その10
連載変更後、初投稿!
ようやく、だ。
10年という年月を経て、ようやく手に入れることができる……身も心も。
今夜のことを考えて、鼻歌でも歌いたいほどの上機嫌で執務室へと戻った俺は、そこで待っていた麗人を見た途端に嫌な予感に襲われた。
「お早いお戻りですね」
優雅な微笑みに縁どられた唇から告げられたその一言で、予感は確信になる。
「後宮に戻る」
短く言い放って、踵を返した俺の上衣がむんずと掴まれた。
昔ならば、首ねっこ。
しかし、今は背中。
いつの間にやら体躯の大小は逆転したが、この女との力関係に変化はない。
今の俺であれば、体力的にも権力的にも、何とでもできるだろうに、幼い頃から側付きとして仕えてきたこの騎士にはどうしてか刃向えない。
彼女に対する己の絶対的な精神的弱さを不本意ながらも認めて、大人しく足を止めて振り返る。
「俺の事情は分かっているな?」
通用しないだろうとは思いつつ、そんな風に訴えてみた。
「存じ上げておりますとも……ですから、2時間ばかりなら、待って差し上げようと思ってましたのに」
にっこりと上品な笑みを浮かべてはいるが、言うことは随分だな。
2時間?
なんなのだ、その具体的な時間は。
言っておくが、10年越しの想いの成就だぞ?
2時間で足りる訳が……と、そういう話をしているのではないな。
「こちらにいらっしゃったからには、今夜は後宮へのお渡りは諦めて下さいませね」
それは、つまり、夜通し俺に働けと、そう言っている訳か。
もちろん、必要であれば、一晩や二晩の徹夜は厭わない。
いや、今夜だってそもそも徹夜の心づもりは十分にあったのだ。
ただし、場所は執務室ではなく寝室、相手は姫騎士やら宰相ではなく正妃の予定だ。
「例の件は片付いた筈だろう」
かつては脆弱な皇太子のお目付役であった美少女は、今や、この国の外交の顔へと成長した。
美しい容姿と、毅然とした態度で、他国との調整に当たっている。
とはいえ、それは表。
裏では、この女は数多くの密偵を抱え、ありとあらゆる国の、どんな小さな反乱分子も見逃さぬとばかりに目を光らせている。
むしろ、そちらこそが、姫騎士の本分と言えるかもしれない。
先日の西方部族の謀反の企ても、この姫騎士殿の密偵が大いに活躍し、事なきを得た。
「はい。あれについては、以降何一つ問題ありませんわ」
姫騎士は、満足げな笑みを浮かべて、柔らかな声で報告をくれる。
世間では男ばかりでなく女をも魅了すると言われている姫騎士殿らしいが、俺に言わせれば、胡散臭いばかりの微笑みだ。
「別件か……何とかしろ」
できるものなら、しているだろう。
それが分かっていながら、一応は言ってみる。
「できるものなら、しております」
思ったとおりの返事が返ってきた。
姫騎士の笑顔は、絵画に描かれたもののように崩れない。
俺は、負けてなるかと、微笑みを返した。
「大丈夫だ。我が国の誇る姫騎士殿になしえぬことなどない」
彼女が自らここに来ているという時点で、既に彼女自身ではどうにもならぬ事態なのだ。
だが、我ながらの往生際悪さを思いながらも、言わずにはいられない。
常ならば、すぐにもその事態に対応する。
しかし、今夜は常ではない。
俺の人生の一大事だ。
それを察して欲しいところなのだが。
「いいえ、陛下」
姫騎士の唇から笑みが消えた。
真摯なばかりの瞳が見上げてくる。
ああ、負けたな。
この瞳が見つめてくるだけで、俺はそれを認めざるを得ない。
「陛下のお力が必要なのです」
そんな風に言われれば、否と言える筈がない。
この女がどれほどに国を、世界を思い、平和を保たんと心を砕いているか、俺は誰よりも知っている。
そして、俺もまた、この女に負けぬ程にそれを願っていることに偽りはない。
だから。
「……話せ」
手近な椅子に座り、話の先を促した。
姫騎士の語るそれに、俺は舌打ちしたい思いを抑え込み、ただ静かに聞き入った。
次から次へと聞こえてくる大小の隷属国、同盟国の反旗の兆し。
分かっているのだ。
俺は、皇帝として位を継承したばかりの若輩者だ。
他国にとっては未知数の王だ。
この王は、属するに値するのか、反旗を翻しとって代るべきなのか。
老獪な王達に、俺は試されている。
だから、出てきた問題には一つ一つ根気良く対応して、実績を築いていかなければならない。
それは、分かっているのだが。
最も大きな同盟国の一つに不穏な動きあり、とのこの報告はタイミングが最悪だった。
どうして、1週間ばかり後にしてくれぬのか。
思わず、抑えきれないため息が零れる。
どうやら、姫騎士の言うとおり、しばらくは後宮に渡るどころではなさそうだ。
諦めのそれに、控えていた宰相が、そっと申し出る。
「妃殿下の元に遣いを送らせましょうか?」
俺は、ちらりとこれもまた、他国の王達に負けぬ、この国一番の老獪な側人を見遣った。
正妃と俺の状態を、どこまで知っているのか。
細い目元には、静かなものが湛えられているだけで、その心中は分からない。
「陛下はひと月ばかり、執務室にお籠りになるとお伝えしては?」
答えぬ俺の代りに、横から姫騎士が口を出す。
ちょっと、待て。
ひと月だと?
