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 電車やバスや、まして飛行機などの公共交通機関は全部だめだから、彼にとって可能な移動手段は徒歩か自転車に限られていた。

 それ以外の乗り物で、可能なものをあえて挙げるなら、手漕ぎ船かグライダーくらいだろう。  

 軌道に乗った人工衛星も含まれるかも知れないが、そんな馬鹿な考えはさておいて、彼にとって現実的な選択肢はやはり自転車以外に無かろう。

 さて、彼が自転車で走ると彼を中心に概ね半径二十メートルが停電する。建物に入らなければその家は停電しないが、店の前にある自動販売機なんかは停電する訳だからそれなりにはた迷惑な話ではある。

 しかし自転車なら十秒もあれば通過してしまうから、短時間の停電で済む。

 だから彼の行動は最小限の「はた迷惑さ」で済んだと考えられた。

 しかし彼がオートバイやスクーターに追い越される時はエンストさせてしまうから、その点についてはことさら気を使った。

 彼は地獄耳を働かせ、はるか後方から走ってくるオートバイ等の音を聞き分け、これらに追い越される時は、あたかも特急列車の通過を待つ普通列車のように、道端に自転車を止め、オートバイ等の通過を待ったのだ。

 もちろんエンストの影響を最小限にする為だ。


 ところで、オートバイはエンストし、「ボボボ」という音を立てながら、彼の脇を惰性で走り、彼から十分離れると、またエンジンが始動するのだが、その際派手に「バ~ン!」とアフターファイアーを起こすこともあった。

 彼はそれを気の毒に思うやらおかしいやら複雑な気持ちだった。だけど、他人様に迷惑を掛けているにもかかわらず「おかしい」と思うことはいけないことだと考え、厳に自分を戒めた。

 そういう訳で彼はなるべく田舎道を選んで走った。田舎道なら時々耕うん機をエンストさせる程度で済んだようだった。

 それでも彼は、おじいさんが困った顔で耕運機を再始動する姿を見るたびに申し訳ないと思い、心を痛めた。


 こうして彼は大方一日中走り続けたが、彼の自転車のライトは点かないから(そもそも点かないから付けていなかった)日が暮れるまでにはその日の「寝ぐら」を決める必要があった。

 彼はなるべく他人様の物を停電させないよう、人里離れた場所を探しテントを張り焚火をし、飯ごうで飯を炊き、テントで眠った。

 そして日が昇るとまた自転車で走るという生活を続けた。

 食料品が底をつくと買い出しをしなければいけない。そんなとき彼は田舎で昔風の、なるべく電気的な物が置いていないような店を選んだ。そこでは親切なおばあちゃんなんかが店番をしていて、「おにいちゃん自転車で日本一周かい。偉いね」なんて言って、にんじんやたまねぎやジャガイモなんかを余分にくれたりした。

 そんな日は広い河川敷でカレーを作って食べた。


 洗濯も問題だった。彼はコインランドリーなどに行ける筈もない。彼が店に入れば洗濯機は全部止まるし。

 それでもっぱら彼は川で洗濯をした。洗濯をしながら大きな桃が流れてくれば食後のデザートにでもと思ってはいたが、流れて来るのは流木やゴミくらいだった。

 しかも洗ったはいいが洗濯物は手で絞るしかない。そこで彼は両手で力の限り洗濯物を絞った。絞れば手首も握力も強くなる。

 いつかプロ野球に戻れたとき、きっと役立つに違いない。彼はそう思い手に力を込めて洗濯物を絞ったのだった。

 しかし洗った洗濯物をどこに干すかも問題だった。だけど彼は良いアイディアを思い付いた。

 たまたま道端に落ちていた棒切れを、これまたその辺に落ちていた紐で自転車のフレームに縛ると、シートの後ろに立派な「物干し」が出来たのだ。

 彼はそれに鯉のぼりのように洗濯物を干した。そして自転車を走らせれば洗濯物はひらひらと風に舞う。半日も走ればきれいに乾いてくれた。


 ともあれ彼はこういう日々を過ごし、少しずつ居場所を変えたのだ。一か所に留まるとその場所を延々と停電させてしまう恐れがあったが故、こういうライフスタイルこそが彼にとって唯一の「人様に迷惑を掛けない」方法だったのだ。

