封じられたペットボトル
その日の放課後。
わたしたちは部室の清掃を続けていた。
「陽子! もっと気合い入れて掃除!」
「麻衣が勝手に部室復活させようって言い出したんでしょ!? わたしは嫌なんだけど!?」
「ほらほら、部長の指示に逆らわない!」
「はぁ!? いつから麻衣が部長になったのよ!?」
「いやいや、部は役職が必要なの! わたしが部長で、陽子は部員ね」
「なんで!? せめて副部長でしょ!? わたしだって働いてるんだから!」
「わたしが部長、陽子が副部長。はい、決まり」
「決めるの早っ! 独裁政権なの!? 民主主義どこ行ったの!?」
麻衣はにこっと笑いながら、どこから持ってきたのか学園の届け出用紙にすらすらと記入した。
「ちょ、ちょっと!? 勝手に名前書かないで!? やっぱりわたし、この部活入りたくないんだけど!?」
「もう遅い! 青春は後戻りしない!」
「なんで青春に背中押されてるのわたしぇぇぇ~~!」
わたしの絶叫をよそに、麻衣は軽快にロッカーの扉を開けていた。
その中から取り出したのは、札が何枚もべたべたと貼られた……ペットボトルだった。
「……ん? なにこれ」
麻衣が手にしているのは、どこにでもある水稲タイプのペットボトル。
でも、普通と違うのは蓋から底まで、まるで封印のようにお札が貼りまくられていることだ。
「やだやだやだ! それ怪異アイテムでしょ!? ていうかなんでペットボトル!?」
しかも、そばには一枚のメモが残されていた。
『絶対に封を開けないで。絶対に、絶対だよ?(はあと)』
「……」
「……」
「なんで最後にハートつけてんのよ!? 全然かわいくないから!」
わたしが頭を抱えていると、麻衣はロッカーの奥をさらに探り、古びたアルバムをいくつも引っ張り出した。
ページをめくると、かつての部員たちの集合写真が出てきた。
七人の女の子たちが、笑顔で肩を並べて写っている。
みんな眩しいくらいに楽しそうで、思わず見入ってしまった。
――あの中に、行方不明になったという先代の部長もいるのかもしれない。
「……ほんとに、部活やってたんだね」
わたしはぽつりとつぶやく。
こんな怪しげな部屋なのに、彼女たちは確かに青春を過ごしていたんだ。
その笑顔が、まぶしくて、胸がちょっと熱くなる。
「ちょっと、こっちの棚も見てみるね」
麻衣がそう言って、別の棚へ身を移した。
わたしはひとりでアルバムのページをめくる。
事件現場の写真や依頼者らしき人物の写真が挟まれていた。
そして――岡崎先生の写真。
女子生徒たちに両脇を抱えられて、はにかむように笑っている。
あの先生が、こんな表情をするなんて。
「えっ……先生って、こんな顔するんだ……」
思わずつぶやいたそのとき――
「ひいっ!」
麻衣の短い悲鳴に、わたしは飛び上がった。
慌てて振り返ると、麻衣がこわばった顔でわたしを見ていた。
その手には――さっきのペットボトル。
……って、蓋が開いてるよ!?
「いやあのメモ! 効果てきめんだね!? 麻衣みたいなタイプには特に!」
「し、仕方ないじゃん! 気になったんだもん!」
ペットボトルの口から、冷たい風が吹き出した。
次の瞬間、部屋の空気がひりつき、古びた部室の影がざわざわと動いた気がした。
――まさか、これって。
封じられていた“何か”が、解き放たれたのだ。
◆
「ふぁぁ~~! ひっさしぶりに外の空気!」
ペットボトルから飛び出してきたのは、小柄でボーイッシュな女の子の姿をした怪異だった。
短い髪を後ろで結び、男の子みたいな笑顔でこちらを見ている。
「君たち、ありがと! 封印解いてくれたお礼に、未来を見せてあげるよ!」
「……は?」
「……はぁぁぁ!?」
怪異は腰に手を当て、いかにも軽薄そうに胸を張った。
その姿は、まるでランプの精。
「数年先までしか見えないけどさ。ま、タダより高いものはないって言うだろ? 君たち、興味あるでしょ~?」
「いやいやいや! 全力で結構ですからっ!」
わたしは全力で首を振った。
でも、横を見ると麻衣が……目を輝かせてる!?
