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 マウンドで膝を深く折り曲げ、一度大きく沈み込む。もちろんパンタグラフは一度架線から外れる。(離線!)だけど架線から火花は飛ばない♪(電天様、ありがとさん)

 それから軸足で強く蹴り空中高く舞い上がる。

 舞い上がると再度パンタグラフは架線に届き、電力の供給を受ける。彼の体に力が漲る。

 そして空中で腕を振り上げ、一気に剛速球を投げ込む。

 バレーのスパイクのような急角度の剛速球だ。

 名付けて「魔球スパイク!」

 彼は考えた。

(これが出来れば、MP120など不要だ!)


 問題はこのジャンプは彼自身の力でやらなければいけないということだ。彼がかがみ込んだその瞬間、一度パンタグラフが架線から外れるからだ。だから足腰を強化する必要がある。

 ならばスクワットだ!

 それから彼は、週三回ジムに通い始めた。

 最初は百六十キロから。やがて二百、二百五十キロと上げていった。そしてどうせだからとインストラクターの薦めもありベンチプレスや何やかや、投手に必要な筋トレメニューも一通りやることにした。

 それとジムに通うにはお金が掛かることから、彼はコンビニでのバイトも頑張った。


 それから週三回、バレーの練習もやることにした。スパイクの練習だ。

 彼の知り合いに、バレーの元全日本代表候補とかいう人がいて、その人が中心になっている地元のバレーチームの練習に参加させてもらうことにしたのだ。

 彼はその人に「実はバレーのスパイクを応用した新しい魔球を思い付いた」と正直に事情を話し、夜間の町民体育館でスパイクの練習をしたいと申し出たのだ。

 それと、「このことは内緒にしてくれ」とも頼んだ。

 もちろんスパイクだけでは不自然なので、レシーブや試合形式の練習にも参加した。

 これらの練習も足腰の強化に役立った。


 ランニングにも工夫をした。

 瞬発力を養うため百メートルダッシュを取り入れたのだ。その為に彼は近所にあった、ホルモン焼き屋へと続く急な登り坂を使った。毎日百本のダッシュをこなしたのである。そして時々ホルモン焼きを買って帰り、貴重なタンパク源とした。

 熱心に練習する彼の姿に店の親父は「頑張んないよ」と言っていつも大目にホルモン焼きを袋に入れてくれたりもした。

 そして持久力を高めるため、毎日二十キロのランニングも欠かさなかった。彼はしばしば河川敷の堤防を河口近くまで走ったのだ。

 そのまま漁港の近くまで走ることもあり、そんな時は市場で水揚げされたばかりの、新鮮なカツオやマグロを買い、氷とともにビニール袋に入れ、そのままナップサックに入れ、それを背負った彼は背中を冷や冷やさせながら家まで走ったのだ。