冗談だろう?
そんなに忍耐が続くものか。
「1週間だ」
姫騎士がサラリと言ってくれた言葉を、俺は即座に否定した。
そうして、手元の書類を引き寄せる。
「1週間で終わらせる」
宣言。
そして、後は黙々と書類に目を通しつつ、頭の中で同盟国との駆け引きを組み立てていく。
こちらの国の不利にはならぬように。
だが、あちらの国のメンツを潰さぬ程度に。
友好を保つ道を探る。
「今も昔も、あの方は……極上の餌ですわねえ」
そんな言葉が聞こえてきた。
あの方とは、もちろん後宮の最高位に位置する……正妃。
彼女が極上の餌とすれば、俺は馬か?
餌にありつきたいならば、走り続けろと言う訳か。
無礼極まりない言葉に、俺と姫騎士を小さい頃から知る宰相が苦笑いを零しているのが視界の隅を過ぎったが、俺はそれにも何も言わず、目の前の書面を睨みつけた。
彼女に初めて会ったのは、8歳の時だ。
元々、何かあれば熱を出すような身体の弱い子供だった俺だが、母を亡くして以来心までもが脆く、ともすれば後を追って儚くなりそうな様相だった、と当時を知る侍女頭は言う。
慣れ親しんだ侍女や乳母が一時と離れることなく世話をしてくれたが、俺の身体も心も一向に良くなる兆しはなく、己でも覚えているが、あの当時俺ははっきり言って子供らしい生き生きとした様子など欠片もなかった。
最初は静観していた父王も、さすがに見かねたのだろう。
父は療養と称して、一つの国に俺を送り込んだ。
最も友好な関係を築いていた国の一つ。
大国ではないが、豊富な資源と温暖な気候で、とても過ごしやすい国なのだ、と旅立ちに不安を隠せない俺に教えた。
そして、あの時、父王は言わなかったが、そこにはもう一つの思いがあったのだろう。
同年代の子供達と親交を深めていけば、多少なりとも心も立ち直るだろうと。
そんな期待を抱いていたに違いない。
しかし、こう言ってはなんだが、あの時の俺に対してそれは甘かったと言わざるを得ない。
俺は当時、同年代の子供達と対等に遊べるような、健やかな男児ではなかった。
かの国に到着し、王子達の元に連れていかれ、一緒に遊ぶようにと紹介されたところで……大体が兄弟もなく宮廷の奥で侍女達にかしずかれるばかりの俺にとって、大人数で遊ぶこと自体が未知の世界だったのだから……とてもではないが、それは無理な話だった。
王子達は決して俺に乱暴を働くこともなければ、故意に意地悪をすることもなかった。
だが、当時の俺は、同年代の男児に、体力的にも精神的にもついていけるような状態ではなかったのだ。
あの時も、王子達に混じって、俺は庭を駆け回っていた。
正確に言えば、もう国に帰りたいばかりの俺を、王子達が引きずりまわしていた。
俺が帝国の皇太子だとも知らされていなかった彼らにしてみれば、ひ弱で愚図な俺は父親から手渡された少々扱いづらい厄介な玩具のようなものだったのかもしれない。
それでも、一緒に遊んでくれようとする意思はあったようだ。
一緒になって、庭を走らされ。
だが、俺は一人疲れ果て。
情けなくも、最終的には盛大にこけた。
それまで必死に抑え込んでいたものが溢れて、不本意ながらも涙が零れた。
それを見て、王子達が大笑いをしているところに、彼女が現れたのだ。
「いい加減になさい!」
幼さの残る、だが、凛とした声が庭に響き、ピタリと王子達の笑い声が止まる。
「大姉様だ!」
一人が叫ぶ。
「わーい! 一の姉様だあ!」
王子達がこぞって声の方へと走り出す。
俺は痛みを堪えてなんとか身を起こして、振り返った。
「わーい! ではありません」
現れた女性の口調は、少しばかり悪さをした時に叱る乳母のような響きを持っていた。
おとなの人?