「え、ちょ、麻衣!? なんでうらやましそうな顔してるの!?」
「だって未来よ? 青春の先取りじゃない!」
「先取りしなくていいから! 普通に過ごさせてよ!?」
わたしの必死の抵抗もむなしく、怪異はにやりと笑った。
「ん~。まずは君、陽子ちゃんね」
「え、えぇぇ!? いやいやいやいや、わたしからとかやめてぇぇ!」
「……ふむふむ。恋人がいるね。いつも君の傍らに寄り添うように、君を大切に思う人が」
「……っっ!?」
一瞬で頬が熱くなった。
「え、それいつ!? 誰ですか!? ねぇ誰なんですか!?」
さっきまで全力拒否していたのに、気づけば前のめりで問い詰めていた。
横で麻衣が血涙を流しそうな顔でこっちを見ているのが、痛いくらい視界の端に映る。
「……そ、そうか……わたしに、彼氏が……。え、でもどうやって出会うのかな? 実家は学園から近いから、帰省のときに……?」
想像だけで顔が真っ赤になる。
「えーとね。残念だけど、相手は女の子だね!」
「はぁぁぁ!? なんで女子!?」
慌てて横を見れば、麻衣と目が合った。
「ま、まさか……」
わたしの凝視に、麻衣の頬がじわっと赤く染まる。
「え、え、そんな感じなの? 未来の私たちって……」
なぜかまんざらでもなさそう!?
「いや、相手は君じゃないねぇ」
怪異がけらけらと笑う。
「もっと美人で年上で、強い力を持ってる人。ボクなんか一瞬で消し飛ばせるくらい、ね」
「……」
頭の奥に浮かぶ“強い人”のイメージに、言葉を失った。
「次は君、麻衣ちゃんね!」
「え、えっ……!」
「君には恋人はいない。でも恋はしてるね。あれ、相手は女の子か! さすが女学園! いや~青春だねぇ!」
麻衣は一瞬たじろいだが、すぐに胸を張った。
「ま、まあ、そういう未来も悪くないわね!」
「え、認めちゃうの!? なんで即肯定!?」
わたしのツッコミは空しく響くだけだった。
そんなやりとりに夢中になっていたとき。
怪異はふと真顔になり、手を差し出してきた。
「さて――そろそろ代償をもらおうか」
「だ、代償!?」
「だからタダより高いものはないって言ったろ?」
背筋に冷たいものが走る。
「じゃあ――わたしの夏休みの宿題へのやる気を代償にやる!」
麻衣が胸を張った。
「……」
「どうよ!」
「そんなもん最初から無いだろぉぉぉ!!」
怪異は逆ギレし、体をぐらぐら揺らして大笑いすると、霧のように散り散りになった。
◆
「……逃げた!?」
「ちょ、ちょっと!? あんなの野放しにしたらまずいでしょ!」
麻衣が慌てて後を追おうとする。
「待って!」
わたしは麻衣の腕を掴んで引き留めた。
「最初のメモ……“開けるな”ってあったでしょ。ああいう悪趣味なやつなら、“封じ方”も絶対に残してあるはず!」
ロッカーを調べ直すと、案の定、メモの裏に細かい封印方法がびっしり書かれていた。
「……ほんと性格悪い先輩がいたんだね……」
呆れながらも、わたしたちは必死に指示通りの封印を行った。
四苦八苦の末、再びペットボトルは札に覆われ、封じ込めが成功する。
「ふ、ふぅ……なんとかなった……」
◆
届け出を提出がてら、顛末を岡崎先生に報告すると、先生は意外なほど柔らかい笑顔を見せた。
「それは浜田誠子の仕業だな。……彼女は時々、未来が見えるという不思議な力を持っていた」
そこで先生は眼鏡を押し上げ、さらりと言葉を継ぐ。
「ちなみにそのペットボトルに封じられていたのは怪異ではなく、彼女の“未来視の力”だ。別に再封印する必要はなかったはずだがね?」
「…………」
わたしと麻衣は固まった。
そして同時に、全力で叫んだ。
「「なんで最初に言わないのぉぉぉ!!!」」
職員室に、わたしたちの絶叫がこだました。