 これまた貴重なタンパク源だった。

 そんなある日、熱心に走る彼の姿に市場の親父が感動して、大物のマグロを格安で分けてくれたこともあった。しかし彼のナップサックにはとても納まらなかった。

 そこで彼は一度家へ走って帰り、停電魔人時代に愛用していたリアカー牽引自転車を出動させたこともあった。


 まあそういう話は置いといて、ともあれ彼としては先発して九回を「魔球スパイク」のみで投げ切ることを目標としていたのだ。

 で、実際の投球練習も開始した。

 そのために彼は地元にある高圧線の下の土地のうちで、池乃下球場のマウンドとほぼ同じ条件の場所を探した。そしてそれは、そんなに難しいことではなかった。

 とりあえず目分量でそれらしい場所へ行き、実際に立ってみればすぐにわかる。絶好の土地は知り合いの甚平さんというおじいさんの大根畑の中にあった。

 彼は甚平さんに頼んで、毎日二時間畑仕事を手伝う代わりに、畑の一角にマウンドを作らせてもらうことにしたのだ。

 マウンドの高さは野球規則で25・4センチと決まっているので、彼は甚平さんに手伝ってもらい、杭を打ち糸を張って正確に土を盛りマウンドを作った。

 プレートは大昔使っていたという洗濯板を甚平さんが納屋から出して持って来てくれたのでそれを使った。少しばかり幅が広いが、たいした支障はなかった。

 それから甚平さんが、

「あんたの投ぐる球はてげ恐ろしゅうてわしゃよう捕らんっちゃわぁ」というまでもなく、キャッチャー代わりのネットを甚平さんがカスミ網を使って設置してくれた。

 カスミ網だと良く見えないので、甚平さんの編んだ縄を使い、四角いストライクゾーンを網に着けた。

 そこで彼は魔球の練習を続けたのだった。

 農作業の手を休め、珍しそうに彼の様子を眺めながら、甚平さんは言った。

「てげ珍しい練習しちょりやるなぁ。あんたバレーの練習しちょりやると? それとも野球な?」


 だけど大問題があった。この投げ方ではコントロールを付けることがとても難しかったのだ。

 足場のない空中だから思うように姿勢が保てないのである。とてもストライクが入るような状態ではなかったのだ。

 そこで彼は週三回、トランポリンの練習にも通い始めた。


 トランポリンのクラブはグーグルで検索すると案外近くにあることがわかった。

 そこはバレーチームのような気合の入ったクラブではなく、どちらかというと同好会的なものだったが、彼はそこでトランポリンの基礎から手解きを受けたのだ。

 時には早めに練習場へ行き、一人密かにトランポリンで「魔球スパイク」のフォームを試してみることもあった。

 もちろん、誰かが来るとトランポリンの基礎である垂直跳び、膝落ち、腰落ちなどの練習に素早く切り替えた。

 それと、実は魔球のフォームを試していると、どうしても斜めに飛び上がってしまわざるを得ない関係上、トランポリンのフレームに落下する危険があった。

 ある時彼は実際にフレームに落ちたのだが、気の毒なことに見事に股間から落ち、酷い目に遭ってしまった。

 で、そういうこともあり、それ以来トランポリン上での「魔球」は封印したようだった。


 で、そういうこともさておいて、いずれにしてもトランポリンは彼にとって空中での姿勢を自由に操る能力を得るためには、大変有効なトレーニングだったようだ。

 ところで彼は電天様の振り込め詐欺未遂事件やら魔球スパイクを思い付くやらで、職探しを先延ばしにしていた。だけどコンビニのバイトなどでは収入も限られている。

 それでは両親に迷惑が掛かり申し訳ないと思い、どうせバイトをするならより多くの収入を求め、同時に体も鍛えられからと、土木作業などの重労働の仕事を探すことにした。


 そんなある日、彼の眼に留まったのがとび職だった。

 それはある意味、彼にとって運命的な仕事だった。

 建築現場でも改修でも塗装でも、職人さんたちの足場を作るのが「足場とび」という仕事である。とび職人たちはニッカボッカ姿で、目もくらむような高所で華麗に仕事をこなしていたのである。

 それを見た彼は、迷わずその世界に入ることに決めた。この仕事は高度なバランス感覚が必要と考えられ、彼には最適の仕事に思えたのである。

 そこで彼は、あるとび職の親方を訪ね、弟子入りしたいと申し出たのだ。

 だけどこの仕事を始めるとバランス感覚のみならず、強靭な足腰も重要だということがすぐにわかった。 つまり彼にとっては一石二鳥、いや、収入を考えると一石三鳥の仕事だった。


 ところで、元々彼は「魔球の為」という理由でこの世界に入った訳だ。しかしこの仕事を続けているうちに、彼の考えはだんだんと変わっていった。

「とび職がいなければ足場が出来ない。足場が出来なければ、大工でも左官でも塗装工でも、どんな職人でもそこで仕事が出来ない」

 見習いを始めてしばらくしたある日の飲み会で、とび職の親方が彼にそんな話をしたのだ。

 それは彼の心に響いた。

 同時に彼はかつて「時間外の捕球」をさせてしまったブルペン捕手のことを思い出した。そして彼は思った。

(どんな世界にも、縁の下の力持ちは、絶対に必要なのだ!)と。


 確かにこの時の彼は魔球の為、プロ野球選手に戻る為にとび職人の見習いをしていた。だけどプロ野球に戻れたとしても、いつかは引退しなければならない。その後には長い第二の人生がある。

