪いやり取りが続くの?
何かあるたびに、ああやって陛下は私に戯れられるの?
人生25年、何の免疫もなく過ごしてきた身には、刺激が強すぎます!
こんなの、身が持ちません。
「ああ、もう……するなら、なさっちゃって下さいって感じです」
侍女頭あたりが聞いたら、喜び勇んで準備しそうな私の言葉は、幸か不幸か誰に聞かれることなく、爽やかな青空に消えて行ったのだった。
結局、書いてしまいました。
このまま続けるとなると、いつまでR指定なしでいけるのかが、一番の心配です(笑)