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 大陸に栄華を誇るアールランド王国、その王宮ウィア・サイキ。眠らない宮殿とも呼ばれるその場所は、夜が深まりつつある今も絢爛たる照明に身を飾り、夜の闇を寄せ付けまいと壮麗な姿を誇示していた。

 数多の尖塔が立ち、数え切れないほどの建物が複雑に連結する、緻密な細工物めいたウィア・サイキ。王宮を囲む壁の内側はまるでそれ自体が一つの国のように、アールランド南部の丘陵地帯に鎮座していた。

 王宮では常に何らかの催し事が行われ、退屈する暇があるどころか、そのすべてに出席することは元より不可能だ。体が幾つ必要になるか分からない。

 もちろん、催し事はいまも行われている。中心部にある艶麗な金樫宮の大広間で、ひときわ華やかな舞踏会が。

 冬の社交シーズンが始まろうとする今、この年に社交界にデビューする良家の子女たちの多くが、この舞踏会を最初のお披露目の場にと選んでいた。会場は色とりどりのドレスを纏った令嬢たちや、華やかな宮廷服を纏った令息たち、紳士淑女たちで埋め尽くされている。

 ――会場の一角を除いて。

 等間隔に設えられた大燭台は豊かに実をつけた七竈の枝を模したもので統一されており、染料が混ぜ込まれた赤い蝋燭を支えている。冬の始まりを照らすのに相応しい趣向だ。

 しかし、会場の一角だけ、なぜか光が翳ったような印象があった。

 ――一人の令嬢の周りだけが。

 その娘は、ほとんど黒に近いような深紫色の古風なドレスを纏っていた。襟ぐりを深く開けるのが正装の決まりなのだが、そんなことは知ったことではないとばかりに首元を高く詰め、手袋を嵌めた指先から靴の爪先までを固く鎧うように覆い隠し、ご丁寧に頭には薄い紗を被って顔を隠していた。

 時代も場所も間違えたような格好をした娘は、異様な雰囲気を辺りに振りまいていた。舞踏会ではなく葬式の場にこそよほど相応しいだろう格好だ。

 娘は、壁の花――花は花でも、陰気な腐生植物のたぐい――になっており、賓客どころか使用人たちですら避けて通り、見ないふりをしていた。

(……ああ、早く帰りたい。眩しい、くらくらする、もう嫌……)

 娘は紗の下に隠された目を伏せ、溜め息を噛み殺した。



「……王宮に、ですか? ……私が?」

 モードウェンは聞き返し、思わず顔を上げた。渋面の父親と視線が真っ向からぶつかり、これが冗談でも何でもないのだと理解する。手から匙が滑り落ち、長卓に乾いた音が響いた。

 田舎領主ゼランド家の晩餐の席。食卓についているのは当主のアロード・ゼランド男爵と、彼の末娘モードウェンだけだ。家族の数が少ないうえ、結婚して独立した長男は実家にほとんど戻ってこない。

 つまり、王宮に行けという父の言葉は、モードウェンに対して発されたものに間違いない。社交など大嫌い、一生ずっと領地に引きこもって静かに暮らしていたい、いっそ修道女になってもいい――修道会の方からお断りされるだろうが――とさえ思うモードウェンに、王宮に行けと。

「……正気ですか、お父様?」

 娘のあんまりな言葉に、父の渋面が一層ひどくなった。

「むろん正気だとも。むしろお前に問いたいのだが、仮にも成年を迎えた貴族の娘が、国王陛下にお目通りもなしで済ませられるなどと……正気で考えておるのか?」

「あ……」

 モードウェンは紫色の目を見開いた。

 十七歳になり成人した貴族は、特別な事情がない限り、一年以内に王宮で陛下に拝謁をしなければならない。

 いかな弱小貴族とはいえ、それは貴族の義務だ。従わなければ王家への叛意ありと見做されて、取り潰されても文句は言えない。

 モードウェンの誕生日は一月の終わり。今は十月の半ば。――猶予は少ない。

 モードウェンは恨めしく思いながら父を見上げた。

「お父様……どうしてもっと早くに教えてくださらなかったのですか」

「何度も教えたとも。お前が先延ばしに先延ばしにとしてきただけだろう」

「…………」

 言われてみれば、聞き流したような覚えがある。言い返す言葉もない。

 言うべきことは言ったとばかりに、父は何食わぬ顔でポタージュを口に運んでいる。モードウェンの前に置かれた皿はどんどん冷めていっているが、目に入らない。

「……冬は、人死にが増える季節なのに。そんな浮ついたことをしている場合ではないのに……」

「夏にも同じことを言っておったな」

「…………」

 いかにも自分が言いそうなことだ。モードウェンは自分の舌を噛みたくなった。

 冬は社交の季節だ。夏には各々の領地で狩猟を楽しむ貴族たちが、続々と王宮へと集まってくる。降誕祭や新年祭などの華々しい行事が目白押しの時期で、貴族たちは人脈作りや情報収集のために交流し、協調し、あるいは敵対する。陰謀が企まれ、ときには表立った沙汰にもなる。人や物や金が動き、多くの人々があるいは巻き込まれ、あるいは糸を引く。そんな有象無象、魑魅魍魎どもの群れなす中に飛び込むなど、考えただけで倒れそうだ。

「社交の時期の王宮なんて嫌。行きたくない……」

「そういえば、夏は人が少なくて目立つから嫌だと言っておったな」

「…………」

「いつ行っても同じだ。行ってこい」

「……………………はい」

 それしか、答えようがなかった。

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