信頼
開店前のフロレスに、ヴィクトリアは沸き立った気持ちを抑えて立っていた。
今日はいよいよラベンダーを使った新商品の発売日だ。
シリルが仕入れたラベンダーはとても香りが良い。その香りが良く分かるサシェと、入浴剤をまず発売することにした。その後に化粧水とハーブティーを発表する予定だ。
「お嬢様、陳列はこれでよろしいでしょうか」
「もうちょっとすっきり見えるように陳列はもう少し減らして、店の奥に在庫してくれる?」
「分かりました」
これまでもたくさんの商品を売ってきたが、初めての商品を売り出す日はいつも緊張する。フロレスを愛してくれる顧客に満足してもらえるのかと、不安もある。しかし今回のラベンダー商品はヴィクトリアの自信作だ。きっと人気が出るだろう。
ヴィクトリアは他の棚も見て回り、おかしなところがないかを確認する。毎日隅々まで掃除を徹底し、商品の見せ方も工夫している。店の中は完璧だ。
外観も最終確認しておきたいと思い、ヴィクトリアは扉を開け、外に出る。店の外に視線を移すと、そこに意外な人物がいたので目を疑った。
「……ローラン男爵令嬢と、シリル?」
ヴィクトリアは驚いて思わず声を出した。
フロレスの目の前にはシリルとクリステルが立っていた。シリルが何事かを話し、クリステルが困ったように答えている。クリステルの肩には小さな小鳥が止まっていたが、ヴィクトリアの登場に驚いたのか小鳥はバサッと羽を広げて飛び立った。
シリルがヴィクトリアに顔を向ける。
「ヴィクトリア……」
「あなたたち、そんなに親しかったの?」
休日に二人で出かけるような関係性だとは思わなかった。ヴィクトリアの疑問に、二人は凄い勢いで首を横に振った。
「違う! こいつが角からフロレスをじろじろ見てたんだ。怪しいから声をかけただけで、親しくなんてない!」
「私はその、お店が気になって……!」
クリステルは顔を真っ赤にしている。フロレスは令嬢の会話にもよく出てくるので、彼女も興味を持ったのかもしれない。
「ローラン様。この店はベルトラン侯爵家が運営している店なのよ。フロレスが気になるなら、いくらでも見てもらって構わないわ」
「い、いいんですか」
クリステルは大きな瞳を更に大きくした。嬉しそうだ。周囲の光も踊っている。
「えぇ。あと半刻ほどしたら店も開くわ」
「なぁヴィクトリア、こいつやっぱり変だぞ。ずっとぶつぶつ一人で呟いてたし。フロレスに入れない方がいいんじゃねぇの」
シリルが不満そうに言った。前もクリステルを変人と称していたし、クリステルへの印象が悪いのかもしれない。
「まぁ、シリルったら。彼女の身元は確かだし、クラスメイトよ。フロレスの顧客になってくれたら嬉しいわ。そういうあなたも今日はどうしたの? 確か今日は納品もないでしょう」
「い、いや……俺は、ラベンダーが売れるかどうか、ちょっと見ておきたくて。今日から売り出すんだろ」
シリルは少し気まずそうに灰色の頭をぽりぽりとかいた。
「陰ながらヴィクたんを見守るシリル……! 尊すぎる」
クリステルが何事かを呟いたようだが、あまりに早口でヴィクトリアには聞き取ることができなかった。
フロレスが開店すると、店内は瞬く間に客でいっぱいになった。外にも人がいる。新商品の発売日はいつも入店待ちの列ができるのだ。
クリステルはヴィクトリアの権限で入店を許した。彼女は嬉しそうに店内を見回っている。
(喜んでくれてよかった)
店の隅で頬を綻ばせながら商品を選ぶクリステルを眺めていると、いつかのように彼女の周囲の光がヴィクトリアのところへやってきた。
光はふわふわと、ヴィクトリアの顔の前を飛んでいる。ヴィクトリアは手を光の下に添えた。
「精霊様なのでしょうか?」
弾む光に囁くように話しかけると、光はさっとクリステルの元へ去っていった。
(話しかけたら駄目だったのかしら)
きっと精霊であろう光が近くにくるのが嬉しくてつい話しかけてしまった。少し反省し、店内を歩き出す。
店内を見ていたクリステルは両手いっぱいに商品を抱えていた。
「ローラン様、そんなに沢山お買い上げくださるの?」
