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それから彼は、フェリー乗り場から恐る恐るフェリーに乗ったのだが、幸い船室に入らなければ船がエンストすることも、もちろん停電することもなかった。
彼はほっと胸をなでおろした。そしてデッキに立った彼には心地よい海風が当たった。
九州に入ってからも自転車で旅を続け、そして彼は地元にたどりついた。
彼はこんな状況だし、実家に帰ることも出来ない。帰ればその日から晩飯は薪で炊き、ロウソクの灯りで一家だんらんだ。(それも悪くないけれど)
それで彼はやはり人里はなれた場所にテントを張り、怪しまれないうちに移動するという生活を続けた。
なるべく他人様に迷惑が掛からぬよう、電線なんかを避けてテントを張った。
それでも、ゴミ箱に捨ててある新聞なんかに「最近停電が頻発」という記事が載っていたりして、彼は心を痛めた。それじゃ世間様に申し訳ないと、なるべく電線を避けるようテントを張る場所にはとりわけ気を使った。
彼のお気に入りは広い草原や菜の花畑のある古墳群だった。しばしば彼は、公開されている古墳の石室で寝ることもあった。
そんな彼は自分の暮らしぶりを古代人のそれと比べた。電気が使えない自分は古代人とどう違うのか。
だけど彼は、田舎のパソコンはおろか電気式のレジ装置さえ置いていない店でなら買い物も出来たし、テントや自転車もあった。それにリヤカーもある。だから彼は、自分はまだまだ恵まれていると思うことにした。
彼はそんな買い出しをする行きつけの店のおばあちゃんと、店の軒先でよく話をした。軒先で話すのは店の中に入ると停電するからだ。停電してもアイスクリームの冷凍庫が止まるくらいだけど。
彼にとってこのおばあちゃんは、最新のITにも匹敵する情報源だった。野球部の同級生の誰それはどこで働いているとか、最近誰が結婚したとか、なんとかという野球チームを作ったとか、いろんな情報を教えてもらったのだ。
皆に逢いたかった。クラス会もやりたいが連絡を取ろうにも携帯がだめだ。
いや携帯はとっくに道頓堀に投げ捨てていた。それに喫茶店で逢うとしても電気が消える。音楽が止まりコーヒーは沸かなくなり、多分、彼は追い出される。だから彼がいる時に集まることの出来る場所は、昼間の屋外しかない。やっぱり野球だ!
それで彼はおばあちゃんから「出さなかった年賀状」や「手持ちの切手」なんかを分けてもらい、近くの簡易郵便局からはがきを出し、それから定期的に野球の練習や試合をやることになった。
ちなみに彼はもはや「水魔人」ではなくなっていたから雨の心配は無用だった。ただし停電魔人なのでナイターなどもってのほかだった。もちろん試合の後の「飲み会」も出席出来ない。だけど河川敷でならそのままバーベキューが出来た。
ちなみに、バーベキューを楽しんでいる間は誰ひとりの携帯もスマホも鳴らなかったので、バーベキューの楽しい語らいが中断されることもなく、この点だけは妙に都合が良かった。
ともあれ彼は定期的に同級生チームで登板し、野球を楽しんだのだ。
そんなある日の試合。河川敷のグラウンドで、たまたま頭上を高圧線が通る場所だった。
頭上も頭上。マウンドの真上だ。それが百万キロワットの発電所に繋がっていた。
彼は「まずい」と思った。もしも発電所が止まったら…
(でも仕方がない。グラウンドはここしか空いてなかったし、ええいどうにでもなれ。たかが百万キロワット!)
普段はなるべく他人様に迷惑を掛けぬよう気を使っていた彼だったが、この日は珍しく大胆にもそう考え、マウンドに上がったのだ。
しかしその理由は定かではない。
それはさておいて、その日の相手チームはたまたま軟式野球連盟Aクラス優勝の常連だった。
しかもそこのエースが投げる日だったのだ。
実はこのエースたるや、プロ野球のドラフトで指名されたものの「家業の畳屋を継ぐ」といってプロ入りを辞退した男だった。もちろん打線だって元社会人野球のつわものがズラリ。
とんでもないチームと対戦したものだ。
ホームレス生活で多少なりとも疲弊していた彼は、いくら元プロ野球選手とはいえ、そんなに抑えられる相手ではない。
ただしリヤカー牽引自転車で足腰は丈夫だったけれど。それに、洗濯物絞りで手首も強かったが…
だけどその日、彼は自分でも信じられない位、体に力が漲っていた。リヤカー牽引や洗濯物絞りの効果だけでは説明の付つかない、物凄い剛速球を連発したのだ。
しかも、投げても投げても疲れない。まるで電車並みのスタミナだった。
ところが味方の攻撃中、ベンチ前でキャッチボールをやると何だか力が入らない。
いつもの「ホームレスピッチャー」に逆戻りだ。ところがマウンドへ行くと剛速球連発。
不思議だった。試合は結局延長18回、0対0で日没引き分けとなった。
帰り道、彼はいつものおばあちゃんの店の軒先で、買出しのついでに聞いてみた。
「今日は大規模な停電はなかったですか?」
やはり発電所が故障しなかったか不安だったのだ。
「時々電燈がちらちらしたけどねえ。大したことはなかったよ。停電の話も聞かないねえ」
それを聞いて安心した彼はそこで買い物をし、「ねぐら」である古墳の石室へ帰り、自炊の晩飯のあと石畳の上で寝転んで、いろいろと考えた。
(どうしてあんなに凄い球が投げられたのだろう? しかもあのスタミナ! だけどベンチ前じゃいつもと同じ。何が違うかといえば、マウンドの真上の高圧線…)
不思議だった。さっぱりわからない。
(まあいいか。寝よう)
彼が寝ようとしていると、突然石室の中が煙に覆われた。そしてしばらくすると、ぼんやりと人影のようなものが現れた。
彼は古代人が怒って出てきたと思い飛び上がり、それから土下座した。
「大変申し訳ございません。僕、ほかに寝る所が無いんです。僕が行くところ行くところ停電しちゃうもんで、それで人様のご迷惑にならないようにと、ここでお世話に…」
「わっはっは。停電魔人さんとやら。えらい久し振りじゃのう」
「ありゃりゃ、福の神様」




