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03:魂喰いの呪い

 小屋の中には、ランプの揺れる明かりと薬草をすり潰す音が満ちている。


 エリアーリアは手際よく薬研を使い、乳鉢に移して薬草を練り上げた。

 ベッドに寝かされた青年は呪いの熱に浮かされて、浅い呼吸を繰り返している。時折、悪夢にうなされるように眉を寄せてはうわごとを呟いていた。


 エリアーリアは薬草を青年の傷に塗り込んで、それを触媒に魔力を込めた。

 彼女は植物と生命の魔女。魔力は純粋な治癒の光、生命の魔法となって、エリアーリアの指先から青年の体へと注ぎ込まれていく。


(治癒は得意。まだ死ぬべき定めではない動物たちを、何匹も癒やしてきた)


 傷口を浄化し、断たれた肉と骨を繋ぎ、命の力を与える。いつも通りの手順を冷静にこなしていく。

 けれどその瞬間、エリアーリアは未知の感覚に襲われた。

 傷を癒やすはずの魔力が、黒い茨の紋様に「喰われて」いく。乾いた砂が水を吸うように、注げば注ぐほど呪いは強く脈打った。まるで歓喜するかのように。


(私の生命魔法を、喰らっている? 魔力だけでなく、魔女の魔法まで?)


 エリアーリアの冷静さは、焦りへと変わった。こんなことはありえない。彼女の魔法は、命の力そのもの。それを糧とするなど、あまりに邪悪な術だった。



 呪いの脈動は強まって、青年は苦しげにうめき声を漏らした。シーツを強く握り締めて、もがくように身をよじっている。


 エリアーリアは彼の額の汗を拭う。


(まさか、私の――魔女の力が通用しないなんて)


 魔女の魔力は人間をはるかに凌ぐ。その強大な力で百年、森を護り侵入者を拒んできた。

 深緑の森にいる限り、エリアーリアはほとんど万能の存在だった。木々や獣たちは彼女にひれ伏して、彼女もまた彼らを慈しんで暮らしてきた。


 それがどうだろう。

 苦しむ青年を前に、彼女は無力だ。

 禁忌を犯してまで助けると決めたのに、何もしてあげられない。


 蠢く黒い茨から目を逸らして、青年自身へと注意を向ける。彼の苦しげなうわごとに、耳を澄ませた。


「兄上……。なぜ、ですか。私はただ国と民を……」


 途切れ途切れの悲痛な響き。


(兄? 身内に裏切られたというの? あなたは一体、何者?)


 彼の悲しみが、エリアーリアの心に染み込んでくる。

 魔女としての理性を超えた同情が、彼女の心に芽生え始めていた。





 エリアーリアは治療を一度中断すると、小屋の奥にある書棚に向かった。

 書棚には多くの薬草の瓶の他、古びた羊皮紙の巻物や革の装丁の古文書が並んでいる。彼女はその中から一冊、特に丁寧な装丁がされている分厚い書物を手に取った。


 それはかつて師である大地の魔女テラから写本を許された、魔女の叡智が詰まった古文書。禁術や呪詛についても記された、安易に開くべきではない知識の集積である。


 青年の言葉と、呪いの紋様。二つの情報がエリアーリアの頭の中で結びついていた。もう何十年も前にこの書物で学んだ、禁忌の魔法に関する記述の記憶。


(茨のような紋様。高貴な人間への裏切り……。まさか、あの禁術のはずがない。あれはただの伝説のはず)


 嫌な予感が確信へと変わっていく。動揺する心を押し殺して、目当てのページを探し始めた。

 ぱら、ぱらと乾いた羊皮紙をめくる音だけが、やけに大きく響いた。


 ランプの灯りの下、ついに目的のページが開かれた。

 そこには、今まさに青年の胸で脈打っているものとよく似た、黒い茨の紋様が禍々しく描かれている。


 エリアーリアは息を呑んだ。

 書物に記されていたのは、特定の血族だけを標的とし、その魂ごと喰らい尽くして存在を抹消するという、人間の闇魔術の極致――「魂喰いの呪い」。

 屍の魔女の魔法を応用し、古い時代の人間たちが編み上げた禁忌の魔術だ。

 書物には、あまりの悪辣さと強力さから、心ある人間の魔術師たちによって封印、破棄されたとある。 


(封印……。では、誰かが破棄された術を掘り返したのね。そしてまた、人を傷つけるために力を振るっている)


 エアーリアは書物を手に、青年の元へと戻った。

 書物によると、黒い茨は魔法陣でもある。対象の血族を指定し、相手を逃さないための術式が組み込まれているようだ。

 エアーリアは青年の茨に指を伸ばし、内容を読み取っていった。


「血族名、アストレア……!?」


 アストレアの名を関する一族は、一つしかない。この一帯を支配するアストレア王国、その王家の血。

 目の前の青年が、この呪いの標的となる高貴な血筋――アストレア王家の人間であるという事実を示していた。

 エリアーリアは思わず、先ほど青年の服から転がり出た指輪を見る。その紋章に見覚えがあった。そう確か、王家の。


 エリアーリアは古文書と、ベッドで苦しむ青年を交互に見つめた。

 彼女が森に招き入れたのは、ただの傷ついた人間ではなかった。王国の玉座を巡る血塗られた争いの渦中にいる、一人の王子だったのだ。


「アストレアの血脈を狙う呪いだというの? この国の王家の? そんな人間が、なぜ私の森に……王宮で、一体何が起きているの?」


 百年保たれた森の静寂が、今、崩れ始めようとしていた。


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