「は、は、はいっ……課金するのは推し活の基本ですし!」
「課金? オシカツ?」
クリステルがまた知らない単語を話したのでヴィクトリアは首をかしげる。平民の言葉なのかもしれない。
「嬉しいわ。でも、そんなに多かったら運ぶのも大変でしょう。後で男爵家に届けさせますね」
「あ……ありがとうございますっ。あぁ、拝みたいのに手がふさがっている……!」
ヴィクトリアは彼女の持つ商品をいくつか持ってやり、会計のために店員を呼んだ。
今日のクリステルの言動を見ていると、明らかにヴィクトリアへ好意的なように思える。
(もしかして、怖がられている訳じゃないのかしら)
視線を感じて彼女を見て、目が合うとぱっとそらされたり、話しかけると挙動不審になったり。ヴィクトリアはそんな彼女の態度を、自分が怖いのだろうと理由付けていた。
でも、そうじゃないのなら。
「ローラン様」
「はいっ」
「たまにでいいから、わたくしとお話してくださったら嬉しいわ」
「ふぁ!?」
クリステルの顔が真っ赤になる。ばさばさっ、と手に持っていた商品を落としたので、駆け付けた店員が慌ててそれを拾った。
「どうされたの、ローラン様。大丈夫?」
「あっ、はっ、す、すみませんっ……」
クリステルも落とした商品を拾い、会計を済ませた。商品は梱包してローラン男爵家へ送るように指示をする。
「あのっ、ベルトラン様」
「何かしら?」
「私のことは、家名ではなく名前で呼んでいただけますか。その、男爵令嬢になったのも最近ですからあまり自分の名前って感じがしなくて」
思わぬ彼女からの申し出に、ヴィクトリアは胸の中が温かくなる。
「そう、わかったわ。クリステル様。よろしければ、わたくしのことも……名前で呼んでくださって、よろしくてよ」
勇気を出して言うと、クリステルは両手を胸に当てて何かを堪えるような表情をした。小声で「尊い……」と呟いているがヴィクトリアには聞こえない。
「分かりました。ヴィクトリア様」
少し遠慮がちにクリステルが名を口にする。何となく気恥ずかしくて二人で黙り込んでいると、クリステルが「あっ」と声を出した。
「ヴィクトリア様。うちに手紙とか……送っておられませんよね?」
「わたくしが? いいえ、あなたに手紙を送ったことはないわ」
ヴィクトリアが手紙を送るような相手は限られている。エリオットと、ミシェル達。後はフロレスのことでシリルとやり取りすることもあるが、その程度だ。クリステルに手紙を書いたことはない。
「そうですよね。分かってますけど、一応確認したかったんです」
「もしかして、男爵家にわたくしからの手紙が届いているの?」
ヴィクトリアが問いかけると、クリステルは困ったように眉を下げた。
「それはわたくしが書いたものではないわ。もし可能なら、その手紙をいただけるかしら。調べたいの」
「はい。その……内容が結構過激でして……」
「そうなのね。えぇ、大体想像がつくわ」
大方クリステルのことを気に入らない者か、ヴィクトリアを貶めたい者がやったことだろう。今までも似たようなことがあった。
ヴィクトリアを騙って罵詈雑言を並べた手紙を令嬢へ送りつける。その令嬢はヴィクトリアから遠ざかり、ヴィクトリアへの非難をするようになるのだ。気付いた時にはもう手遅れである。
ミシェルやレリア、コレットにもかつて似たようなことがあったが、彼女たちはすぐにヴィクトリアへ報告してくれた。
「でもクリステル様。その手紙をわたくしが書いたとは思わなかったの?」
「へっ? だってヴィクトリア様はそんな方じゃないですもん」
瞳を大きく開いてクリステルがそう言ったので、ヴィクトリアは驚きのあまり声が出なかった。
「……」
彼女とは長い付き合いという訳でも、深く言葉を交わしたこともない。
これまで、初対面から好意的に接してくれたのはエリオットだけ。言葉を交わし、長い時間をかけてようやく親しくなれることがほとんどだった。
クリステルが当然のごとくヴィクトリアを信頼していたことは、ヴィクトリアにとって驚くべきことだった。
「嬉しいわ」
ヴィクトリアはようやく一言、声を出した。