1-3 命の音
「されいんず・ふるすこあ……?」
「サレイン、って神様ですよね? その神様が遺した楽譜がある、ってことかしら?」
フラップおばさんがサレインという名前に反応する。
「おおむねそうです。正しくは、その神様がかつて愛していたと言われている旋律を掲載した楽譜集のこと、らしいのです」
サレインとは、この世界を演創した神の名である。
かの神が奏でた音楽は、世界に響き渡りあらゆる奇跡を生み出したとされる。その偉業は今でもたくさんの人々の演奏する音楽によって今でも奏で継がれているのだ。
「そんなすごい楽譜が、あの古くさい劇場に?」
タクトはうさんくさい話に眉をひそめる。
「まあ、私も聞いた話なので確証はないですし、何より古い劇場なのでそれはなくとも何か収穫はあると思ってます」
何はともあれまずは現地に行きたいというレイヤーたっての希望で、二人は早速ダルンカート劇場へと向かった。
「レイヤーさんは、何が演奏できる?」
劇場への道すがら、タクトはレイヤーに質問を投げかける。
「レイヤー、でいいですよ。私の持ち楽器はクラリネットです。金管楽器はあまり相性が良くないようでして」
木管楽器の代表がひとつ、クラリネット。リードと呼ばれる振動板を取り付けたマウスピースを音の発生源として奏でる楽器だ。
木管楽器はセンスが物を言う楽器である。簡単に演奏できる人はそこそこうまくなるが、吹けない人は本当に吹けないし、実戦で演奏できるほどうまい人もそうそういない。
「へえ、放浪楽士に木管奏者はあんまりいないって聞いたことあるけど、そうじゃない人もいるんだ」
通常、組合の楽士は数名で『楽士団』を組んで行動することがほとんどだ。だが、一人で行動する場合は音量などの関係で木管楽器の楽士は複数人で行動することが多い。レイヤーはレアケースと言っていいだろう。
「まあ、私はちょっと変わっているんです。それに、少し前までは師匠たちと行動していましたから、一人になったのはつい最近ですし」
話し込みながら数分、二人はダルンカート劇場にたどり着いた。
「これは…… またずいぶんと大きな劇場ですねぇ」
周囲は小高い丘に囲まれ、丘を越えると海が見えてくる僻地。
劇場の周りは腰まである石壁で周囲を囲われており、当時『南の守りの最大拠点』とされていた雰囲気を匂わせる。
つまり、『劇場』とは『砦』なのだ。
「使われなくなってまだそんなに経っていないとはいえ、劇場の中じゃ時々音怪も出るし、劇場内を知らない人が歩くのは確かに危険だと思うよ」
大きな石のアーチを何度か抜けると、大きな扉の前に到着した。
『おはよう。今日はちょっと早いね、タクト』
扉の奥からくぐもった小さな声が聞こえてきた。
「おはようティファ。今日は組合の仕事だぜ!」
タクトは胸を張って「すごいだろ」のポーズをとる。見えているかもわからないのに。
「……どなたですか? この声は」
「ああ、ティファって言って、この劇場の管理者だよ。友達なんだ」
「え!? 劇場に住んでいるんですか!?」
「ああ、大丈夫だよ。音怪は俺がちゃんと駆除してるから早々に危険はないし、ティファ自身も少しは演奏《対策》できるし」
「そ、そんなものでしょうか……」
少々拍子抜けしたレイヤーを横に、タクトは扉を開いて中へと入っていった。レイヤーも扉が閉まり切る前に中へするりと入る。
扉のすぐ中は、ただただ広い空間が広がっていた。
左右に階段があるが中二階へ向かうもので、さらに左右へと廊下が伸びている。
当時使い古されたであろうカーペットが今も踏み均されたまま放置されている。よく通過した場所とそうでない場所が明確になってしまうほどに当時人が歩いたのであろう。しかし、足音を消すという用途はどの場所も未だに機能している。
『いらっしゃい、お客さん。今日はどのようなご用件ですか?』
劇場内の連絡に使われる響声管からティファがレイヤーに話しかける。先ほどよりは声がクリアに響いていた。
「できれば、直にお話がしてみたいですね。あなたにも興味がわきました」
レイヤーはさきほどとは変わって、満面の笑顔で話している。珍しいものを見つけた子供のようだ。
「ティファに会うの? すっごい遠いよ。地下三階のメインホールを管理する監視センターにいつもいるはずだから、地下二階から回りこまないと」
「劇場の事を聞くならそれが一番ですし、どんな方かも興味がありますから」
よく分からないけどそんなものか、とタクトは案内を始める。
劇場内は静まり返っており、二人の小さくなった足音以外はほぼ無音だ。
そんな静かな場所には、時折偶然に音怪が発生することがある。
音は、すなわち『命』である。それはこの世界の常識でもある。
人も、風も、大地も、すべては神が奏でた音から創られたと言われている。どの命も例外はなく、音を奏でられるものには命が宿るのだ。
だが、音怪は生まれてすぐに周囲の命ある者に襲い掛かる。音を保つ器を持たずして生まれた音怪は、音を失うと死んでしまうからだ。
「……まあ、こういう時でも小物は湧いて来るよね」
耳に雑音。……音怪が数体、少し歩いた先の通路に現れた。威嚇にも似た高音と擦り切れるような雑音が混じって何とも不快な音を上げてこちらを伺っている。
タクトは練習の成果とばかりに背中のトロンボーンに手をやると、それをレイヤーが止めて前へと出る。
「危ないよ!」
レイヤーはその助言に笑顔で答え、肩の小鳥をひと撫でする。よく見ると、反対側
の手にはクラリネットが握られていた。
「新人君。こういうのは熟練者に任せなさいな」
現れた音怪は小さいとはいえ複数発生している。すぐに吹けるように手は楽器に回したまま、タクトは慎重にレイヤーを見る。
音のもやはその歪みをくねらせ、レイヤーに襲い掛かる。それに呼応してから、レイヤーのクラリネットから基準音が発せられた。
「!!」
ただ一音。それだけで音怪の一つがかき消された。巧みな舌使いと安定した音圧だからこそできる楽士の技だ。
それを見た残りの音怪がわずかに距離を取るべく奥へと後ずさる。が、それを見たレイヤーはすかさず管の長さを調節しつつ、曲を一節演奏する。単独演奏とは思えない、一息とは思えない振動が、通路の奥へと響き渡る。
残りの音怪もその音圧には耐えるべくもなく、再び虚空の彼方へと消え去ってしまった。
「……すっげぇ」
「さあ、案内を続けてくださいな」
自身が演奏すればまだ終わらなかっただろうと思うと、さすが首都の楽士とタクトは改めてレイヤーを見上げる。
「? どうしました」
言葉を失っていたタクトはレイヤーの言葉にハッとして、再びレイヤーの前に出る。
「さ、さあ! 地下への階段はこっちだよ!」
タクトは謎の高揚感を胸に、案内を再開した。
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