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「モードウェン嬢。先ほどの……貴女の寛大なお言葉に、甘えてしまってもよろしいのでしょうか?」

 誠実で実直そうな青年だ。美しい緑の瞳でひたむきに見上げられて、モードウェンは少したじろいで顎を引いた。

「……とにかく立って、話を聞かせて。やれるだけのことはやってみるから」

「ああ……ありがとうございます……!」

 青年はモードウェンの手を取って口付けせんばかりに感激するが、まだ何もしていない身としては居心地が悪い。話の先を促すと、青年は頷いて口を開いた。

 青年はキースと名乗った。ネアーン伯爵家の三男で、第二王子カイウスの従者を務めていたという。王宮内の情報に疎いモードウェンは知らないことだったが、今夏に王宮内で病死したとされているそうだ。

「でも、違うのです。私は……毒を盛られたのです……」

 そう語る青年は、その時の苦しみを思い出したのか、ひどく辛そうだった。体が小刻みに震えている。

 モードウェンは口を挟まず、黙ったまま待った。急かすことはせず、さりとて励ますこともせず、ただ静かに待つ。そんなに辛いなら話さなくていいと止めるのも一つの優しさかもしれないが、それは彼が望むことではないだろう。伝えたがっているのだから、こちらはそれを受け止めるだけだ。

「……失礼しました」

 少し気分がましになったらしい青年が謝る。幽霊に肉体的な不調は存在しないが、生前の意識に引き摺られることはある。そもそも形を保っていること自体が生前の意識を保っていることの証左だ。モードウェンは首を横に振った。

「座った方が話しやすければ、そうする?」

 花壇の縁を指して尋ねる。キースは虚を突かれたように瞬いた。

「……幽霊って、座れるのですか?」

「座ろうと思えばね。触れることはできなくても、そこに物があると認識すれば座る格好はできる。今だって、普通に歩いていられるのは、無意識に地面を認識しているからなのだし」

「なるほど……」

 納得した様子で、キースは確かめるように地面を踏みしめて歩き、花壇の縁におそるおそる腰をかけた。モードウェンも、横に並ぶようにして腰を下ろす。

「しかし、詳しいですね。言っては何ですが、当人の私よりも、幽霊のことをよくご存知でいらっしゃる」

「まあね」

 モードウェンは肩を竦めた。靄が見えるのは昔からだが、幽霊を見たり話したり出来るようになったのは五年前からだ。この五年間、結構な経験を積んできている。

「人の思いは普通、死に際して散じてしまうものだけど……強い心残りがある場合はそのまま残ったり、さらには人の姿形まで留めたりする場合もある。それが幽霊。だから、未練を解消すれば天の御国へ行けるはず。未練を残したままであっても、時間が経てば同じこと。未練の強さにもよるけど、姿を保って留まっていられるのはどんなに長くても数十年というところじゃないかと思うわ」

 姿形を保ったまま本来の寿命以上に現世に留まる幽霊にはお目にかかったことがない。残滓である思念はどうか分からないが、さらに短いようだ。どうあっても消えてしまうものなら、未練を解消する手伝いをした方がいい。どうしても長く現世に留まっていたいというなら放っておくが、幽霊というものは本質的に不安定で、闇を寄せ付けやすい。無害な幽霊が有害な悪霊に変化することもある。不自然な形で長く留まっていいことはないのだ。

「ところで……毒を盛られたと言ったわね。誰に?」

 あまり期待せずに尋ねる。死に関連することは覚えていない者も多いからだ。はっきり覚えていたら発狂ものだろう。そうなると幽霊として意識を留めるどころではない。案の定、キースは首を横に振った。

「……分かりません。すみません……」

「いえ、謝ることじゃないわ。あなたは何も悪くないし……むしろ、知らなくて良かったと思うわ。恨みがその人に向かってしまったかもしれないし」

 そうなっても犯人にとっては自業自得だが、キースがさらに苦しむことになっただろうことは間違いない。犯人の裁きは生者に任せて、死者は天で安らうべきだ。

 でも、とキースは顔を上げた。

「これだけは分かります。カイウス殿下が危ない。殿下は命を狙われておいでです。私は病気で死んだのではなく、殿下を狙う者によって、身代わりになって殺された。それだけは確かです。それを伝えたくて……」

 モードウェンは頷いた。おそらく、それがこの青年の心残りだ。記憶があやふやでも、その一念だけは強く残っているのだ。

「犯人を罰してほしいとは望みません。私はもう生き返ることができないのですから。でも、殿下が危ない。私を殺した者が、殿下まで手にかけるのは耐えがたい。どうか、危機を殿下にお伝えしてほしいのです」

 キースは真摯に言い募る。モードウェンは答えに窮した。

 言うまでもなく、モードウェンは第二王子と面識が無い。伝手も無い。だが、無碍に断るのも躊躇われた。

 同時に、違和感が頭をかすめる。しかしそれを掴む暇もない。目の前には真剣な顔をして自分を見つめる美青年の幽霊がいる。

(どうしよう……)

 沈黙するモードウェンに、キースは頭を下げた。

「どうか、お願いします」

 その姿が薄れていく。

「って、ちょっと待って!?」

 モードウェンは焦って声を上げたが、どうにもならない。心残りを果たした――モードウェンに託した――ということだ。

 破れかぶれでモードウェンは叫んだ。

「分かったわ! 王子のことは任せて!」

 キースは頭を上げて微笑んだ。そして、それが最後だった。ふつりと糸が切れるように、存在が掻き消える。モードウェンは頭を抱えた。

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