クリステルの涙
クリステルと互いに名前呼びをする仲になったとはいえ、学園ではあまり彼女に近付いていない。
学園でヴィクトリアがほとんどの生徒から遠巻きにされているという事実は変わらない。今まで通りクリステルが困っていると気が付いたときに声をかける程度だ。
ローラン男爵家に届いたという手紙はクリステルから預かり、家族に報告した。両親や兄はヴィクトリアのために怒ってくれた。
「なぜこんなことを……!」
「許せないわ」
手紙の内容は予想通りのもので、クリステルへの罵倒が書かれていた。ご丁寧にヴィクトリアの筆致が真似てあり、差出人はヴィクトリア・ベルトランとなっている。
ヴィクトリアは必ず自分が書いた手紙にヴィクトリアの魔力で印を押し、決まった封蝋でとじる。親しい間柄ならそれを知っているが、知らない者であればこれがヴィクトリアからきた手紙だと信じるだろう。
「この紙自体はありふれたものだな。王都ならどこでも求められるものだ」
兄のジョシュアが手紙を分析している。
「他の郵便物に混ざって届いていたようです」
ヴィクトリアがクリステルから聞いた情報を伝えた。ジョシュアが頷く。
「足が付かないようにしているのだろう。それでもこの手紙から何か分からないか調べてみよう。しかしヴィッキー。かの精霊術師は良い人物のようだな」
「……そうなのです。一切わたくしを疑うことなく、手紙を渡してくれました」
ヴィクトリアが発した言葉に、家族は頬を緩ませた。
「ヴィッキーが心優しい少女だということはすぐに分かることだ。しかしそのご令嬢は得難い人物かもしれんな」
「そうね。精霊術師なのだから、これからもヴィッキーと関わりがあるでしょうし」
両親の言葉に、ヴィクトリアも同意する。
「王妃陛下も彼女を重要視されていました。良い関係性を築けるようにしたいと思っています」
学園を卒業した後、クリステルは精霊術師として王宮お抱えとなる予定である。恐らく何らかの立場を与えられるはずだ。精霊から彼女に与えられた加護は『結界』。彼女が結界を張った場所には魔物は近づけなくなる。その力を使って魔物の棲む地域やその周辺に結界を張るのだ。
王子妃として王宮で暮らすことになるヴィクトリアとは関わりが深くなるだろう。
そこでふと、オーレリアのことを思い返す。
彼女はクリステルが王族の妃になるのではと懸念を持っていた。しかし今のところ、そのような話は出ていないはずである。
(きっと杞憂だったのね)
オーレリアもクリステルに会えば、きっと彼女のことを素敵な令嬢だと思うはずだ。近いうちにそうなれば良いとヴィクトリアは思った。
◆
「ヴィクトリア様! あれ、ローラン様ですよね」
「あら? まぁ、本当ね。何をされているのかしら」
昼休みに四人で中庭を散歩していると、コレットが不思議そうな声を出した。彼女が指さした方向を見ると、クリステルが中庭で這いつくばっていたので驚いた。周囲の生徒は遠巻きに彼女を見ている。
「何か探しておられるのでは……」
恐る恐るレリアが言う。確かにクリステルはきょろきょろと地面を見ているようだ。
「本当に変わった方ね。あんな体勢で堂々と」
少しミシェルが咎めるように言った。確かに普通の貴族令嬢は地面に這いつくばって物探しはしない。彼女がぎょっとしてしまうのは当然だ。
「ミシェル、確かにわたくし達の価値観だとそうなのだけれど。まぁお伝えした方がいいかもしれないわね。令嬢としては良くないもの」
ヴィクトリアはクリステルに近付いていった。制服が汚れるのもいとわないほど、大切なものをなくしたのかもしれない。前もペンを落としたと言っていたし、彼女は割と抜けているところがあるらしい。
「クリステル様、何かお探しなの?」
「ヴィ、ヴィクトリア様!」
声に気付いたクリステルは慌てたように立ち上がった。制服に付いた土をぱんぱんと雑に払っている。
クリステルの近くにいた小鳥が、彼女が立ち上がったことで飛び立っていった。
「探し物があるのなら、学園の職員に言えば探してもらえるわよ。落とし物なら、学生部に届いているかもしれないし」
ヴィクトリアはハンカチを差し出した。クリステルの顔に土がついていたので、気になったのだ。クリステルはハンカチを見て不思議そうにしていたが、後ろのミシェルが「お顔に土がついてるわ」と言ったことで、自分の状況を理解したのか顔を赤くした。
「ありがとうございます……! もう学生部には落とし物がないか聞きにいったのですが、届いていなかったみたいで。あ、あと、こんな綺麗なハンカチお借りできないです」
「構わないわ。ハンカチなら、まだあるもの」
恐縮するクリステルに構わずヴィクトリアがハンカチで彼女の頬を拭く。あらかた綺麗になったところで、クリステルにハンカチを渡した。
「これは差し上げるわね。良かったら使って」
「ふぁ!?」
「それで、何を探していたの?」
ヴィクトリアの問いかけにクリステルはハンカチをぎゅっと握りしめて言葉を詰まらせた。
「答えづらいものなら言わなくてもいいわ。ただ、地面に這いつくばるのは良くないと思うの。あなたは男爵令嬢なのだから、人にして貰うことに慣れなければ……あっ」
話している最中にクリステルの周囲の光がいつの間にかヴィクトリアの目の前にいて、弾むように舞っていた。思わずヴィクトリアは反応してしまう。
「ヴィクトリア様?」
言葉を詰まらせたヴィクトリアにコレットが何事かと問いかけるが、ヴィクトリアは頭を振って何もないことを伝える。ふとクリステルに視線を戻すと、彼女は目を見開いていた。
「あっ……あの、ヴィクトリア様はもしかして、見えるんですか」
「え?」
「この子のこと、見えるの?」
クリステルが指さしたのは、大きく光る光だ。ヴィクトリアはクリステルが光を認識していることが嬉しくなった。やはりこの光は存在しているのだ。
「見えるわ。その光はやはり精霊様なの?」
ヴィクトリアの言葉を聞いたクリステルは、なぜかその瞳から大粒の涙をこぼれさせた。思わぬ反応にヴィクトリアはうろたえる。クリステルは肩を震わせた。
「申し訳ありません……っ」
「どうしたの、なぜ謝っているの」
「わたしが悪いのです。わたしのせいで……」
クリステルが泣き出す理由に全く思い当たらない。彼女とは普通に会話をしていただけのはずだ。
「あなた、人前で急に泣き出すなんて……」
「一体どうしたっていうの!」
「とりあえず、涙を拭いたらいかがでしょうか……」
三人の友人も声をかけるが、クリステルは涙を流すばかりで何も答えない。ヴィクトリアは頭を抱えたくなる。
(なぜ、こんなことに)
周囲の目線が痛い。学園の中庭は、校舎からよく見える。きっと、窓から顔をのぞかせている生徒たちからは、ヴィクトリアが彼女を責め立てているように見えるに違いない。
しかも彼女の制服は土で汚れ、髪型も崩れている。この状況だけを見れば、ヴィクトリアがクリステルに直接的な危害を与えたように思うだろう。
(また、わたくしの悪評がたつわね)
むしろ自分が泣きたいような気持ちになり、ヴィクトリアはただ瞼をとじた。