表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/9

お熱が出たので、今日は特別に「甘えん坊デー」とします

 舞踏会の翌朝。

 いつもの時間になっても、クロードが起きてこなかった。

 几帳面な彼にしては珍しい。昨夜の大立ち回りで疲れてしまったのだろうか。


 私は様子を見るために、彼の寝室の扉をノックした。

 返事がない。

 そっと扉を開けると、天蓋付きのベッドの中で、クロードが苦しげに荒い息を吐いていた。


「クロード様!?」


 駆け寄って額に手を当てる。熱い。火がついたような高熱だ。

 純白のシーツの上で、彼は頬を紅潮させ、うわ言のように何かを呟いている。


「……エレナ……行くな……」


 すぐに専属医を呼び、診断してもらった結果は「過労と心労による発熱」だった。

 要するに、慣れない人混みと、王族への緊張、そして精一杯の愛の告白(?)でキャパシティオーバーを起こしたのだ。


(なるほど。遠足の翌日に熱を出す園児と一緒ね)


 私は医師を下がらせ、濡らしたタオルと氷嚢を用意した。

 使用人に任せてもよかったが、今の彼には精神的なケア(安心感)が必要だと判断したからだ。


「……う……ん……」


 クロードが薄目を開ける。

 いつもの鋭い眼光はどこへやら、熱に潤んだ瞳はとろんとしていて、無防備な子犬のようだ。

 私が額のタオルを交換しようとすると、熱い手が伸びてきて、私の袖をきゅっと掴んだ。


「……どこへ……行く……」

「どこにも行きませんよ。お水を替えに行くだけです」

「……だめだ……ここに、いろ……」


 弱々しい声。

 普段の「視界に入るな」という暴言が嘘のような、完全な甘えん坊モードである。

 これは、すごい。

 破壊力が凄まじい。

 私は母性本能と、庇護欲という名のマウント欲をくすぐられまくった。


「はいはい、分かりました。ずっとここにいますからねー」


 私はベッドサイドの椅子に座り、彼の手を握ってあげた。

 すると、クロードは安心したようにふにゃりと笑い、また眠りに落ちていった。

 か、可愛い……。

 これなら毎日熱を出してくれてもいいかもしれない、なんて不謹慎なことを考えてしまう。


◇ ◇ ◇


 昼時になり、クロードが再び目を覚ました。

 少し意識がはっきりしたようだが、まだ熱は高い。


「お食事にしましょうか。消化の良いミルク粥を作らせましたよ」


 私がスプーンで粥を差し出すと、クロードはプイと顔を背けた。


「……いらん」

「食べないと元気になりませんよ。一口だけでも」

「……やだ。そんなの、嫌いだ」


 出た、病気の時のイヤイヤ期。

 身体が弱ると精神も退行する典型例だ。

 私はスプーンを戻し、優しく問いかけた。


「じゃあ、何なら食べられますか? 言ってみて?」


 クロードはもじもじとシーツを握りしめ、上目遣いで私を見た。

 そして、蚊の鳴くような声で言った。


「……ぐ……」

「ぐ?」

「……はん、ばーぐ……が、いい……」


――キタッ!!


 私は心の中でガッツポーズをした。

 仮説「夫=ハンバーグ大好き幼児説」が、本人の口から立証された瞬間である!

 高熱で理性のタガが外れた今こそが、彼の本音に違いない。


「分かりました! 任せてください、世界一美味しいハンバーグを持ってきますね!」


 私は弾むような足取りで厨房へ向かった。

 もちろん、普通の脂っこいハンバーグは病人には消化が悪い。

 私が作るのは、鶏ひき肉をベースに豆をたっぷりと使い、生姜を効かせた和風ならぬ前世風ハンバーグ。これなら消化に良く、栄養満点である。


 三十分後。

 特製ハンバーグを運んできた私は、ベッドの上で待ちわびていたクロードにそれを差し出した。


「さあ、あーんです」

「……あ、あーん……」


 クロードが素直に口を開ける。

 パクり。もぐもぐ。

 その瞬間、彼の顔がパァァァと輝いた。


「……うま」

「でしょう? 特別製ですから」


 結局、彼はペロリと完食し、満腹になってすやすやと寝息を立て始めた。

 私はその寝顔を見守りながら、「手のかかる子ほど、寝顔は天使なのよね」と感慨に耽っていた。


◇ ◇ ◇


 平和な時間は、唐突に終わりを告げた。


 バンッ!!


 乱暴に扉が開け放たれ、静寂が引き裂かれた。

 クロードがビクリと身じろぎする。

 私がムッとして振り返ると、そこには仁王立ちするミナの姿があった。

 後ろには、見慣れない男――黒い外套を着た、いかにも怪しげな医師風の男を引き連れている。


「ミナ様、静かにしてください。クロード様は今、お休み中なんですよ」


 私が小声で注意するが、ミナは聞く耳を持たなかった。

 彼女はベッドでぐったりしているクロードを指差し、金切り声を上げた。


「ほら! やっぱり! クロード様が意識不明になってる!」

「ただ眠っているだけですが?」

「嘘よ! 昨日まであんなにお元気だったのに、急に倒れるなんておかしいわ! 先生、診てください!」


 ミナに促され、怪しい医師がズカズカと部屋に入ってきた。

 私は止めようとしたが、医師は強引にクロードの手首を掴み、ほんの数秒触れただけで、大げさに首を振った。


「……これは酷い。脈が乱れている。瞳孔も開き気味だ。明らかに、毒物の反応が出ておりますな」

「はあ!?」


 思わず素っ頓狂な声が出た。

 何を適当なことを。ただの風邪、もしくは知恵熱だということは、かかりつけ医が証明済みだ。

 しかし、ミナは勝ち誇ったように私を睨みつけた。


「聞いた!? 毒よ、毒! やっぱり、あなたが盛ったのね!」

「何を根拠に……」

「動機ならあるじゃない! クロード様を言いなりにして、侯爵家を乗っ取るつもりなんでしょ!? 昨日の舞踏会でも、変な術を使ってクロード様を操っていたし!」


 ミナの理屈は支離滅裂だった。

 昨日の屈辱が、彼女の中で妄想と結びつき、「エレナ=悪女」という図式を完成させてしまったらしい。

 彼女は廊下に控えていた護衛兵たちに向かって叫んだ。


「衛兵! この女を捕らえなさい! 夫殺しの毒婦よ!」


 ガチャリ、と鎧の音が響く。

 護衛兵たちが戸惑いながらも、部屋に入ってくる。彼らは私の改革で信頼関係を築きつつあったが、ミナが連れてきたのは、どうやら彼女の実家から借りてきた私兵も混じっているようだ。


「……ミナ様。後悔しますよ?」


 私が静かに警告すると、ミナは狂気じみた笑みを浮かべた。


「後悔するのはあんたよ、地味女! クロード様は私が助けるんだから!」


 高熱で動けないクロードを守るように、私はベッドの前に立ちはだかった。

 冤罪。権力闘争の常套手段だが、まさかこんな子供じみたやり方で来るとは。

 けれど、状況は悪い。クロードは証言できない状態だ。


(……やれやれ。お昼寝の邪魔をする悪い子には、とびきりのお仕置きが必要ね)


 私は迫りくる衛兵を見据え、冷徹に計算を開始した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
侯爵家に誰の許可もなく、医者と衛兵を連れて踏み込み侯爵夫人を捕縛する男爵令嬢(笑) 「幼馴染」が通じるとでも思っているのかな?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