対峙
「ここにメイドはいないから、わたくしがあなたに紅茶を淹れて差し上げるわ」
「結構です」
「ふふ。それは残念ね」
屋敷の中に入り、勧められた粗末な椅子に座る。部屋の扉には先ほどの男たちが立っている。ヴィクトリアが勝手に逃げないようにしているらしい。
オーレリアは自分で淹れた紅茶を自分の前に置くと、いつもの笑みを向けた。
「ヴィクトリア。あなた、ルシアン様の妃になるのですって?」
「そのような事実はありません」
「隠さなくてもいいのよ。もう分かっているもの。あなた以外にいないわ。あなたは高位貴族のご令嬢で、何年も妃教育を受けている上に、精霊術師よ」
「ですから……」
どうも話が通じないオーレリアに目線を合わせると、自分を映す彼女の瞳がほの暗いことに気が付き、ヴィクトリアは言葉を失う。
「そうやって何もかも自分のものにしていくのね。最初から分かっていたわ。あなたがそういう女だって」
「一体なにを仰っているのですか」
「最初から愛妾の息子など目に入ってなかったのでしょう。精霊の加護を授かるために、教会へ奉仕していたの? そして目論見通り、わたくしを追い落として王妃に収まるつもりなのね」
彼女は呟くように言いながら、じっとヴィクトリアを見ていた。もはや隠す気もないのだろう。その目線には、明らかな敵意が現れていた。
「オーレリア様、そのような事実はないと申し上げております。そしてエリオット殿下を侮蔑するような物言いはおやめください」
エリオットを軽んじるような態度を取られることは、ヴィクトリアにとって許しがたいことだった。オーレリアは口元を歪ませる。
「ふふ。本当のことを言っただけで侮蔑ですって。その発言自体、あなた自身があの方を恥ずべき存在だと思っているという何よりの証左ではなくて?」
「話の主題を歪めないでください。わたくしではなく、あなたの話をしているのです。そのような話だけならば、もう帰らせていただきます」
ヴィクトリアが席を立つ。すると、オーレリアが笑い始めた。
「あははは。怒らないで。お話をしましょうよ」
美しい笑みで声を掛けるオーレリアをヴィクトリアは見返した。
この人はどうしたいのだろう。牢から出たのは一時的なもので、今このような誘拐まがいの行動をすれば彼女の罪は更に重くなるのだ。
「オーレリア様。なぜわたくしの悪評を広めたのですか」
「なぜ?」
「わたくし達は王族の婚約者同士として悪くない関係だったはずです。あなたからそのような仕打ちを受ける理由が分かりません」
いくら考えても、彼女がなぜヴィクトリアの評判を落とさなければならなかったのか分からなかった。オーレリアは周囲からの評判も良く、ヴィクトリアを貶めなくとも彼女の立場は盤石だった。
ヴィクトリアの記憶の中で、これまでオーレリアから直接苦言を言われたことも、悪意を向けられたこともない。たわいもない話をして笑い合い、将来義理の姉妹となる間柄として関係を築いてきたはずだ。
「あなたが嫌いだから」
そう言ったオーレリアは笑顔のままだった。
「ずっとずっとあなたが大嫌いだった。両陛下も、文官も、教師たちも、王宮のメイドまでも……昔から誰もがあなたばかり褒めていた。美しく、努力家で、心優しく、聡明。その上、魔力も多くて? みんな言っていたわ。“オーレリア様がいらっしゃらなければ、きっとヴィクトリア様がルシアン殿下の妃に選ばれたでしょうに”と」
笑みを深めた彼女は立ち上がり、コツコツと音を立てヴィクトリアに近付く。
「わたくしよりも妃教育の進みが早くて、慈善活動に熱心で……事あるごとに比べられた。いつも涼しい顔でわたくしを見下していたわね」
思ってもなかったことばかりで、ヴィクトリアは返す言葉を失っていた。むしろヴィクトリアは人当たりが良く慕われるオーレリアを尊敬していた。彼女を見下すことなど、一度もなかった。
「エリオット殿下とままごとのように仲良しなのも気に障った。自分は愛される女だと、わたくしに見せつけて笑っていたの? ルシアン殿下から愛されないわたくしを!」
「……なぜエリオット殿下まで襲わせたのです」
「ルシアン殿下の脅威が生きていていいはずないわ。厚顔無恥にも、愛妾の息子の身で王位継承権を手放していないのよ。災いの種だわ」
「何を仰って……エリオット様とわたくしはあくまでルシアン殿下の影です。それは誰よりもエリオット様ご自身が理解されていることです」