だが、身体の大きさは、駆け寄る王子達の年長者とさほども違わない。
彼女は、飛びつこうとする年長者の頭をパコーンと小気味良くはたいた。
そして、一列に並んだ王子達の額を一つずつ、ピンっと指先で弾いて。
「小さな子には優しくなさいといつも言っているでしょう!」
ピシャリと厳しい声が庭を埋める。
小さな子、というのが俺のことだと思い至って、なんだかとても恥ずかしかった。
急いで、立ち上がって、汚れた服を手で払う。
「意地悪なんて、してないよ!」
王子の一人が、彼女に訴えている。
確かに、意地悪をされている訳ではなかった。
単に俺がひ弱なだけで……と思ったら、また泣けてきた。
「分かっているわ。でも、こちらの方と貴方達は同じではないのだから」
彼女は言うと、俺に近付いて来た。
俺は、彼女をじっと見つめた。
乳母や侍女程に大人ではないようだ。
俺の側付きの少女と同じ年くらいだろうか。
だが、その側人よりもずっと小さい。
俺も年の割に小柄だったが、その俺よりせいぜい頭一つ大きいだろうか、というくらいだ。
「ごめんなさい。決して、貴方に意地悪をしているつもりではないのです。兄弟が多いせいか、ちょっと粗野な子達で」
先ほど庭に響いたものとは全く違う、耳に優しい心地よい声だった。
そう言っている最中に俺の全身を見ていた彼女の視線が、膝あたりで止まる。
すっと彼女の姿が目の前から消えて、慌てて探せば、己の前にしゃがみ込んで膝についた土を払ってくれている姿を見つけることができた。
「血が出てますね……あちらで傷の手当をしましょう」
彼女は、勢いよく立ち上がり、俺の手を握った。
柔らかな手のひらは失った母親のものよりも少しふくよかで、だが同じくらいに温かだった。
「……大丈夫です」
答えながらも、彼女が歩き出すのに合わせて足を進めかけると。
「すまなかった!」
背後で王子が叫んでいるのが聞こえる。
俺は振り返って、小さく頷いた。
そして、隣の女性を見遣る。
「貴女は、あの子達の姉上なのですか?」
彼女は俺に視線を合わせてから、にこりと笑って答えた。
「そうです」
和む瞳はセピア色。
珍しくない色だが、どうしてか心に残る彩り。
「……たくさん弟君がいらっしゃるのですね」
歩き出して瞳が逸らされてしまったことを、どうにも残念に思いながら話かけると、彼女は少しだけこちらに視線を向けて、答えてくれる。
「そうですね。あの子達以外にも弟がまだ2人おります。妹もたくさんおりますし」
たくさん兄弟がいるな、とは思っていた。
しかし、紹介されたのは王子ばかりで、まだ他に姫君までもが何人もいるのだと、俺はその多さにびっくりする。
「私は兄弟はいないんだ」
今までそれが普通のことだった。
なのに。
急にそれがとても寂しいことのように思えてきて、せっかく彼女を見るために上げていた顔を伏せてしまった。
彼女は足を止めた。
不審に思って顔を上げると、彼女が俺を見ていた。
自分がどんな顔をしているのか分からなかったが、彼女見たさに俯かずにいると、彼女は微笑んだ。
ふわりとそよ風が吹いた気がした。
「……赤子をご覧になったことがありますか?」
急な問いかけに思えたが、俺はすんなりとそれに応えていた。
「見たことはありません。赤ん坊がいるのですか?」
赤ん坊、というものがこの世に存在することは知っている。
自分よりもとても小さくて、とても弱い生き物だとも。
だが、それは未知の生き物だ。
「はい……6番目の妹が先日産まれたばかりです」
彼女は、そう教えてくれてから、少し首を傾げるようにして尋ねて来る。
小さいけれど、大人。
彼女について、そう思っていた俺だったが、そんな仕草を見た途端、ずっと自分に近いような気がした。
「ご覧になりますか?」
「良いのですか!?」
俺は思いがけず、己自身が驚くほどの大きな声で勢い良く尋ね返していた。
彼女は知らないだろう。
先ほどからの一連のこの会話。そして、俯かない俺。
国から付いてきている護衛軍団が側にいたら、目を丸くしていたに違いない。
俺は普段、グズグズと言いたいこともまともに言えず、下ばかりを見ているような子供だったのだから。
なのに、今この時は当たり前のように。
彼女を見たいがために、背筋を伸ばして顔を上げ、彼女と会話をしたいがために、声を出している。
