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 例によって、ナフィのお小言――もとい、忠言――を聞き流し、各種の催し事への参加をことごとく見送って、お披露目の舞踏会の当日がやってきた。

 十一月の末に行われるこの舞踏会は、十月に始まる一連の収穫感謝祭の掉尾を飾るものであり、秋から冬へと移り変わる中にあって社交の時期の始まりを告げるものでもあり、社交界デビューの場として選ばれやすいものだった。「豊饒の祝祭」と名の付いた舞踏会は有名であり、年頃の娘たちであれば誰もが憧れる場だった。

 ただし、何事にも例外はある。

「もう、信じられません! どうしてそんなに嫌そうな顔をなさるのです!」

「……八割くらいは地顔だと思うけれど……」

 ナフィに詰られ、モードウェンは目を逸らした。名高い舞踏会に憧れるどころか全力で忌避したがる例外がここにいる。

 嫌々ながらも喪服のドレスを引っ張り出して纏い、頭にはヴェールを被る。葬式にこそ相応しい装いに、ナフィは頬を引き攣らせた。

「……まさか、本気でそのドレスを着ていかれるとは……」

「本気も何も、最初から言ってる通り。一般的な正装とは違うけれど、喪服は禁じられていないし」

 二百年くらい前の女王が、愛する夫を亡くした後、ずっと喪服で通したときに法律が改められたのだ。法律上で許されているからといって、本当に喪服で舞踏会に行く者が多いとも思わないが。

 そうしてナフィに呆れられつつ、リーザに驚かれつつ、モードウェンは舞踏会の会場に向かった。


(……ああ、早く帰りたい。眩しい、くらくらする、もう嫌……)

 モードウェンは紗の下に隠された目を伏せ、溜め息を噛み殺した。

 必要以上に煌びやかな会場で、国王陛下のお出ましをじりじりと待つ。

 こういう場所は苦手だ。薄暗くて静かな生活に早く戻りたい。王宮の明るさは、その光の強さは――影をも強調する。

(ああ、この人……)

 近くを通り過ぎた恰幅の良い紳士の肩のあたりに、不自然な黒い靄が纏わりついている。うっすらと腕の形を形作っているのは、彼を暗い方へと誘おうとしているからだろうか。普通の人には見えないその靄は、残留思念――それが生者のものか死者のものかは分からないが――だ。黒が濃いほど性質が悪いもので、これは見るからに厄介そうだ。彼が歩くたびに影が揺らいで後を引き、モードウェンは顔を顰めた。

 だから王宮は嫌なのだ。人の集まるところ、人の思念も集う。無念も怨念も――もっと性質の悪いものも。煌びやかな舞台の裏には、どろどろとした闇が巣食っている。黒い靄を――恨みを、妬みを、嫉みを――取りつかせた人は少なくなく、明るいはずの会場は、モードウェンの目には暗く沈んで見えた。

 ひとつ気付いてしまえば、後から後から黒い靄が見えてくる。せっかくヴェールを被ってきたというのに意味がない。モードウェンの目に映る世界は、華やかな会場と靄の淀んだ地獄絵図とが二重合わせになっていた。

 豪華な衣装を纏う人々の背に、頭に、足に、誰かの悪意が纏わりつく。虚栄の舞踏会は怨嗟の舞踏と裏表となり、上辺の美しさの下に深い闇を隠して続いていた。

 あの人も。あの人も、その隣の人も。……

「う……」

 モードウェンはよろめいた。あまりに性質の悪い気配が多くて、気分が悪くなる。人の多さだけでも酔いそうなくらいなのに、恨みや妬みや怒りの凝った靄も多いときた。

 ここは大陸に冠たる王宮、ウィア・サイキ。恨みを呑んで亡くなった者は数知れない。恨みを募らせて生きる者の数は言わずもがなだ。害のないものや善いものもあり、それらは白い靄のように見えるが、そうした白よりも黒の方がずっと多い。見るだけで気分が滅入ってくる。引きずり込まれそうになってしまう。

(少し休まないと……)