 彼の強靭な体や運動神経に惚れ込んでいた親方は、そんな彼に引退したら立派な職人としてやっていけるようにと、とび職人に必要な「玉掛け作業責任者」や「足場の組立て責任者」の講習を受け、資格を取ることを勧めた。もちろん彼はそれに従った。

 そんな彼は福の神である電天様も、さまざまな資格を取っていたことを思い出した。

 そして彼は仮にプロ野球に戻れたとしても、引退後はとび職で食っていこうかと真剣に考え始めていたのである。


 しかしそうは言っても、その時点での彼は生活の全てが「魔球」の為にあったことには違いなかった。

 引退後のこととかはさておいて、少なくともその時点において彼は魔球の為に全力を尽くしていたのである。

 だからといって、誰もそのことで彼を責められまい。

 即ち、とび職の仕事が終われば一目散に甚平さんの畑へ、はたまた筋トレの為にジムへ、はたまたトランポリンの練習へ、さらにはバレーの練習へと向かったのだ。

 もちろんランニングも欠かせなかったし、しばしば港から大物のマグロをリヤカー牽引自転車に積んで帰り、両親を喜ばせたりもした。

 彼の母親は大物のマグロのさばき方がたいそう上手くなったらしいが、もちろんマグロの話と魔球とは全く関係がない。

 ともあれ、その時の彼は、生活の全てを魔球に捧げていたと言える。

 だけど、どうして彼がそこまでしたのか。

 それは謎である。

 もしかすると彼の頭が、高圧線の電気でイカれていたのかも知れない。さもなければ、彼自身「魔球スパイク」に洗脳されていたのかも知れない。

 とにかく、その時の彼は魔球開発に向けて爆走していたのだ。もはや彼の頭の中には「乗りかかった船」とか「毒を食らはば皿まで」とかいう言葉しか無かったようだった。


 だいたいここまで精進すれば普通に投げても相当な快速球が…、誰しもそう思うのではないだろうか。

 まあそれもさておいて。

 しかしそこまでしても、「魔球スパイク」は、やればやるほど得体が知れず、そして途方もなく困難なものだとわかってきた。

 まともにストライクが入らない。空中から投げるため下半身の力がうまく伝わらず、従って、思うほど球速が出ない。それに、恐ろしく体力を消耗する。

 とにかく難問山積だったのだ。その上、繰り返すが「魔球スパイク」は、本来「不正」なものだ。高圧線からの電力を利用した剛速球だからだ。

 それは魔法のピッチングフォームと同様に「ドーピング」であり、彼自身あれほど忌み嫌い、こだわっていたことだ。

 だから魔法のピッチングフォームのように悲惨な結末にもなりかねない。それは彼にも十分に認識出来ていた筈だ。

 しかしそれでもなお彼は「いかにしてこの魔球を完成させるか」のみを考えていた。

 そしてこれを完成しなければ、自分はプロ野球では通用しない。

 彼はすっかりそう思い込んでいたのだ。

 そして彼は考えていた。

(ここまでやった以上、今更やめられようか!)と。

 だから彼は何年掛かってもこの魔球を完成しよう。とにかく練習して体力をつけ、バランス感覚を養い、バレーのスパイクの技術を習得し、これらの困難を克服しようとした。

 とにかくそれ以外に道はない。

 何故か彼は、そう信じ切っていたのだ。


「あんまり無理するな。いつか体を壊すぞ」そんな父親の助言にも彼は耳を貸さなかった。

 とにかく魔球スパイクを完成するため、彼は考え得るすべてを実行したのだった。

 こうして三年の月日が流れた。


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