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旧講堂の拍手

 放課後の旧校舎。

 わたし、中峰陽子は、ほうきを手にぐったりと肩を落としていた。


「もうやだ……ほんとにやだ……」


 埃まみれの部室掃除。前回のペットボトル事件でクタクタなのに、麻衣はというと――。


「ほら! これで噂倶楽部の実績は二件目よ!」


 肩までの黒髪を揺らし、にこっと笑う麻衣。

 ほんと、空気を読まないというか、自信満々というか……。


「いやもう、辞めたいんですけど……」

「なに言ってるの! 青春は始まったばかりでしょ!」


 麻衣がロッカーから見つけたノートの一枚に、こんな走り書きがあった。


『旧講堂に響く拍手――それは観客のいない舞台に立つ者の、最後の声』


 ……いやいやいや! 最後の声って、どう考えてもヤバいやつでしょ!?


「よーし! 次の調査決定!」

「決定じゃないから! 即中止だからぁぁぁ!!」


 当然のように麻衣に引っ張られ、わたしは夜の旧講堂へ連行されることになった。



 旧校舎の隣にある旧講堂は、長い間使われていない。

 扉の前に立っただけで、背筋に冷たい風が吹き込むようだった。


 重たい両開きの扉に手をかける。

 ギィィ、と錆びついた蝶番が鳴り、隙間から冷気が押し寄せた。


「……うわ、臭っ……」

 湿った木材とカビの匂いが鼻を刺す。


 月明かりが割れた窓から差し込み、舞台には古びた幕が垂れ下がっていた。

 赤いはずの布は茶色に褪せ、破れ目から埃がはらはらと落ちてくる。


 観客席はほとんどが壊れた椅子。背もたれの板が折れ、布地は剥げ、木材は黒く染みている。

 でも――そこに、誰かがまだ座っているような錯覚がした。


「ひぃ……完全にホラー映画のセットじゃん……」

「いい雰囲気じゃない! 青春の舞台って感じ!」


 麻衣のテンションは上がる一方。わたしはすでに帰りたい。


 足を進めると、床板がギシ、と鳴った。

 天井の照明は当然落ちているのに、不意にどこからか微かなざわめきが。

 ……人の声? 風の音? どっちなのか分からない。


 舞台に上がろうとしたとき――。


 パチ……。


「え……?」


 たったひとつの拍手が、講堂に響いた。

 わたしの鼓動と同じタイミングで。


 次の瞬間――。


 パチ……パチ……。


「ひっ!?」


 今度は二拍。観客はいない。なのに、確かに舞台に向けられた喝采。


「すごいわ! わたしたち、スターになっちゃった!」

「やめて! 手振らないで! なんで煽るの!? ほら! 拍手増えてるじゃん!」


 パチパチパチ……。

 音は重なり、まるで満員の観客が座っているかのような錯覚を生む。


 足が重くなり、降りようとしても動けない。


「やだ……降りられない……」

「ふふっ、降りられないヒロイン! まさに青春よ!」

「助ける気ゼロぉぉぉ!?」



 突然、舞台にスポットライトが当たった。

 光が照らした先には、一冊の古びた本。


「……絶対嫌な予感しかしない」

「これは運命ね! 開けてみなさい!」


 恐る恐る手に取ると、それは芝居の台本だった。

 タイトルは――『王子と町娘』。


「うわぁ……」

 めくると、手書きの台詞が並んでいる。


 次の瞬間、拍手がひときわ大きくなり、まるで舞台に「演じろ」と迫ってくるようだ。


「えっ……やるの!? ほんとにやるの!?」

「当然よ! 青春は演劇から始まるの!」


 麻衣はノリノリで「王子役」を宣言し、わたしは否応なく「町娘」に。



 最初はただのコントだった。


「さあ、愛しき娘よ! この王子が迎えに来た!」


「棒読み!? しかも変なイントネーション!」

「ふふ、これはわざと。笑いを取る演出よ!」


「やめてぇぇぇ! 観客席ざわめいてるから!」


 見えない観客が「ブー!」と囁いている気がして、心臓が潰れそう。


 けれど麻衣は次第に真剣になっていった。


 声のトーンが低く落ち着き、仕草も自然に。

 まるで本物の王子みたいに、堂々とした演技を始めたのだ。


「……愛している。町娘よ。運命に引き裂かれても、私はきみを選ぶ」


 ――え。


 さっきまでの茶化した演技とは全然違う。

