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 ピピピピピ、という電子的な音が寝室に響く。シングルベッドが二つ並んだだけの小さな部屋だ。そのうちの一つからニュッと伸びた手が、ベッドサイドのテーブルにおいてある携帯端末に伸びて、音を止める。次いでもぞもぞと動いた毛布の中から顔を出したのは、まだ眠たげに目を半開きにしたままのアルカだった。

 少し眉毛が不快げに歪んでいるのは、アルカがこの電子的な音が好きではないからだ。にも拘わらずアラームに採用しているのは、一緒に住んでいる姉であるナナセ・トドロトが「この音が頭に響いてきて、目覚ましに最適なんだよ」と言っていたからだ。

 それを聞いてからはむしろ、


(こうやって少し耳障りだと思うくらいが、目覚ましにはちょうどいいのかも。さすが姉さまだ)


と採用してしまうくらいには、アルカにとってナナセの言葉は絶対だった。

 そのナナセが寝ている筈のベッドは、もぬけの殻だった。彼女が早起きであるという訳ではないのはアルカも良く知っていた。


(また事務所に泊まり込んだんだ……)


 仕事の虫とでもいうのか、ナナセは放っておけば事務所の奥の自分のスペースで端末に向かって何をしているのかキーボードをカタカタと叩いており、眠くなれば仮眠室で横になるという生活をしていた。それは健康に悪いからと、実家を出て姉の事務所に転がり込むことになったアルカが、強引に自分と姉の同居住宅を借りたのがこの家だった。

 姉の健康のためとは言いつつ、数年間離れていた姉と住めることにテンションが上がり、やや浮足立ってしまった事はアルカにも否定できない。しかしナナセもここを自宅として認識してくれ、基本的にはここで寝てくれるようになってくれただけでもアルカは大変な満足をしていた。


 昨夜、マルチナという魔法使いの話したそうな顔を振り切り、一人バイクで町、メビアまで帰ってきたアルカは、そのまま自宅で寝てしまった。十分な睡眠をとったつもりがまだ眠気が残っているのは、帰りが想定よりも遅かったのかもしれない。


(時計を確認してなかったからな)


 欠伸をしつつ部屋を出たアルカがまず向かったのはキッチンだった。

 豆と水を元は姉の為にと買ってきたコーヒーメーカに、棚から出したパンをトースターにそれぞれセットして、洗面所に向かう。洗顔などの身支度をすませて戻る頃には、ちょうどトーストもコーヒーも良い香りをキッチンに漂わせていた。

 テーブルにトーストらを並べて椅子に座ると、アルカは冷蔵庫から取り出してきたバターをトーストに塗り、いちごのジャムをたっぷりとのせてかぶり着いた。「糖分は脳の休息にいいんだ」という姉の言葉のままに揃えてあるジャムだったが、今となってはアルカもその甘さに顔を綻ばせてしまう。いつもは砂糖とミルクを入れるコーヒーも、この時ばかりはブラックで飲んでジャムの甘さとのコントラストを楽しむのが、ここ最近のアルカの楽しみだった。

 昨夜はゴブリン退治という言ってしまえば野蛮ともとれることをしていたが、今はこうして文明の利器の恩恵を一杯に受けている。そのギャップに戸惑いをもったのは、アルカとしてもすでに昔のことだった。


 コーヒーの匂いが鼻をくすぐるのを楽しみながら、アルカはリモコンに手を伸ばしてTVをつけた。TVの中ではニュースキャスターが、シルヴァリア連邦議長がどうとか、その影響でアルメリアの企業であるディアニス・エンタープライズの株がどうとかと原稿を読み上げていたが、アルカの耳に何を残すでなく通りすぎていった。アルカはただ無音なのが嫌なだけで、BGM代わりでしかなかったのだ。

 ニュースをBGMにジャムを載せたトーストを咀嚼しながら、アルカはその脳内では昨日の事を思い出していた。


(あそこに寄ったのはたまたまだったけど、まあ、良かったかな)