 それとこういう生活だとあまりお金を使わずに済んだので、彼は最小限の現金を手元に残し、残りは実家に送金した。これで、彼の父の借金も「水魔人」で活躍して稼いだお金と合わせ、大方は返済出来るようだった。

 もちろん、送金は銀行のATMなどもってのほかなので、田舎の簡易郵便局から現金書留で送ることにした。封筒も切手も糊も停電する心配はない。

 現金書留には両親宛てに、「訳あって自転車で旅をしている。人様に迷惑が掛からぬよう心掛けているので心配無用」というような内容の手紙を添えた。


 それからも彼はなるべく田舎道を選んで自転車を走らせた。

 川沿いに走り山を越え、下り坂では風を切り、やがて日本海に出た。

 そして彼は海沿いを走り、漁港近くの市場で水挙げされたばかりのアカガレイやヒレマグロなどを店先で買った。

 それから自転車で中海や宍道湖沿いを走り、きれいな夕日の見える場所にテントを張りたき火をし、魚を焼いて食べた。

 それからも彼は西へ西へと旅をした。

 そこは過疎化が進む地域で、一人暮らしのお年寄りの家も多かった。

 ある日、彼がオートバイを通過させようと道端で停車していると、庭が草ぼうぼうの古い家が見えた。そしてそこでは一人のお年寄りがせっせと草取りをしていた。

 それを見た彼はそのことを気の毒に思い、草取りの手伝いをかって出ることにした。


 彼が数時間も手伝うと、庭はすっかり綺麗になり、そのお年寄りには大変喜ばれ、家に入りお茶でも飲んでいくよう言われたが、彼は丁重にお断りし、その代りに縁側でそばを御馳走になり、それから里芋やキャベツを土産にもらった。

 彼はその日、日本海の夕日を見ながら焚火をし、里芋の煮つけを作り新鮮なキャベツをかじった。

 それ以来、彼はそういう家を見付けると、草取りや落ち葉拾いなどの手伝いをやるようになった。

 また、その年の冬は近年に無い大雪が降り、そんなときは雪下ろしの手伝いをすることもあった。


 ところで、草取りや雪下ろしなんかをやっていても彼は「屋外」にいるから停電の問題はあまり生じなかった。そもそも田舎のお年寄りの住宅だと、仮に停電しても昼間ならあまり支障はないようだった。

 支障があるとすれば…

 例えばある日のこと。彼が庭で草取りをしていると、その家のおばあちゃんが「ラジオを聴いてごしなはい」と言って、家から携帯ラジオを持って来てくれたのだが、いきなり音が出なくなってしまった。

 おばあちゃんは「あだ~ん、どげしたかね」というと彼は「いいですよ、いいですよ。僕、ラジオは聞きませんから」と言った。

 それでおばあさんは「そげですか」と言ってラジオを持って家に入ったところいきなり音が出て、おばあさんは「あんらんら!」と言って腰を抜かしてしまった。

 要するに不都合と言えばその程度のことだったのだ。


 ところで、草取りなどのお礼といって現物支給もちょくちょくあったが、時にはお米を六十キロとか大量の野菜とか途方もない量のこともあった。だけど彼の自転車には到底積むことは出来ない。

 それを見かねて、あるお年寄りが古いリヤカーを納屋から出してきて半日掛けて修理し、

「こ~を使うてごしなはい」といって彼に譲ってくれた。

 それで彼はそのおじいさんに、「だんだん」とお礼を言ってからそれに大量の物資を積み込み、自転車で引っ張り旅を続けた。


 このリヤカーのおかげで彼の乗り物の「最大積載量」は飛躍的に増加したが、上り坂は大変なことになった。彼の太ももは、はち切れそうだった。

 だけど、そのおかげで強靭な足腰を得ることが出来る。いつの日かプロ野球に戻れたとき、きっと役に立つに違いない。彼はそう思い歯を食いしばりペダルを踏んだ。

 そんな旅をしながら、いつしか彼は関門海峡を望んでいた。


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