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どんな人物か分からないうえ、かなり高位である可能性もある相手だ。さすがにモードウェンもわきまえ、普通のドレスを選んで身に付けることにした。
「……お嬢様のおっしゃる普通は、王宮基準では地味すぎかつ質素すぎかつ流行遅れすぎですけどね……」
ナフィはぼやくが、モードウェンは軽く聞き流した。ゼランド家のことなど誰も気にしていないのだから、こちらだって相手のことを過度に意識する必要はない。濃色のドレスを纏って髪を最低限ととのえ、モードウェンは王宮の奥に向かった。
何があるか分からないから、リーザには部屋で待機してもらっている。もしも時間内にモードウェンが戻らなければ――話が長引いたら伝言を頼むつもりだ――、すぐに王宮内の衛兵に伝え、ゼランド領にも使いを走らせるように言い含めてある。ナフィにはついて来てもらうことにして、もうひとり従者を頼んだ。ゼランド家と交流のあるマルボー家の護衛を借り、一緒に来てもらうようにしたのだ。
護衛は王宮に慣れた壮年の男性で、水妖の庭への案内も請け負ってくれた。王宮の構造についての説明をときおり挟みながら、つねにモードウェンを視界の端に入れるように気を配ってくれる。
庭というから地上だろうと思っていたが、目的の場所は建物の屋上にあった。温室になっているのだろうか、硝子張りの空間だ。入口を守る衛兵に招待状代わりの手紙を見せると、兵は頷いて戸を開いた。
「お連れの方はこちらでお待ちください」
衛兵は庭に隣接する小庭のようなところを示した。護衛とナフィがそちらに向かうのを横目に、モードウェンは水妖の庭に足を踏み入れる。
晩秋の昼下がりの日光が硝子を透かして少し鋭さを和らげ、寒さから隔てられた空間に草花が育っている。モードウェンにはよく分からないが、この時期に花が咲いているのは相当な労力をかけているのだろう。常春の楽園を意識しているのだろうか。
水音がするのにも気付く。見回すと浅い水路があり、小径に沿って続いている。遡って辿っていくと開けた場所に出た。中央に噴水があり、硝子が砕けたような飛沫が日差しに煌めいていた。噴水の中には青年像が立っており、振り返るような仕草をしている。
「水妖に魅入られた半神の像よ」
後ろから足音とともに、美しい声がした。
振り返ったモードウェンは目を見開いた。相手と視線が真っ向からぶつかり、それが非常にまずい状況であると気づく。慌てて膝を折り、臣従の礼をとった。
「王女殿下…………」
青いドレスに眩しい金髪の年若い女性は、まちがいなく先日の舞踏会で仰ぎ見た第一王女プレシダだ。
(Pって……まさか王女殿下だったの!?)
高位の人かもしれないと心積もりはしていたが、まさかここまでとは予想していなかった。モードウェンは俯きながら、冷や汗を拭いたいと切に願った。
「そうよ。礼は受け取ったから、立って、顔を上げて」
眩しいから嫌だなどと言えるはずもない。モードウェンは言われるまま王女の前に立った。近くに衛兵などが控えているのかもしれないが、見える範囲にはいない。従者も伴っていない。一人きりなのに威圧感……もとい、存在感がすごい。背丈はモードウェンと同じくらいなのに。
濃い青の瞳がモードウェンを射竦める。
「指輪を拾ってくれたそうね。ありがとう」
「……勿体ないお言葉で……」
命令するような口調でお礼を述べる王女に、モードウェンは蛇に睨まれた蛙のような気分を味わった。お礼を言いたいと書いてあったが、体のいい呼び出しだろうか。こんなに偉そうにお礼を言われたのは初めてだ。じっさい偉い人ではあるのだが、お礼とは言われる側の方が上の立場ではないのだろうか。
「今日は、喪服じゃないのね」
モードウェンは思わず目を上げた。王女は腕を組み、少し面白がるような表情でモードウェンを見返した。
「モードウェン・ゼランド、ね」
「…………はい」
二人の間に緊張が走った。少しの沈黙ののち、王女が小さく息をつく。
「……何か、望みはあるかしら。指輪を拾ってくれたお礼をするわ」
「では、第二王子殿下に会わせてください」
間髪入れずに、モードウェンは答えた。
「どうして? お礼とはいえ限度があるわよ。私ひとりとの面識では足りないと? 第一王子をと言わなかったのは小賢しくへりくだってみせたつもり?」
王女は眼差しを険しくした。だが、モードウェンも引けない。せっかく捉えた好機なのだ。
