2-1 神の音を探す者
レイヤーは、もう四半日も悩んでいた。
目の前には申請用紙。手にはペン。
彼らは未だ、コダの街から出立できずにいたのだ。
昨日までは、ダルンカート劇場で見つけた楽譜を愛おしい目で眺めつつ自分の演奏部分を練習していたのだが、出発前の必要資料作成で引き止められて、ずっとこのままだ。
『書類上は団体になるんだから、名前を登録してもらわないと』
そう言われ、出発前にフラップおばさんから渡された「団体申請書」に、ネーミングセンスのないレイヤーは頭を抱えていた。
「『コダ楽士団』は……」
「それはうちの団体名だよ。むしろコダの街の名前のもとになったんだから」
もともと、コダの街はフラップおばさんの旦那さんが団長だった『コダ楽士団』が、南の守りを受け持つ際に築いた劇場が始まりだ。
その旦那さんは、タクトが生まれた少し後に亡くなったそうだが。
「じゃ、じゃあ『ダルンカート楽士団』……」
「劇場の説明をしに行くのに、劇場の名前を冠した団体なんて紛らわしいよ」
こんな感じだ。
「人名もダメで、街の名前もダメ……」
うんうんと唸るレイヤーの横でティファがぽん、と手を叩く。
『サレインノーツ楽士団…… とか、どう?』
途端、レイヤーの顔が一転喜びに満ちる。
「ティファさん…… それ、いただきます!」
迷いのなくなったレイヤーの筆はすらすらと進み、一気に書類を書き上げた。
「書けました!」
すぐにフラップおばさんがチェックに入る。
「うん…… いいよ、完了だね。お疲れ様。それじゃあ、これ」
そう言うと、既にカウンター傍に用意していた不思議な形をした金属の棒とちょっと変わったイヤリングを二人に手渡した。イヤリングは耳の後ろに金属の金具をひっかけて耳たぶで固定する形になっている。歪な五角形の青い飾りが特徴的だ。
『あ、懐かしい』
「なにコレ……? イヤリングはなんとなくわかるけど」
「音叉棒です。同じ団体のメンバーは必ず持ってますよ。〝音合わせ〟に使うんですけど、知りませんか?」
「音合わせ?」
「ああ、普段一人で練習してるなら知らないでしょう。では、ここはひとつ師匠らしく指導といきますか…… フラップさん、北国仕様の音叉棒、ありますか?」
一瞬何の事かわからなかったフラップおばさんは、レイヤーのしたいことを察して、二人に渡したのと少し違う音叉棒をレイヤーに渡した。
「地域によって、基準となる音は違います。例えば、この辺り一帯を統治するアレクセント共和国があるベークレフ大陸では、この音叉の音を基準に楽器を調律するんですよ」
レイヤーは、最初に渡された音叉棒をカウンターの角でカンと軽く叩くと、低く唸るような音が棒の間から響いた。次いで、その棒の根っこをカウンターに付ける。すると音叉の音がカウンターの机の上に伝わって机全体から音叉の音が鳴り響いた。
「うお、机に付けたら音が大きくなった!?」
「硬くて大きいものなら大体こうして音を大きくできます。この音を基準に、団体メンバーはそれぞれの楽器の音を合わせます」
「その、音を合わせるってどういうこと?」
タクトは今一つ、合わせるとはどういうことかが分かっていないようだ。
「ふふ。そうですよね。そこで……」
レイヤーは先ほど、フラップおばさんから受け取った、もう一つの音叉棒を取り出し、またしてもそれで机を叩く。
似たような音が棒から鳴ったは鳴ったが、微妙な違和感をタクトは覚えた。
「あれ? なんだか変な音に聞こえるけど?」
「お、耳は良いみたいですね。そう、後から鳴らした方は微妙に高いんです。寒い地域は音が低くなりがちなので、基準音を高めにとっているんですよ」
レイヤーは机に付けたほうを離して、二本の棒を近づけてタクトに向ける。
「よく聞いてください」
タクトは、言われた通り耳を傾ける。二つの似たような音がそれぞれ耳に入るが、ここで強烈な異音を感じた。
同じ音なのに微妙に違うせいか、音と音がぶつかり合っている。
「なんか、ホワンホワンっていう別の音が聞こえるけど、まさか音怪の卵?」
レイヤーは満面の笑みを浮かべる。
「それは〝うねり〟といって、音があっていない証拠です。これがいくつか重なり続けるとあなたの言った通り、音怪の生まれる温床になります。気を付けてください」
次にレイヤーは最初の音叉棒を再び鳴らす。
「ではタクトくん。このイヤリングをつけた状態で今からB♭を吹いてください」
言われた通り、タクトはフラップおばさんにイヤリングを付けてもらい、トロンボーンを演奏する。
(確か、第一ポジションの、ここ)
B♭は、トロンボーンの基準音だ。何度も練習しているおかげで、その音はまっすぐ楽器から放たれる。
「その状態で、これを……」
レイヤーは、音叉棒を鳴らした状態のままタクトのイヤリングにあてがった。
「!!!」
すると、タクトは突然楽器の演奏をやめてしまった。
「今! 頭の中で! 何!?」
「初々しい反応。懐かしいわね」
フラップおばさんも見慣れた反応だったのか、くすくすとタクトを見て笑っている。
「さっきの、うねる音が頭で響いたでしょう? そのうねりがなくなるように、楽器の調整管を動かして調整してください」
レイヤーは、トロンボーンの二つ目の曲管を指さす。構えたときに奏者の視界から外れる場所だ。
「え、これそんな風に使うの?」
「今まで他人と音を合わせる機会がなかったなら、知らなくて当然です。ただ、今後はちゃんと知っておかないと、自分たちが音怪を作ってしまいかねませんからね。しっかり勉強してください」
レイヤーはタクトの背後にまわり、管を少し抜いてやる。
「イヤリングは音を拾うためと、楽士の階級を示します。付けている間は外耳の後ろにかかっている金属板が音を捕らえやすくしてくれますから」
『なかなか似合うわよ、タクト』
ティファに言われ、タクトもまんざらでもない顔を返した。
「さ、あなたにはもう少し〝音合わせ〟について勉強していただきましょうか」
その顔のままのタクトがレイヤーによって組合の奥の部屋へと引きずり込まれていくのを、ティファは暖かく見送るしかできなかった。
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