 ぐっと近づいてくる麻衣の熱に、わたしの喉はカラカラになった。


 けれど、違和感があった。


 麻衣の瞳が、舞台のライトを映すようにぎらぎらと輝いている。

 その真剣さは、わたしを見つめているというより――観客席に向けられているみたいだ。


「えっ……ちょ、待って。麻衣……?」


 心臓が跳ねるのは、近づかれてドキドキしたせいだけじゃない。

 ――これ、麻衣が自分の意思でやってるんじゃない。


 気づいた瞬間、背筋に冷たいものが走った。

 彼女は、あの“拍手”に取り込まれかけている。

 観客に応えようとする気持ちが、怪異に利用されているんだ。


「どうしよう……止めなきゃ……でも、この舞台から降りられない……!」


 喉がつまって声が出ない。

 麻衣の演技はますます真に迫り、拍手もどんどん熱を増していく。

 舞台全体が、わたしたち二人を芝居に閉じ込めようとしていた。



 必死に考える。

 ――拍手。これは、喝采。けれど同時に“終わり”の合図でもある。


 でも今のこれは、わたしたちを讃えているんじゃない。

 観客のいない客席から沸き起こる喝采は、わたしを飲み込み、押し潰そうとしている。


 パチ……パチ……パチパチパチパチ――!!


 音は次第に早まり、重なり合い、まるで無数の手が一斉に叩きつけられているように響く。

 鼓膜が震え、胸の奥まで響き渡る。

 声にならない囁きが混じって聞こえる。


『もっと演じろ』

『最後までやれ』

『終わりは許さない』


 影の観客たちが、形を持ち始めていた。

 空っぽだった椅子に、黒い人影がずらりと並び、無表情の顔で舞台を見上げている。

 無数の目が、わたしに釘付けになっていた。


「や……やだ……」


 逃げたいのに足が動かない。

 心臓が破裂しそうなほど鳴って、汗が背中を伝う。

 ――このままじゃ、わたし、本当に舞台に取り込まれる。


 そのとき、頭に浮かんだのは、さっきまでの芝居だった。

 町娘が苦しみながらも、最後に観客へ向けて深く礼をして幕を閉じる……そんなラストの一節。


「……そうだ……」


 終わりを告げるのは、観客じゃない。演じるわたし自身だ。

 それを思い出した瞬間、震える足に力が戻る。


 わたしは舞台の中央に立ち、深く頭を下げた。


「――ありがとうございました!!」


 叫ぶように、声を張り上げた。


 その瞬間、拍手がぴたりと止んだ。


 静寂。


 最後の一拍が木霊のように講堂に残り、ゆっくりと消えていく。

 観客席の人影は、一体また一体と溶けるように消え、最後には空っぽの椅子だけが並んでいた。

 幕の裏に見えた影も、拍手の残響とともに霧のように散っていく。


 重苦しかった空気がすうっと軽くなり、月明かりが舞台を照らし返した。

 もうそこには、ただ古びた講堂が残っているだけだった。


 ――終わったんだ。


 膝が震え、息が一気に抜けていく。

 胸の奥に残るのは、恐怖と安堵がごちゃ混ぜになった感覚だった。



「はぁぁ……生きてる……」

 その場にへたり込み、全身の力が抜ける。


 麻衣はというと、満足そうに笑っていた。


「やっぱり陽子、座長の器だわ!」

「いやいやいやいや!! 副部長で十分だから!!」


 必死に叫んだ声が舞台に虚しく反響する。

 鼓動はまだ早鐘を打っていて、足も震えて立ち上がれない。


 麻衣は何事もなかったように手を差し伸べてきた。

 その笑顔はどこか舞台の王子のままのようで、わたしの胸はまた変にドキドキする。


 結局その手を取って立ち上がるしかなく、講堂を後にした。



 その夜。

 寮に戻ったわたしは、全身の力を抜いて布団に潜り込んだ。


 暗闇の中で、さっきの舞台の光景が何度も脳裏に蘇る。

 真剣な瞳で見つめられたこと。

 名前を呼ばれたこと。

 あの一瞬、心臓が止まるかと思うくらいに胸が締めつけられたこと。


「……やめやめやめ! 思い出すなぁぁぁ!!」


 枕に顔を埋めてジタバタする。

 どうして青春がホラー寄りなのか、本当に理解不能だ。


 けれど胸の奥に残る鼓動は、恐怖だけのものじゃない気がして――ますます眠れなくなった。



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