「会いに行きましょう」
彼女は俺の手を引いた。
俺はギュッとその手を握り返す。
「でも、まずは傷の手当てですね」
大きく頷いて、笑みを返した。
それは、この国に来てから……いや、母を失ってからの、初めての笑みだったかもしれない。
それから、俺はその少女と一日の大半を過ごすようになった。
絵本を読んでもらった。
お伽話を話してもらった。
もっと幼い子供がしてもらうことだと分かっていても、彼女の声がとても心地良くて。
添い寝や、膝枕で、昼寝をしたりもした。
せがめば彼女は応じてくれた。
今となって考えてみれば、よくぞ誰も咎めなかったものだ。
8歳とは言え男児が、一国の王女にせがむものとしては、少々度が過ぎていたと思う。
それだけ、俺が当時貧弱なばかりの子供だったということか。
とにかく。
そんな風に過ごしているうちに、気がつけば俺は彼女の弟達とも対等に遊べるようになっていた。
かの国に滞在したのは、実際2週間ばかりだったと記憶している。
国に帰る時は、父王が迎えに来たのだが、それでも、俺を含む一団がどこの国の何者であるかは王家の子供達には知らされていなかったようで、別れ際の王子達の見送りは親しくなった友人に対するもの以外の何でもなく、俺は産まれて初めて同年代の友人というものをあの時に得たのだ。
彼女はたくさんの王族の中に紛れて、丁寧な礼を一つくれただけだった。
客人として訪れた子の面倒を見ることは、彼女にとって極々当たり前のことで。
俺は決して特別ではなかったのだろう。
馬車から飛び降りて、彼女に何かを言いたかった。
だが、次に会う約束などできる筈もなく。
また、どんな約束をすれば良いかも分からなかった。
何もできないままに、動き出した馬車の中、俺は隣に座る父に尋ねた。
「……父上、あの人にずっと側にいてもらうためには、どうすればいいのかな」
あの人、と言っただけだったが、俺の状況の報告をつぶさに受けていたのであろう父は、それが誰だかすぐに思い至ったようだ。
「あの姫君か?」
「うん。側にいて欲しいんだ」
すぐに答える。
いつもグズグズとして、はっきりと物を言うことさえままならなかった俺が、強い意志をもってそう答えたことに父は少々面食らったようだ。
だが、すぐに理知的な笑みを浮かべて、真摯な答えをくれた。
「小国とは言え、一国の姫君だ。侍女という訳にはいかんな」
その答えは、俺の望むものではなかった。
侍女……側にいて、俺の世話をする者。
違う。
それでは、だめだ。
「侍女ではだめだよ。それでは、他の者があの人に触ってしまうから」
そうだ。
城に仕える侍女達には、不埒な貴族の誘いが後を絶たないことを俺は知っていた。
それに、年頃になれば、どこぞに嫁いでしまうこともあり得るだろう。
「お前……それは」
父親が尋ねたいことが分かって俺は続けた。
「誰にもあげたくないんだ。僕だけの人にしたいんだよ」
そうなのだ。
「ずっと側にいて欲しい」
あの人に側にいて欲しい。
あの人に触れて、触れられて。
他の者になんて、決して譲れない。
「どうすれば良いんだろう」
あの時の幼い俺は、まだ分かっていなかった。
それが、独占欲であり、情欲さえ伴っていることを。
「……ならば、妃として迎えれば良い」
やがて、父は俺に一つの答えをくれた。
「妃?」
「そうだ。私がお前の母を妃に迎えたように、お前はあの姫君を妃に迎えれば良い」
父には後宮に多くの妃がいた。
俺の母もその内の1人であったが、父王が是非に請うて召し上げた身分の低い女性だった。
父も己のように、側にいて欲しいと願ったのか。
こんな風に、どうしてもと……そして、ふと、気がついた。
俺は、母を失ったことに打ちひしがれていたが、父もまた最愛の妻を失ったのだ。
だが、その辛さを表に出すことなく、毅然とそこに在る。
それは、この父が。
「だが、そのためにはお前は皇帝にならねばならぬ」
そうだ。
皇帝だからだ。
「強く、賢い王にならねば、姫君はお前の妃にはなってはくれぬだろう」
「……父上のように? そうしたら、あの人は、母上のように妃になってくれるの?」
父は頷いた。
父は大きく、強く、賢い。
それに引き換え、己はなんと弱々しくみすぼらしいか。
皇帝などと地位には似つかわしくない。