 モードウェンはふらふらとテラスによろめき出た。とにかく会場から離れたくて、階段を下りて庭に出る。

(……だから、王宮に来るのは嫌だったのに……)

 モードウェンの目は、普通の人には見えないはずのものを見てしまう。

 人々が憧れる王宮ウィア・サイキ。しかしモードウェンの目には、地獄の王の住まいとさえ見えるものだった。

(ゼランド領の澄んだ空気が恋しい……)

 明るすぎる光も、濃すぎる影も、真っ平だ。モードウェンが求めるものは、仄かな光と薄闇、静謐な空気、そういうものだ。人が多いのはいいことだが、頼むから遠くに離れていてほしい。

 庭には大広間からの光もあまり届かず、しかし満月のおかげで足元に不自由はしなかった。ところどころに明かりが置かれたり吊り下げられたりしており、光が夜を泳ぐように揺らいで幻想的だった。大広間も、このくらいの明るさでいいのに。

「ふう……」

 腰掛けで身を休め、モードウェンは深く息をついた。外に出て、ようやくまともに呼吸ができるような気がする。

 十一月末の風は冷たいが、熱気の籠った大広間よりもずっといい。ここはゼランド領よりも暖かいが、それでも冬が始まりかけて、風には枯葉の匂いが濃く混ざっていた。

 少し休むと気分がよくなったが、すぐに会場に戻る気もせず、モードウェンは辺りをそぞろ歩いた。

 かすかに、名残の秋薔薇の香りがする。昼間に歩けば、咲いているものを見つけられるかもしれない。暗い中なので花を探すのは諦めて、月光に照らし出された石像たちを辿るように小径を歩いていく。おぼろな薄暗がりは、隅々まで明るい大広間よりもよほどモードウェンに安らぎをもたらした。

(…………?)

 モードウェンは立ち止まった。石像のひとつが、動いたような気がしたのだ。

 普通の令嬢なら悲鳴を上げて失神するところだが、モードウェンは軽く目を見開いただけだった。冷静になって少し観察すれば分かる。それは石像ではなく、人間だ。

 どうやら青年のようだった。彫刻たちと違って古代風の服装をしていない。明らかに貴族階級に属する者だろうが、今夜の舞踏会の出席者ではない。

 服装に疎いモードウェンでもさすがに分かる。彼が着ているのは夏用の服だ。

 そして――死者だ。

 暗闇にぼんやりと白く発光しているような姿は、普通の人の目には映らない。しかしモードウェンの紫の目はたしかにその姿を捉えている。

 幽霊の青年は思い悩む様子で辺りを歩き回り、ときおり視線を大広間の方に投げる。この世に、何かに、誰かに――心残りがあることは明白だった。

 強い思念は、死に際しても散じることなく残ることがある。多くは形を保てないが――大広間で見たような靄にも、そういった死者の思念が結構な割合で混ざっているだろう――、稀に人間の姿をそのまま残すことがある。

 それが、幽霊だ。

 幽霊も靄と同じように、悪意のあるものは黒く、害意のないものは白く見える。靄、もとい思念が形を取ったものが幽霊だから、性質が似ているのは当然だ。この青年の幽霊が悪い存在でなかったことに安堵して、モードウェンはゆっくりと歩み寄った。少し距離を取って立ち止まり、声をかける。

「あなたの心残りは何なの? 私にできることがあるなら、協力するわ」

 青年は弾かれたように振り返った。その瞳に驚愕が浮かび、みるみるうちに歓喜と安堵に塗りつぶされる。

「私が見えるのですね!? ああ、神様! レディ、あなたは――」

「私はゼランド男爵の娘、モードウェン。領地では墓守をしているの」

 男爵の娘はレディと呼ばれる身分ではない。貴族階級の末端にかろうじて引っかかっている程度であるうえ、墓守をしている令嬢など他にいないだろう。さらに言ってしまえば、淡く発光している青年よりも、暗く沈むような服装のモードウェンの方が、よほど陰気で死者らしく見える。

 しかし青年はきっちりと膝を折り、貴婦人に対する礼をとった。


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