 アルカがマルチナ達の戦闘に立ち会えたのは偶然でしかない。別の仕事の帰りに「そういえばゴブリン退治の仕事があったような」と思い立ち、立ち寄ってみたに過ぎない。実際にはマルチナ達がギルドから正式に仕事を受けていたのでアルカがそれに立ち入る義理は本来ないのだが、それで窮地にあったマルチナを助けられたのだから、まあ良かったと結論づけるのがアルカという少女、いや、女性だった。マルチナも誤解していたようだが、背が低い事から年少に見られがちだが、これでもアルカは23になる。


(まあ、怪我を負っても魔法で治療はできるだろうが……痛い思いをしないで済むならその方がよいしな)


 そんなことを考えているうちにトーストも片付き、コーヒーも飲みきる。簡単に後片付けをしてTVを消したアルカは、簡単な身支度をした後に玄関に向かった。特別な装備、骸装具であるコートなどを身に着けていく。トレードマークのように見えた大き目の眼鏡も、視力が悪いわけではなく、特別な力を込めた骸装具だった。そこに帽子をかぶれば準備も万端だ。

(姉さまに会える!)

 と、家を出て事務所に行こうとウキウキとしていたアルカだったが、一歩踏み出して気が付いてしまった。


(そういえば、ギルドへ昨日のやつを報告に行けと言われたんだった……)


 折角の良い気分だったところに水をさされた気になり、アルカは顔をしかめた。


 ***

 

 ギルドとは元来、人の集まりや組織を意味する汎用的な単語である。

 しかし現代では、ただギルドといった場合、冒険者ギルドを指す。それは冒険者ギルドが過去に、事実として人類を滅亡から救ったという絶大な功績を持つことが由来となっている。


 古代、すなわち大崩壊により三界が融合した直後の時代、人々は混乱の中にいた。多少文化が違う、というレベルであれば想像の範疇ではあったかもしれない。しかし、魔力を持たず科学技術を発展させてきた人間が魔法を使う人間を見れば、神に仕えて魔法を使う人間が魔獣のごとき存在を見れば、常に魔獣の危機にさらされてきた人間が機械仕掛けの乗り物を見れば。それは想像の埒外からきた化け物と考えても、非難はできないだろう。


 少しの時間を経て少しは落ち着きを取り戻したとしても、やはり人々はあたりの状況を知る事と己を守ることに精一杯で、とても他国と平和的なつながりを持とうと考える余裕はなかった。

 そんな人類の混乱期に現れたのが、大魔王と呼ばれる正体不明の存在である。人類殲滅を目的として動く大魔王の軍勢に対し、しかしそれでも人類は一枚岩に成れなかった。自国を守るために隣国と約定を色々と取り交わした結果、軍隊を使うことに非常に慎重にならざるを得なかったのだ。大魔王の軍勢が攻め寄せるたびに超法規的措置を他国との間に取り交わすだけの柔軟さを、人々はもっていなかった。


 もしそのまま進めば、人類は本当に絶滅していたかもしれない。しかしそこで現れたのが冒険者ギルドという名前の組織だった。

 冒険者ギルドは冒険者を「自分の行きたい場所へ冒険する者達」と定義し、国の枠組みを超えての行き来を、国の争いには絶対に加わらないという条件の元、如何な方法を使ったのか各国に認めさせたのである。

 自らを冒険者と名乗る武力ある者達を集め、国境に縛られない移動を可能とした冒険者ギルドは、連携した動きを可能として大魔王の軍勢に反攻することを可能としたのだ。

 そんな冒険者達の中からやがて”勇者”と呼ばれる存在が生まれ、大魔王を討ち果たす事に成功した。

 つまり事実として、冒険者ギルドは世界を救った組織なのである。


 現代においてギルドは、決して国の争いには関わらないという理念の元、冒険者と呼ばれる武力をもった存在を束ねる世界的組織となっていた。

 実際の仕事は民間からの依頼を受けて動く、いわゆる”何でも屋さん”などと揶揄されることがあるものの、やはり国に属さずして働いてくれる存在としてありがたがられていた。

 「自分の行きたい場所へ冒険する者達」という定義は今もなお残っており、ギルドに属することを証明するライセンスカードは、国家間を旅する上でのパスポートにもなった。また現代においては、人を害する魔法を無断で習得し使用することは違法にあたるが、ギルドのライセンスカードはそれの許可証にもなった。


