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「ほたら早速ブルペンで投げてみいや。ほんまに雨男かどうか、見たるさかい」
もちろん監督代行は彼が「雨男」かどうかなど問題にしてはいなかった。だが投手陣の惨状を考えれば、藁をもつかむ思いだったに違いない。
それから彼はブルペンで投げた。そして彼の投球を見るや監督代行は、崩壊した投手陣の中でなら「中の下」くらいの実力はあると考え、彼の採用を決めたのだった。
監督代行はかつて試合開始直後に肩を傷めた時、彼に「代役」を務めてもらっていた。
彼は、「お互い様ですよ」と快くそれを引き受けた。
監督代行の心の中にはその彼の言葉が残っていた。
そして、生活に困っているらしいと噂に聞いていた彼を採用することは、その「恩返し」になるとも思っていたようだ。
しかし単なる「お情けで」彼を採用した訳ではない。就職口の見付からない彼は河川敷の堤防でしっかりと走り込んでいたし、時々練習試合でも投げていたし、例の「魔法のピッチングフォーム」の経験も、なにがしかの役にたっていたのだ。
つまり彼の体には「正しいフォーム」が多少なりとも染みついていたのだった。
それゆえ監督代行は、彼の投球をある程度評価したのだ。
それと監督代行が彼の採用を決めたのには、もう一つの理由があった。
それは彼が「暴力魔」であると思われていたことである。もちろん、監督代行は彼のことを暴力魔などとは思っていなかった。彼とは気心が知れていたからだ。
だけど球界内にはそういう噂があったのは事実である。
実は監督代行はそれを逆手に取ろうと考えたのだ。というのもこの球団が所属するリーグには、なぜか気性の荒い選手が多かったという事情があり、デッドボールを当てると投手がぼこぼこにされるという事例も多かったのだ。
それゆえ彼の存在は、乱闘の「抑止力」としての意義もあると考えていたらしいのだ。
それはさておいて、彼が「魔力」を発揮するチャンスは意外と早くやってきた。
彼が一軍に昇格した日の本拠地でのナイトゲームでのことだった。
例によって先発投手がめった打ちに遭い、その後に出て来た投手らも火に油を注いだ。
すなわち、試合は三回表ノーアウト満塁で13対0となっていたのだ。
そして敗戦処理投手として、彼がマウンドに上がった。
彼は「そこそこ」のピッチングをした。
犠牲フライやら内野安打で、さらに二点を失ったものの、ツーアウトまでこぎつけた。
そのときである。バックスクリーンの方向から真っ黒な雲が押し寄せてきたのだ。
それからはもう、バケツをひっくり返したような土砂降りだった。グラウンドは泥沼となり、その完全な負け試合は「ノーゲーム」となった。
「だから言ったでしょう…」試合の後、彼は監督代行に話していた。
「僕が投げると必ず土砂降りになるんです!」
「わかったわかった。今夜はほんま、ラッキーやったわ。大雨注意報、出てたさかいな」
もちろん監督代行はまだ、彼が本当に雨男、それも「大雨男」だと思ってはいなかった。
その翌日。グラウンドに大量の砂を入れて可能になった試合。
やはり先発、二番手、三番手と炎上し、序盤で15対0とされたところで彼はまた敗戦処理として登板した。
もちろんその直後、豪雨となった。
「だから僕が投げると大雨が降るんです。土砂降りでっせ!」
試合は中断し、選手たちはベンチの椅子の上に立ち上がり呆然とグラウンドを見つめていた。
グラウンドからの泥水が滝のようにダッグアウト内へ押し寄せていたからだ。
そして直前まで彼が投げていたマウンドも、もはや「無人島」と化し、やがて地球温暖化に伴う海面上昇よろしく「水没」してしまった。
「昨日もそうだったでしょう。とにかく僕は雨男なんです。それも、大雨男!」
「うーん、地球温暖化やなぁ…」
「違います。地球温暖化なんて嘘ですよ! 僕は大雨男!」
その後、彼は先発が崩れ序盤で大量点を失ったときの「敗戦処理」としてたびたび登板した。
もちろん彼はそれらの試合を全て大雨で「ノーゲーム」にした。
これだけ連続してノーゲームになると、監督代行も彼を信じない訳にはいかなくなった。
その後彼は序盤でぼろ負けの展開の時には必ず登板するようになり、もちろんそれらの試合を彼はことごとくノーゲームにしていった。
彼が登板しないのは味方打線が爆発し大量リードしたときや、先発投手がまぐれで好投したときだけだ。
それから一点リードした六回の表なんかに登板することもあった。このケースでは土砂降りでも「コールド勝ち」となるのである。
とにかく彼の「活躍」でこのチームの勝率はぐんぐんと上昇していったのだ。(試合の日程調整は困難を極めたが…)
それはともあれ、チームは十年ぶりに最下位脱出に成功したのである。
彼が投げると大雨が降る。
それはもはや万人の認めることとなった。
彼が登板するとスタンドでは一斉に傘の花が開き、「ノーゲームコール」が沸き起こったのだ。
そして彼の「第一球」を見届けるや、我先に家路へつくのであった。
