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さっぱりわからないから、程なく彼は職を探し始めた。
そもそも彼は「魔法でプロ野球復帰」など、とっくに封印していたし、さっぱりわからない魔力のことなど忘れ、堅実に働いて両親に迷惑を掛けないようにしようと考えたのだ。
だけど「審判にボールを投げつけた投手」と報道されたことが、彼にとって思わぬ足枷となっていた。
不況の影響もあり、彼の就職活動は予想外に難航していたのだ。
しかも悪いことは重なるもので、彼の実家の稼業がやはり不況の影響を受け、経営がピンチになってしまったのだった。
彼の父は数千万の負債を抱え、もはや彼は「のんびり野球」どころではなくなってしまった。
もっとも試合のたびに雨が降るから、そもそも野球どころではなかったのだが…
それはともかく、その年の年末になると実家には債権者からの電話もじゃんじゃん掛かり始めた。とても年末年始どころではない状態になっていたのだ。
彼は実家の二階の部屋で頭を抱えていた。
雨男はさておいて、彼の父が抱えてしまった大量の負債…
追い詰められた彼はいつしか封印したはずの「魔法でプロ野球復帰」を再び考え始めていた。
そしてそのとき、彼は福の神のこんな言葉を思い出した。
この魔力でまた天下無敵じゃ。年俸もうなぎ登り…
(だけど、こんなしょうもない魔力でどうやったら年俸がうなぎ登りになるというのだ。そもそも「雨男」を雇う球団などあろう筈がないではないか! 雨男じゃ「雨天中止」ばかりだ。それでは球団も大赤字だろう…)
そう考えると彼は絶望し、もう一度頭を抱えた。
それでも一階では債権者からの電話が容赦なく鳴り響いていた。その音は二階にいた彼の地獄耳にも洪水のように流れ込んだ。
(ええい、やかましいい!)
彼は部屋にあった古ぼけたちゃぶ台をひっくり返そうとしたが、自制した。
神に誓って自分は「暴力魔」ではない。
ただの「雨男」なのだ。
年が明けたある日、彼は小さな新聞記事を見付けた。
かつて彼は試合開始直後に肩を傷め、緊急降板した先輩投手の代役を務めたことがあった。
彼は福の神が言うところの「人助け」をやっていた訳だ。もっともその試合で彼は見事に炎上したのだが…
それはともかく、その人物がとある弱小チームの監督代行に就任したという記事だった。
実は、その人物はそのまま肩が回復せずその年に現役引退し、その人物の地元にあるチームのコーチに就任していたらしいのだが、そこの監督がチームの体たらくにとうとう癇癪を起こし、「わしはもう辞める!」と言い遺し、突然辞めた。
そして急遽その人物が監督代行に就任したらしかった。
(あんな弱小チームの監督代行だなんて…)
彼は思った。
そして気心が知れていたその人物の境遇を思うと、彼はもう一度「人助け」をしてやりたい気持ちになった。
だけど何もしてあげられない自分が情けなかった。そのチームで先発して大車輪の活躍なんて、夢のまた夢。
彼の父の負債もそうだ。何もしてあげられない。
自分は「暴力魔」で、まともに就職すらままならない。
だから彼は悶々と過ごすほかなかったのである。
彼に出来るのはコンビニでのバイトや軟式野球チームのバッティング投手くらいだったのだ。
実は不思議なことに、彼がバッティング投手をやっても雨は降らなかった。それどころか、シートバッティングでも練習試合でもそうだった。雨が降ったのは公式戦のみだったのである。
すなわち、グラウンドが「池」になったり「沼」になったりしたのは、県の軟式野球連盟の公式戦だけだったのだ。
その理由は定かではないが…
そういう訳で、彼は練習試合でなら登板出来た。
だから彼は時々投げて、最低限の試合勘を保つことは出来た。
それに就職が出来ないので、稼業の手伝いやバイト以外はそれなりに自由な時間もあり、そんな時彼は、近所の河川敷の堤防を黙々と走った。
それからしばらくして、プロ野球のシーズンが始まった。
彼は相変わらずの日々を過ごしていた。バイトで多少は実家の家計に貢献しても、たかが知れている。
彼の父は、毎日借金取りに追われ「火だるま」になっていたのだ。
例の監督代行も同様だった。元々弱小チームだった上に、主力の投手陣に故障者が続出していたのだ。
チームは悲惨な状態で、時々打線の爆発で勝つことはあるものの、先発投手が序盤で大量点を奪われることもたびたびで、チームは春先から大量の負け越し、つまり「借金」にあえいでいたのである。
彼は大量の「借金」にあえいでいるそのチームの様子を、自分の父親とだぶらせていた。
(とにかく親父の負債を解消し、監督代行の助太刀も出来ないものか…)
「魔法でプロ野球復帰」の是非はともかく、そのとき彼は「背に腹は代えられない」と思い始めていたのだ。
そんなある日。
彼はナイター中継でそのチームの試合を見ていた。
その日も序盤に大量点を奪われ敗色濃厚だった。試合は三回表で、十二対一と大きく負け越し、ガラガラのスタンドからはヤジが飛び交い、マウンドに集まっていた選手、コーチそして監督代行の苦悩の表情が画面から見て取れた。
(こんな時、せめて僕が敗戦処理でもすることが出来れば…)
彼は思った。
彼は敗戦処理なら慣れっこだった。前にいたチームで何度やったことか。
でも「雨男」となってしまった彼には、もはや敗戦処理すらままならない。
(いまどきドーム球場ではなくて、しかも内野は土のグラウンド。ここで僕が登板したって、大雨になって試合は「ノーゲーム」になるだけだ…)
彼は自虐的にそう思うと、またまた絶望した。
(「魔法でプロ野球復帰」も何もあったものじゃない。僕みたいな雨男が敗戦処理をしたところで、試合は「ノーゲーム」になるだけだ…)
敗戦処理さえ出来なくなった自分が情けなかった。
福の神は、〈じゃがこの魔力を授かることでお前さんは試合で重要な働きをし、チームの勝利に貢献すること請け合いじゃ〉などと能天気なことを言っていたけれど、今更雨男が何の役に立つというのだ!
(敗戦処理をしても「ノーゲーム」になるだけさ…)
彼はなげやりにそう思った。
でもその「ノーゲーム」という言葉が、彼の心に引っ掛かった。
(ノーゲームになるだけ? ノーゲーム、ノーゲーム、ノーゲーム…)
それから彼は考え続けた。
(ノーゲーム? 待てよ。ぼろ負けの試合が必ずノーゲームになったら…)
その時、もはや「背に腹は代えられない」彼の頭の中で、何かが閃いた。
(そうか! これなら福の神様が言っていたように試合で「重要な働き」が出来る。だから親父の借金返済と監督代行の助太刀が同時に出来るじゃないか!)
「本当です。僕が登板したら必ず大雨が降って、試合はノーゲームになるんです!」
早速彼はその監督代行の元を訪れた。
彼はナイター中継を見ながら閃いたそのアイディアを監督代行に熱弁していたのだった。




