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 ゼランド領は北部の辺境にある。南部にあるウィア・サイキまでは馬車なら結構なお金や時間がかかるが、馬なら早いし安上がりだ。荷物がほとんどなく、供回りもないに等しく、体裁も気にしないモードウェンは、馬で一路、南へと向かった。

 田舎の貧乏貴族令嬢という立場上、乗馬の技術は体得している。馬車で進むには難儀するような道でも馬なら問題なく通れるし、車体がないだけで身軽さも維持費用も全然違う。御者の人件費とて馬鹿にならないのだ。

 南部の丘陵地帯に広がる王宮の敷地は広大で、貴族はその中に住むことができる。

 小さな国にも匹敵しそうな規模の王宮の中には、星の数ほどの建物に砂の数ほどの部屋があって、それらを借りることができるのだ。もちろん有料で、王家にとって少なからぬ収入源になっているという。有力な貴族になると格式の高い部屋を専用に借り続けたり、果ては建物を丸ごと借り上げたりもするそうだ。モードウェンの想像をはるかに超える金額が動いていることは確実で、考えると頭が痛くなりそうだった。

 もちろん使用人たちも王宮の中に住んではいるし、貴族ではなくてもお金があれば部屋を借りることはできるのだが、単なる居住者と客人あるいは主人の扱いは厳然と分けられている。王宮に客人として住めるということは、貴族の特権の一つなのだ。

 貴族とはいえゼランド家は弱小なので、当然のことながら贅沢は望めない。倹約を心がけたいモードウェン自身の意向もあって、外郭の壁に近く、日当たりが悪く、窓の外には疎らな針葉樹と苔しか見えないような安くて狭い部屋を借りたが、そうした環境はむしろ望むところだった。豪華絢爛な部屋で落ち着ける気などしない。

 モードウェンが借りたのは、二室が一続きになっている部屋だ。手前を応接室、奥を寝室として使うことができる。それとは別に、ゼランド領から連れてきた小間使いのリーザ用に小さな部屋を借りて宛がった。侍女のナフィにはモードウェンと同じ部屋を使ってもらう。

「はあ……すごいところですねえ……」

 リーザが圧倒された様子で息をつく。まだ王宮の外郭部しか目にしていないし、この部屋は王宮基準で質素もいいころなのだが、田舎出の娘の目には何もかもが輝いて見えるらしい。目を輝かせ、きょろきょろと辺りを見回している。

 一般的な貴族令嬢なら、侍女も小間使いもぞろぞろと引き連れてくるものだ。だが、モードウェンが連れてきたのはナフィとリーザだけだ。ナフィを連れてくるのは当然だが、問題は小間使いを誰にするかということだった。

 身の回りのことは大抵ひとりでしてしまうモードウェンだが、王宮ではさすがに限界がある。王宮で人員を都合するのも一つの手だったが、それには結構なお金がかかる。そのくらいなら、王宮に行きたいと憧れている厩番の娘を小間使いとして伴ってくるほうが良かった。馬に乗れるため、連れてくるにも苦労がない。

 リーザに部屋を示し、モードウェンは言った。

「じゃあ、また後で呼ぶから。案内を頼んでまわりを見ておいた方がよさそうだしね。今は取りあえず休んでいて」

「はい! お嬢様、連れてきてくださって、本当にありがとうございます!」

 まだ十四歳、モードウェンより三つ年下の少女は、頬を紅潮させて勢いよく頭を下げた。二つに纏めたお下げが馬の尾のように揺れる。それを微笑ましく眺めて見送り、モードウェンも荷解きに戻った。少ないとはいえ荷物があるから、片づけを済ませなければならない。それが終わったら、王宮の大まかな構造や仕来たりなどを最低限さらっておかなければ。近隣の領主たちや、父や兄と親交のある人々の元にも出向かなければならないから、贈り物の手配についても確認しておく必要がある。舞踏会だけに出てはい終わり、という訳にもいかないのだ。

「ああもう、面倒すぎる……」

 心の中でぼやいたつもりだったが、しっかり声に出ていたらしい。聞きとがめたナフィがくるりと振り向いた。

「どうして思考回路がご隠居みたいなんですか! 花も恥じらう十七の乙女として、華やかな王宮という極上の舞台で色々と動き回れることにわくわくしてみたらどうなんです! リーザを少しは見習っていただきたいですわ!」

「え……冗談でしょ? 私が目を輝かせてはしゃぐなんて、自分で想像するのも耐えられないくらい不気味だし、寒気がする。そういうのはあなたたちに任せておくわ」

 モードウェンは思わず身を震わせた。華やかな場所なんて目が回るだけだ。役回りを替われるなら、ぜひとも替わってほしい。

 ナフィは深く溜め息をついた。

「もしやと思っておりましたが、お嬢様……最低限の挨拶だけをして、お披露目の舞踏会だけに出て、それで終わりになさるおつもりでしたか?」

「もしやも何も、そのつもりだけど」

「いけません! ぶっつけ本番なんて、それこそ冗談が過ぎます!」

「ぶっつけも何も、お披露目というのだから、最初に出る場がそれのはずだけど」

 それを最初で最後にしたい。一回くらいなら、まだなんとか我慢できる……はずだ。たぶん。

「文字通りに受け取らないでください! お披露目とは、参加する最初の機会ではなくて、社交界に周知される機会ですわ。分かっておいででしょうに」

 もちろん、分かっている。早い者は一桁の年齢の頃から社交界に出てくるそうだが、デビュタントとしてお披露目される機会は限定されている。早い話が、格式の高い舞踏会だ。そうした舞踏会は年に数回あり、主催者たる国王陛下のお出ましがある。

 王宮で行われる催し事には音楽会や夜会、園遊会、学術発表会、各種のサロンなど様々なものがあり、子供でも出席できるものもある。デビュー前の子供たちは、そうした場で経験を積むのだ。貴族の中には、夫婦は領地に滞在したまま、子供だけを王宮に送る家も少なくない。

 アールランドの成人年齢は十七であり、男女ともに婚姻が可能になる。それまでに婚約を整えている者たちもいるが、そうではない者たちにとって、お披露目はよりよい結婚相手を捕まえる最初にして最大の好機だ。新入りが注目されるのはどこでも同じだし、紹介という名目で格上の家とも繋がりを作ることがしやすい。……ご苦労なことだ。

「分かってる分かってる。結婚相手を探して、人脈を築いて、立場を固めて、王族の方々からお言葉をかけていただく大きな機会だものね」

「……ものすごく、どうでもよさそうに仰いますね?」

 どうでもいいもの、という返答をモードウェンは寸でのところで呑み込んだ。モードウェンが望めば男爵位は回ってくるだろうが、爵位付きであれ、吹けば飛ぶような所領と陰気な娘とを欲しがる物好きはいないだろう。財力はあるが爵位を持たない豪商とてどうか。ゼランドの領地は、訳あって人が少なく、貧しい。

 モードウェンの表情に何を見たか、ナフィは眉を曇らせた。

「確かに、貴族の婚姻は所領の大小によらず、ままならないものですけど。お嬢様は欲がなさすぎです」

「欲ならあるわ。今すぐ帰って、元の生活を続けたい」

 モードウェンは心から言った。それを聞いたナフィはふっくらと形のいい唇を開き、何事か言いかけたが、思い直したように閉じた。

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