そしていつしか人々は、彼のことを「水魔神」と呼ぶようになった。
彼は一躍人気者となったのである。
ところで彼が降らす雨は球場の「局地的豪雨」だったので、球場の外では小雨程度だったらしい。だから電車などの公共交通機関が止まる心配も無かったのだ。
つまり福の神が言うように、彼はもとより、不特定多数の人に対しても魔力、すなわち「大雨」で迷惑を掛けることは「概ね」無かったのである。
それどころかある年は各地で干ばつの被害が起こり、農家などからは彼に「登板」して欲しいという要望も殺到したのだった。
ただし彼は「公式戦」でないと雨を降らせない。
そんな干ばつに苦しむある村からどうしても来てほしいと懇願され、仕方なく現地に赴いた彼は、村長にそのことを説明した。
すると村長は「そんなら田んぼで公式戦さやるだんべぇ!」とか言いだし、村の若い衆十七人を集め、彼を含め二チームを作った。
彼が「審判もいるだんべぇ!」と言うと、村長自ら球審を務めた。
そして一塁塁審は助役、二塁塁審は議長、三塁塁審は副議長が務めることになった。
それから「公式記録員はどんげすっと?」と彼が言ったところ、村議会の議事録担当者がやると申し出た。
かくして耕うん機で整備された仮設グラウンドで、村民野球大会の「公式戦」が取り行われたのだ。
もちろん彼が先発すると、程なく一ヘクタールの田んぼで「局地的豪雨」となった。
一回表途中、球審である村長は「ノーゲーム」を宣告。もちろん野球は中止。程なく雨は止み、それから参加者全員での田植えが始まったのだ。
それからも各地から同様の要請が殺到し、彼はあちこちでその「恵みの雨」を降らせた。
彼は福の神が言っていた「天之水分神」とか「豊作の神」という意味が、その時になってやっと分かったような気がしていた。
たがこの「雨乞いの儀式」は多くの人出を要する割には一ヘクタール程しか雨が降らないという効率の悪さも指摘され始め、しかも翌年には彼には責任の無い「本物の豪雨」があったりもして、次第に「登板要請」は減っていった。
そんな話はさておいて、野球界ではライバル球団の関係者の中に、球団が何か特別な細工をして雨を降らせていると、クレームを付ける者も出てきた。
とりわけ、球場に限定した「局地的豪雨が不自然」だというのである。これに対して球団の幹部は、「雨という自然現象に、『不自然』も何もあったものじゃない」と言って、このようなクレームをばっさりと切り捨てた。
同時にこう付け加えることも忘れなかった。
「奴はごっつい雨男ですさかいなあ。わっはっは」
一方、「彼が登板する時、どのようなメカニズムで雨が降るのか?」ということに興味を持ったマスコミもあった。
彼が登板したある夜、球場上空に気圧計やら雨量計やらの計器を満載したヘリコプターを待機させ、調査をしたのだ。
ほどなく雨が降り始め、その様子は野球中継の裏番組としてテレビで実況中継された。画面では(人間界の)気象予報士の資格を持つ背広姿のレポーターがヘリのドアを開け、ずぶ濡れになりながら絶叫していた。
「いま、上空に真っ黒い雲が押し寄せてきました! あ! いよいよ雨が降ってきました! 物凄い雨です! どしゃぶりです! 叩き付けるような、物凄い雨です! 物凄い雨ですぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ…」
ところが、音声と映像はここで途切れてしまった。あまりの雨にヘリのエンジンが水を吸い込んで不調となり、そのままマウンド付近に不時着してしまったのだ。
球場は大騒ぎになった。
もちろんヘリコプターや高価な観測機器は壊れ、レポーターは足を骨折。パイロットもぎっくり腰になった。
しかもこれじゃ「物凄い雨ですぅぅぅぅぅ!」以外、何の情報もないではないか!
それに怒った視聴者からの苦情の電話やファクスやメールやツィートがテレビ局殺到した。
しかもこの不時着の様子はライバル局の野球中継で写された。野球中継の最後の画面には、泥だらけのレポーターの顔が大写しにされたのだ。
かくしてこのヘリを飛ばしたテレビ局は苦情を受けるわ、赤っ恥をかくわ、ヘリコプターは壊れ大損するわで散々な目に遭った。
そしてこのテレビ局の悲惨な結末以後、彼の登板の時に雨が降る理由をごちゃごちゃ調べようとする者など、誰一人いなくなってしまったのである。
とにかく「彼は雨男だから!」で、国民全体が納得せざるを得なくなったのである。
一方球団はそんな彼を大変重宝した。なんといってもぼろ負けのゲームを、それこそビデオゲームをリセットするように「ノーゲーム」にしてしまうのだから。
もはや彼は「水魔人」として貴重な「戦力」となっていたのである。
即ちその次のシーズンでは彼の年棒は三倍に。そのまた次のシーズンではさらにその三倍に跳ね上がったのだ。
彼はもはや「スタープレーヤー」だった。
そんな彼は毎月大金を実家に仕送りしていた。もちろん、彼自身は幸福の絶頂期にあった。
しかし彼の幸福がいつまでも続くことは無かった。