 アルカが振るうのは骸装士としての力で、当然それは規制対象となる。地元であれば骸装士の組合に属していたし、国内もう少し頑張れば少なくともザルバディカ大陸内であればその力の行使は問題がなかった。

 だが大陸を飛び越え聖アルメリア合衆国という外国に来てしまえばそれは通用しない。そこでアルカは、世界的組織であるギルドに属して、そこのライセンスカードを取得することを選んだのである。

 なおアルカは地元で一定の評価を受けており、それを考慮しないほどギルドは柔軟性に欠ける組織でもない。なにせ世界的組織なのだ。そういったライセンス書き換えの話など当然のように存在する。故にアルカは、本来であればもっと上のランクのライセンスをとれる筈ではあった。

 が、地元組織の紹介状をもってギルドを訪れたアルカは、それに「七骸」の名を記載されていた事にキレた。アルカは元々その器用貧乏を揶揄される名前である七骸という二つ名から逃げる為に外国にまで来たつもりがあった。しかしそれが当然のように記載され、新天地である筈のギルドで知られてしまったのである。

 そこまでで終わればよかったのだが、怒り心頭であったアルカはギルド職員の手から紹介状を奪うと、目の前で怒りのままビリビリに破いてみせてしまったのだ。

 そうなってしまってはギルドとしても見習いたるFランクから始めてもらわざるを得ないし、なによりギルド職員の目の前で怒りに任せて動いてしまったのが、心象が悪すぎた。

 よってアルカは、ギルドからの冷たい目線の中で身をすくませながらも、しばらくはFランクとして働かざるを得なくなったのである。


 もちろんFランクとしての仕事をこなし実績を積み上げて実力を示せば、ランクを上げることは可能である。そこでFランカーとしての仕事を回されてこなすのだが、そもそも実力的にはもっと上のランクであってもおかしくないアルカである。言ってしまえば張り合いのない仕事ばかりを回される事になり、やる気もでずにダラダラと仕事をこなすことになった。そしてそれをギルド職員に見られ、また評価が下がる悪循環――。

 アルカにとってギルドとは、そういうあまり仕事に身を入れられない職場となっていた。


 そのため、昨日のゴブリン退治について報告するも、無気力な態度に今日も担当のギルド職員ダニエルを怒らせる始末であった。

 パーティションで区切られた区画でテーブルを挟んだ前に座る、背広を着てクタイをきれいな形にすることに命を懸けているようにも見えるダニエルにとっては、アルカの態度は許容できるものではないとはわかるが、それでも改善しようという気力すら湧いてこないのが今のアルカだった。

 一応仕事だからと務めて冷静に対応はしてくれつつも、明らかにお役所仕事すぎる態度を見せるダニエルだったが、それに対してアルカも何を思うでもなく。

 ただ淡々と事務処理されるだけというのがいつもの流れではあったが、帰り際に珍しく「そういえば」とダニエルが言葉をかけてきた。


「あん?」

「……君らに依頼があるという人がいる。取次だ」


 アルカの返事に再度思うところがあったのか言葉につまったダニエルだったが、すぐに次の言葉を口にしてきた。


(あれがアンガーマネージメントって奴か)


 少し感心しながらダニエルが指し示す方を見ると、そこにはきっちりとスーツを着こなした若いビジネスマンがいた。スーツを着ているのはダニエルと同じ方向性に見えるが、こちらの方がやや高級感のあるスーツだった。仕事着として着てはいるのだろうが、どこかオシャレに見えるのは、服のためかそれとも本人の着こなしなのかは、アルカにはわからなかった。

(ふーん、新しい依頼者か)

 基本的にはギルドに集まった依頼を回してもらうことも多いが、こうして依頼者と引き合わされることもないではない。別段珍しい事もなく特別な感想も持てないアルカだった。

が、


「どうも。ラペルといいます。今回依頼をさせていただくわけですが、その前にお伝えさせていただくと、実は君の姉であるナナセと知り合いで――」


(――姉さまを狙う男っ⁉)


ラペルの発した言葉にアルカの中で急激に男に対する警戒心が上がった。

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