「滅相もないことです。王女殿下から直にお言葉を賜り、貴重な機会をいただいたと思っております。不足だとか、そんなことはなくて……………………お慕いしているのです。第二王子殿下を」
絞り出すような声で、モードウェンは述べた。王女は虚を突かれたような表情をする。
「一度でいいからお会いしたい。ほんの少しだけでいいから、お言葉を交わしたい。それだけでいいのです。どうか……」
「…………あなた」
王女は珍妙な動物でも観察しているかのように、しげしげとモードウェンを眺めた。
「嘘はもっと、もっともらしくつくものよ。そんな苦虫を噛み潰したような顔で恋情を吐露する娘なんていないわ」
「……………………」
しかし、これがモードウェンの精一杯だ。女優ばりに切々と恋心を訴えるような真似など、逆立ちしても出来るわけがない。
だからといって、本当のことを――第二王子の従者キースの幽霊から、第二王子宛ての警告を託されたから、どうしても伝えたいのだということを――話してしまうわけにもいかない。信じてもらえるとも思えないし、誰がどんなふうに絡んでいるのかも分からない。そんなことを考えているうちに、表情が余計に苦々しいものになっていってしまう。
「嘘を隠す気もないのは、いっそ潔いくらいだけど……まあ、そうね。恋を打ち明けたいのではないにしても、何か伝えたいことがあるのは本当のようね。害意もなさそうだし」
「王子殿下を害することはありません。誓って」
むしろ逆だ。モードウェンは王子を助けたいのだ。王子に危険が迫っているというのが仮にキースの勘違いであっても、それは王子が知った上で判断すべきことだ。
モードウェンはただ、キースとの約束を果たすだけ。……絶対にお近付きになりたくない相手に恋をしているなどと、舌が曲がりそうな嘘をついてでも。
「…………そこまで嫌そうな顔をしなくてもいいと思うのだけど。我が弟ながら、顔はいいと思うわよ?」
(…………顔「は」?)
微妙に引っかかる言い回しだが、追及はしない。王子の顔以外のところがどうであろうと関係ない。そもそも顔だって関係ない。善良そうだったキースが守ろうとした人が極悪人だったら嫌だが、さすがにそんなことはない……と思いたい。
「昨日の舞踏会でも、あなた、弟のところに行こうとしていたでしょう。害意を持っているなら、そんな迂闊で目立つ真似はしないはずだものね」
「……ご存知でしたか」
指輪を届けたから名前は知られていて当然だが、舞踏会の服装のことも知られていたのだ。だから、その時の行動まで把握されていても不自然はないのだが、正直に言って驚いた。王家は下々の事など気に掛けないと思っていた。
「当たり前じゃない」
王女は呆れたように声を高くした。
「一生に一度の晴れ舞台に喪服で乗り込んでくるようなデビュタントよ? 目立ちたがりなのかと思えばそうでもなさそうだし、狂っているのかと見ればそれも違う。注視すべき対象でしょう」
まあ、それもそうか。だが、
「…………王宮をお騒がせするつもりはありませんよ」
「そう願いたいものだわね」
素っ気なく言い、王女は確認した。
「弟に会いたいのよね? 今日ならもしかしたら、すぐに時間が作れるかも。ちょっと待っていてもらえれば確かめさせるわ。それとも日を改めた方がいい?」
話が早い。思わぬ急展開に瞬いたが、逃す手はない。モードウェンは頷いた。
「待たせていただきます。できるだけ早くお会いしたいので」
「熱烈ね」
肩を竦め、王女は背を向けかけた。と、思い直したように振り返る。
「あの指輪ね、すごく大切なものだったの。ガーデンパーティーで落としてしまって、でもどうしても見つからなくて。拾ってもらえて本当に嬉しかったわ」
ふと表情を緩める。近寄りがたい印象の美貌が和らぎ、同性のモードウェンでも目を奪われそうになった。……眩しいことに変わりはなかったが。
「金樫宮の庭に出入りする人は多いから、とっくに誰かに拾われて自分のものにされてしまったかと思っていたわ。それなのに、どうして新参者のあなたに見つけられたのかしら。それも、暗い中で」
青い瞳が、探るようにモードウェンに向けられる。モードウェンは瞬ぎもせず見返した。
「…………おそらく、指輪が殿下のもとに戻りたがっていたのかと」
「……そういうことにしておいてあげるわ」
王女は口の端を上げ、今度こそ背中を見せて立ち去った。
それを見送り、モードウェンはずるずるとその場にへたり込んだ。
「…………もうやだ…………王族こわい…………」
か細い声は、噴水のさやかな音に掻き消された。