お熱が出たので、今日は特別に「甘えん坊デー」とします
舞踏会の翌朝。
いつもの時間になっても、クロードが起きてこなかった。
几帳面な彼にしては珍しい。昨夜の大立ち回りで疲れてしまったのだろうか。
私は様子を見るために、彼の寝室の扉をノックした。
返事がない。
そっと扉を開けると、天蓋付きのベッドの中で、クロードが苦しげに荒い息を吐いていた。
「クロード様!?」
駆け寄って額に手を当てる。熱い。火がついたような高熱だ。
純白のシーツの上で、彼は頬を紅潮させ、うわ言のように何かを呟いている。
「……エレナ……行くな……」
すぐに専属医を呼び、診断してもらった結果は「過労と心労による発熱」だった。
要するに、慣れない人混みと、王族への緊張、そして精一杯の愛の告白(?)でキャパシティオーバーを起こしたのだ。
(なるほど。遠足の翌日に熱を出す園児と一緒ね)
私は医師を下がらせ、濡らしたタオルと氷嚢を用意した。
使用人に任せてもよかったが、今の彼には精神的なケア(安心感)が必要だと判断したからだ。
「……う……ん……」
クロードが薄目を開ける。
いつもの鋭い眼光はどこへやら、熱に潤んだ瞳はとろんとしていて、無防備な子犬のようだ。
私が額のタオルを交換しようとすると、熱い手が伸びてきて、私の袖をきゅっと掴んだ。
「……どこへ……行く……」
「どこにも行きませんよ。お水を替えに行くだけです」
「……だめだ……ここに、いろ……」
弱々しい声。
普段の「視界に入るな」という暴言が嘘のような、完全な甘えん坊モードである。
これは、すごい。
破壊力が凄まじい。
私は母性本能と、庇護欲という名のマウント欲をくすぐられまくった。
「はいはい、分かりました。ずっとここにいますからねー」
私はベッドサイドの椅子に座り、彼の手を握ってあげた。
すると、クロードは安心したようにふにゃりと笑い、また眠りに落ちていった。
か、可愛い……。
これなら毎日熱を出してくれてもいいかもしれない、なんて不謹慎なことを考えてしまう。
◇ ◇ ◇
昼時になり、クロードが再び目を覚ました。
少し意識がはっきりしたようだが、まだ熱は高い。
「お食事にしましょうか。消化の良いミルク粥を作らせましたよ」
私がスプーンで粥を差し出すと、クロードはプイと顔を背けた。
「……いらん」
「食べないと元気になりませんよ。一口だけでも」
「……やだ。そんなの、嫌いだ」
出た、病気の時のイヤイヤ期。
身体が弱ると精神も退行する典型例だ。
私はスプーンを戻し、優しく問いかけた。
「じゃあ、何なら食べられますか? 言ってみて?」
クロードはもじもじとシーツを握りしめ、上目遣いで私を見た。
そして、蚊の鳴くような声で言った。
「……ぐ……」
「ぐ?」
「……はん、ばーぐ……が、いい……」
――キタッ!!
私は心の中でガッツポーズをした。
仮説「夫=ハンバーグ大好き幼児説」が、本人の口から立証された瞬間である!
高熱で理性のタガが外れた今こそが、彼の本音に違いない。
「分かりました! 任せてください、世界一美味しいハンバーグを持ってきますね!」
私は弾むような足取りで厨房へ向かった。
もちろん、普通の脂っこいハンバーグは病人には消化が悪い。
私が作るのは、鶏ひき肉をベースに豆をたっぷりと使い、生姜を効かせた和風ならぬ前世風ハンバーグ。これなら消化に良く、栄養満点である。
三十分後。
特製ハンバーグを運んできた私は、ベッドの上で待ちわびていたクロードにそれを差し出した。
「さあ、あーんです」
「……あ、あーん……」
クロードが素直に口を開ける。
パクり。もぐもぐ。
その瞬間、彼の顔がパァァァと輝いた。
「……うま」
「でしょう? 特別製ですから」
結局、彼はペロリと完食し、満腹になってすやすやと寝息を立て始めた。
私はその寝顔を見守りながら、「手のかかる子ほど、寝顔は天使なのよね」と感慨に耽っていた。
◇ ◇ ◇
平和な時間は、唐突に終わりを告げた。
バンッ!!
乱暴に扉が開け放たれ、静寂が引き裂かれた。
クロードがビクリと身じろぎする。
私がムッとして振り返ると、そこには仁王立ちするミナの姿があった。
後ろには、見慣れない男――黒い外套を着た、いかにも怪しげな医師風の男を引き連れている。
「ミナ様、静かにしてください。クロード様は今、お休み中なんですよ」
私が小声で注意するが、ミナは聞く耳を持たなかった。
彼女はベッドでぐったりしているクロードを指差し、金切り声を上げた。
「ほら! やっぱり! クロード様が意識不明になってる!」
「ただ眠っているだけですが?」
「嘘よ! 昨日まであんなにお元気だったのに、急に倒れるなんておかしいわ! 先生、診てください!」
ミナに促され、怪しい医師がズカズカと部屋に入ってきた。
私は止めようとしたが、医師は強引にクロードの手首を掴み、ほんの数秒触れただけで、大げさに首を振った。
「……これは酷い。脈が乱れている。瞳孔も開き気味だ。明らかに、毒物の反応が出ておりますな」
「はあ!?」
思わず素っ頓狂な声が出た。
何を適当なことを。ただの風邪、もしくは知恵熱だということは、かかりつけ医が証明済みだ。
しかし、ミナは勝ち誇ったように私を睨みつけた。
「聞いた!? 毒よ、毒! やっぱり、あなたが盛ったのね!」
「何を根拠に……」
「動機ならあるじゃない! クロード様を言いなりにして、侯爵家を乗っ取るつもりなんでしょ!? 昨日の舞踏会でも、変な術を使ってクロード様を操っていたし!」
ミナの理屈は支離滅裂だった。
昨日の屈辱が、彼女の中で妄想と結びつき、「エレナ=悪女」という図式を完成させてしまったらしい。
彼女は廊下に控えていた護衛兵たちに向かって叫んだ。
「衛兵! この女を捕らえなさい! 夫殺しの毒婦よ!」
ガチャリ、と鎧の音が響く。
護衛兵たちが戸惑いながらも、部屋に入ってくる。彼らは私の改革で信頼関係を築きつつあったが、ミナが連れてきたのは、どうやら彼女の実家から借りてきた私兵も混じっているようだ。
「……ミナ様。後悔しますよ?」
私が静かに警告すると、ミナは狂気じみた笑みを浮かべた。
「後悔するのはあんたよ、地味女! クロード様は私が助けるんだから!」
高熱で動けないクロードを守るように、私はベッドの前に立ちはだかった。
冤罪。権力闘争の常套手段だが、まさかこんな子供じみたやり方で来るとは。
けれど、状況は悪い。クロードは証言できない状態だ。
(……やれやれ。お昼寝の邪魔をする悪い子には、とびきりのお仕置きが必要ね)
私は迫りくる衛兵を見据え、冷徹に計算を開始した。




