かくれんぼ
「何かあったかい、ヴィクトリア?」
「いえ……」
学園のカフェテリアで、エリオットがヴィクトリアを案じるように問いかけた。
学園がある日は、都合がつく限り二人で昼食をとることになっている。学園に入学したときにエリオットがそう決めたからだ。どれだけヴィクトリアの悪評がたっても、その取り決めが変わることはなかった。
王宮のお茶会からは、すでに数日が経っていた。
あの日のオーレリアの言葉を思い返すと、どこか胸の奥がざわついて仕方がない。
そんなことには成りえないとは思うものの、だんだんとオーレリアの懸念が全く見当はずれとも思えなくなっていた。
そして、王子どちらかの婚約を解消するとすれば、きっとエリオットの婚約であろうとも。
オーレリアは王太子妃に相応しい家柄の姫であるし、令嬢からも慕われ、評判もいい。ヴィクトリアとは比べるまでもないことだ。
その上、王太子の婚約を解消するよりも、第二王子の婚約を解消する方が国内への影響は少ないことも明らかである。
もしかすると、自分のような悪役令嬢よりも、美しく精霊の加護を受けたクリステルのほうがエリオットに相応しいのではないかとまで考えてしまうようになってしまった。
そのことについて考えが及ぶと、どうしても心が落ち込み、ため息をつきたくなってしまう。
「もしかして、オーレリア嬢と何かあった?」
「……!」
ヴィクトリアは、思わずぱっとエリオットを見た。
「この前の王妃陛下のお茶会から少し元気がないよね。母上から聞いてみたら、お茶会の後、君とオーレリア嬢が仲良く話していたと言っていたから、もしかしてと思って」
エリオットの碧眼は優しくヴィクトリアを映していた。
ヴィクトリアはエリオットの顔を見られず、下を向いてしまう。
「オーレリア様と、とある心配ごとについて話していて……」
エリオットにはとても具体的なことは言えず、曖昧な答えになってしまう。
「そうなんだね」
「きっとそんなことは起こらないと分かっているのですが、もしその心配ごとが起きてしまえばどうすればいいかと、ついつい考えてしまうのです」
ヴィクトリアの声は自然と弱く響く。
起きてもいないことに怯えているなど、まるで頑是ない子どものようだ。口に出すと一層ばかばかしいことのように思えて、ヴィクトリアは少し恥ずかしくなった。エリオットも呆れているかもしれない。
「そんなに落ち込まないで、ヴィクトリア」
ヴィクトリアは少し驚いて彼を見た。エリオットは不思議と無表情なヴィクトリアの心情の変化を読める。そう分かっていてもいつも驚いてしまう。
「誰だって心配ごとはあるよ。私には言いづらいこともあるよね」
「エリオット様……」
「でもあえて言うよ。君一人で悩む必要はない。私と君は夫婦になるのだから、私は君と支え合って、信頼しあうような関係でいたいと思っている」
エリオットの言葉に、思わずヴィクトリアは顔を伏せた。きっと自分の表情は変わっていないけれど、彼には自分の心情が伝わってしまう気がしたから。
(本当に、エリオット様が婚約者で良かった……)
しみじみとヴィクトリアが自分の幸運を噛みしめていると、エリオットの席の後方の茂みが、ガサっと揺れた。大型の動物でも出たかと思い、ヴィクトリアはエリオットをかばうように立ち上がる。
「ヴィクトリア?」
「エリオット様、そこに何かいます」
小声で生垣の方を指し示すと、エリオットが立ち上がり、ヴィクトリアを優しく押し戻した。
「私が見るから、君はそこに座っていて」
「いけません」
王族である彼は常に守られる立場であるべきだ。臣下であるヴィクトリアを彼が守るなど許されることではない。
「私を安穏と婚約者に守られるような男にしないでよ」
ヴィクトリアが返答を迷っている間に、彼は生垣に風魔法をかけた。風が巻き起こり、葉が舞い上がる。生垣があった場所には、一人の女子生徒がしゃがんでいた。
「ローラン男爵令嬢……?」
なぜかそこにいたのは、動物ではなくクリステルだった。彼女はそのターコイズブルーの瞳を見開いてエリオットとヴィクトリアを凝視していたが、自分を隠す生垣がなくなったことを認識し、顔面蒼白になる。
「ひぇっ……!」
「な、何をなさっていたの?」
なぜクリステルがここにいるのか全く分からない。状況だけを見ると、自分たちの会話を聞いていたように思える。
「も、もも、申し訳ありません」
彼女は挙動不審に視線を右往左往させ、立ち上がった。頭や肩には生垣のものであろう葉っぱがついている。
エリオットはクリステルの前まで足を進めた。
「君、クリステル・ローラン嬢?」
「はっ、はいぃ……!」
「ここで何をしていたの?」
エリオットが常にない冷たい声色で問いかけたので、ヴィクトリアは驚いてしまう。
クリステルはそんな二人を見てなぜか少し頬を紅潮させると、手をせわしなく動かし出した。
「あっ、そ、そう。落とし物を、探していたのです!」
「へぇ。ここで? 何を落としたの?」
「この、ペンを! もう見つけましたっ。お騒がせしました。モブはすぐに消えますので、どうぞ私のことは頭から消し去ってください!」
「もぶ?」
よく分からない単語が出てきたので、ヴィクトリアは思わず問い返す。
「取るに足らない人間のことです! 私など所詮、尊すぎるお二人の背景でしかありません! あぁっ、すみません、もう消えます。すぐに消えます!」
「ローラン男爵令嬢!?」
クリステルは早口でまくしたてた後、踵を返し、驚くような速さで走り去っていく。
彼女の制服から紙のようなものがひらひらと舞い落ちた。
「あっ」
「いいよ、ヴィクトリアは待っていて」
エリオットが落ちた紙の方へ小走りで向かった。
ヴィクトリアがぽかんとしていると、いつもクリステルの近くで煌めく光が、その場にとどまっているのに気が付く。
(あら?)
すると光はヴィクトリアの近くに移動し、周囲を弾むように回りだした。美しい光景にヴィクトリアの心が癒される。
(彼女の元に戻らなくていいの?)
何となく光に向かってそう問いかけると、光はクリステルが走り去った方向へと消えていった。
こんなことは初めてだ。ヴィクトリアは少し嬉しくなる。そこでエリオットが戻ってきた。
「ヴィクトリア、どうしたの」
「いえ。何でもありません」
以前クリステルの周囲に舞う光についてミシェル達に話したところ、彼女たちには見えないと言われた。どうやら自分にしか見えていないらしい。なので、エリオットにも言えずにいた。
「なんていうか、変わった女性だね」
クリステルが去っていった方向を見ながらエリオットがつぶやいた。シリルと似たようなことを言うので、少しヴィクトリアは意外に思う。
「あの方は一般的な令嬢とは違いますから。精霊様のご加護がある方ですし」
「まぁ、そうだね」
「あの紙は返せましたか? もし追いつけなかったのなら、わたくしが教室で返しますわ」
クリステルは令嬢とは思えない速さで走り去っていったので一応確認する。エリオットは少し目を丸くしてヴィクトリアを見た。
「見てなかったんだ。返したよ」
「そうでしたか」
そこで昼休みが終わる時間になったので、二人はそれぞれの教室へ戻っていった。