オーレリアの言っていることはあまりにも見当違いだった。王妃の子ではないエリオットの王位継承権は一時的なものだ。いずれ生まれるだろうルシアンの子が立太子すれば、エリオットは王位継承権を放棄するつもりだった。彼との婚約の際にそのことについては丁寧に説明があったし、オーレリアも承知のはずである。
「元々命まで奪うつもりはなかった。大きな怪我を負わせて、あの方から絶対的に王位継承権が消滅すればそれで良かったのよ。全てルシアン殿下のためだったの」
「……」
「あの平民の女も大嫌いだわ。精霊術師だからと下にも置かれぬ扱いを受けて。ルシアン殿下まであんな女に気を遣って。だから身の程を知らしめてやったの」
いつものゆったりとした話し方とはまるでかけ離れた様子で、オーレリアは顔を歪ませながら話し続ける。
「あの元平民だけでも腹立たしいのに、よりによってあなたまでが精霊術師ですって? ばかげているわ。なぜなの。なぜあなたばかりが全て持っていくのよ!」
彼女はヴィクトリアの耳に光るイヤリングを強引に取った。予想もしない行動にヴィクトリアは小さな悲鳴を上げる。耳からは血が流れ、鋭い痛みが走った。
「その程度の傷、あなたはあっという間に治してしまうのでしょう? 精霊術師様」
「返してください、それは……!」
「ふふ。あなたが返して欲しいものだったら尚更、絶対に返さない」
あれは遠征の出発前にエリオットから貰ったイヤリングだ。ヴィクトリアは必死でオーレリアに掴みかかる。
「あはは! こんな安物で、必死になるなんて! 本当にあの愛妾の息子を愛しているとでも?」
「えぇ、エリオット殿下を愛しています。誰よりも!」
叫ぶように言うと同時に、鋭い風が頬をかすめ、たらりと血が出た。オーレリアが魔法を使ったらしい。すると後ろにいた男たちが咎めるように声を出す。
「聖女様に傷をつけるな」
「そういう約束だったわね。もういいわ。どうぞ連れていって」
「……何を仰っているのですか」
「連邦国の方たちなの。精霊の加護を授かった女性を丁重に迎え入れたいそうよ」
オーレリアが愉快そうに目を細める横で、男たちはヴィクトリアに近付く。ヴィクトリアは後ずさり、彼らから距離をとった。
「連邦国はね。魔物が沢山出るし、精霊の恵みが少なくて作物の実りも少ないそうよ。精霊に愛された人物を招いて国で手厚く遇すれば、きっと国が富むとお考えなの」
ヴィクトリアを連邦国に連れていきたいという意味なのだろう。連邦国は精霊信仰が根付いていない代わりに魔法の技術が発展していると聞く。国民に精霊を信じ、祈る土壌がないのに、精霊は力を貸してはくれない。
ヴィクトリアは彼らを真正面からキッと睨みつける。
「精霊様は、祈りを大切にされているのです。精霊術師を一人攫ったところで、何の意味もありません。そもそも、わたくしはこの国の第二王子の婚約者ですわ。国際問題になりましてよ」
「聖女様。あなた様が王族の婚約者であることは承知いたしています。それでもわが国は、精霊の恵みを欲しているのです」
「聖女というのは何のことなの」
「我々は精霊の加護を受けた女性を聖女と呼んでいるのですよ」
ヴィクトリアは自分に近付いてくる彼らからじりじりと遠ざかる。彼らは精霊術師を傷つけるつもりはないようだ。強引な手段はとらないだろう。
「手荒な真似はしたくありません。どうか抵抗はおやめください」
「拒否するわ」
少しづつ後ろに下がっていたヴィクトリアの体の後ろに、先ほどまで座っていた机が当たった。ヴィクトリアは先ほどオーレリアが入れていた紅茶を手に取り、男たちにかける。男たちは熱い紅茶にひるんだ。ヴィクトリアはそのままカップを割り、男たちに切っ先を向ける。
「近づかないで!」
「そんなもので我々をどうにかできるとでも思っておいでか?」
ふいに男の一人がヴィクトリアに近付き、割れたカップを持つ腕を強く掴んだところで、身に付けていたペンダントが光った。同時に薄い膜のようなものが張られ、男が衝撃で締め出される。
「……!」
何が起きたか分からず困惑するが、ペンダントの光で、すぐにアンバーの魔石が発動したのだと思い至る。彼らは膜から中に入れないようだ。ヴィクトリアは細く息を吐く。
「アンバー、ありがとう。助かったみたい。この膜はどれぐらいもつの?」
『けっこうだいじょうぶ』
そのとき、突然扉の外からドンドンと大きな音がし始めた。もしかすると助けが来たのかもしれない。音に焦ったように膜の外の男たちが椅子を振り上げだしたので、さすがにヴィクトリアも恐怖で息を呑む。
「きゃっ……」
「ヴィクトリア!!」
ガシャン、という大きな破壊音とともに聞こえたのは、誰よりも愛おしい婚約者の声だった。