だが、それが彼女を手に入れる手段であるならば。
「なるよ」
俺はきっぱりと答えた。
「絶対に皇帝になる。なってあの人を妃にするんだ」
父王は微笑んだ。
「そうか……お前がそう決めたならば、私も約束しよう」
そう言って、大きな手のひらを丸めて、小指だけを差し出す。
「お前が立派な皇帝となったならば、必ずあの姫君をお前の妃に迎えられるように、かの国の王にお願いしておこう」
俺の親指ほどもあろうかという小指に、自身の細い小指を絡める。
いつか、この父王を凌ぐ王に……男になろうと誓う。
「はい」
俺の、怒涛の努力の始まりだった。
なるほど。
確かに、あの頃から彼女は極上の餌だった訳だ。
結局、これが最後と伝令を送り込むことができたのは、7日目の深夜だった。
あちらの出方次第でどう動くかを綿密に確認してから、この7日間まともに寝ていない老若の家臣たちを下がらせた。
残っているのは、話を始めた時と同じ、姫騎士と宰相のみの状況に幾らも気が緩んだ。
椅子に座ったまま瞼を伏せれば、急激な眠りに襲われる。
「陛下? 後宮でお休みになっては?」
俺にそう尋ねてきたのは、寝不足にも負けず矍鑠とした様を崩さぬ宰相だった。
狸爺め……お前は何をどこまで知っているのか。
「……昼間からすることではないと言われたのだが」
何がと具体的に言うのは避けたものの。
ぼんやりと明けつつある空を窓の外に見つけて、半ばやけくそのような想いで俺は呟いた。
「朝はどうだろうな?」
「だめでしょうね」
即答は姫騎士。
さすがに寝不足を隠せない表情ながら、きっぱりと言う様は……こんな会話であっても、美しく毅然としていて少しの遜色もない。
「だろうな」
俺は椅子に沈んだ。
しかも、伝令が伝えたことに相手国が異議があれば、また宰相とにらめっこだ。
後宮に渡って、なんとか説き伏せて、寝台にもつれ込むことができたとして、だ。
途中で邪魔が入るような羽目には陥りたくはない。
となれば、返事を待つしかないではないか。
この和睦に異議を申し立ててきたら、いっそ、軍を率いて攻め込んでやろうか。
そんな物騒な思考さえも浮かんでくる。
もっとも、戦にでもなろうものならば、それこそこの城に帰ることさえままならなくなるだろう。
何よりも、あの心優しい正妃が戦など望む筈もない。
戦を起こす愚帝などと一旦思われたならば、彼女はあっさりと俺を見捨てるだろうか。
「1週間では終わらなかったか……俺の能力もたかが知れてるな」
寝不足で少々軌道を外れた思考に修正を行いながら、ついつい零せば、苦笑いを浮かべた姫騎士が慰めをくれる。
「私は1か月を覚悟しておりました」
結局、眠ることもできず、ついでとばかりに姫騎士と宰相を相手に各国の状況を確認しながら、我が国の行方を語ること丸一日。
「陛下!」
勢い良く若い家臣が執務室に駆け込んでくる。
「先ほど伝令が帰り、全面的に和睦を受け入れると報告がございました!」
ほっとした空気が部屋に広がる。
どうやら、今回もなんとか俺はやり遂げることができたようだ。
「……おい」
ふと思いついて、傍らの宰相と姫騎士に声をかける。
「はい」
「この10年、俺はどうだった?」
10年。
母を失ってからの時間であり。
あの少女に出会ってからの年月。
「とても精進なさり、立派になられました」
宰相が答える。
休みなく努めてきた。
立派な王になるのだ、と。
それは最初は一人の女性を手に入れるためだった。
だが、途中から、それだけではなくて。
立派な王になり、争いのない、飢えのない、平和な世界を作らんと。
いつからは、それを真に望み、勤め、励んできた。
何一つ代償を求めることなく。
かの女性を妃に迎えることとは別の次元で。
己は在るべき皇帝で在らんとしてきたのだ。
それは自信を持って言える。
だが、今は。
「褒美が欲しい」
「褒美、ですか」
そう、今は褒美が欲しい。
昔も今も、変わらないたった一つ。
「それは、私どもよりお妃様にねだられては」
訳知りの麗人が、首を傾げて進言する。
「そのために、だ」
「……何をお望みですか?」
10年目にして、俺は初めて家臣たちに褒美というものを望んだ。
え?
ここまでですか?
マジですか?
いや~~連載ですから!(開き直るな~!)