あなたのために
言葉を途切れさせたクリステルの背を、ヴィクトリアはゆっくりと撫でた。
彼女の話を聞きながら、ヴィクトリアは驚きや、彼女に対する尊敬、言葉にできない思いが入り混じった感情でいっぱいになっていた。
(なんて……大きな思いを、わたくしに……)
彼女の行動原理は全てヴィクトリアだった。
前世の記憶があるとはいえ、孤児院の扉でちらりと見ただけのヴィクトリアのために、彼女は精霊の加護を貰うほどの強い願いを捧げ、たった一人誰にも言えないまま、ひたすらヴィクトリアのために動いていたのだ。
そして彼女はエリオットの怪我を防いだ。そのことに、ヴィクトリアは心の底から感謝した。
やがてクリステルの涙は乾き、様子も落ち着いていた。ヴィクトリアはホッとする。人に話すことで少しは気持ちに整理が付けられたらしい。
「ルシアン王太子殿下が、遠征から帰還した後、私を気にかけてくださっていて」
ポツリと、クリステルが言った。
「ルシアン殿下が?」
「はい。無理はしていないか、とか……。きっと殿下は王妃陛下の意向もあって、私に声を掛けてくださっているのです。でもそれもオーレリア様は気に障るようで」
クリステルが王子の婚約者にされるのではという懸念を最初に持っていたのはオーレリアだった。きっとルシアンとクリステルが二人で話しているだけで、彼女の気持ちは落ち着かないのだろう。
「本当は最初、ルシアン殿下が遠征に帯同すると申し出ていたそうなんです。でも、結局エリオット殿下に……」
「そうだったのね」
「私、エリオット殿下が魔物の近くに行くのも、怖いです。物語の強制力みたいなのがあって、殿下が怪我するんじゃないか、と考えてしまって」
色々な懸念が彼女を悩ませていたのだ。ヴィクトリアはクリステルの目を見た。
「今のクリステル様には結界の加護がある。物語とは違うはずよ。それに、エリオット様はとてもお強いの。わたくしはエリオット様を信じているわ」
「……っ、そう、ですね」
「クリステル様。わたくしはオーレリア様のことを調べてみるわ。そして、オーレリア様があなたに……もしかするとわたくしにも何か裏で危害を加えておられたなら、それも糾弾する」
「ヴィクトリア様……!」
「あなたに言われるまでまるで気が付かないなんて、本当に愚かね。確かにオーレリア様なら、わたくしの悪評を効果的に広められる。あなたに危害を加えるために手を回すこともできたはずよ」
オーレリアはアセルマン公爵家の姫だ。彼女のことは王家でも無碍にできない。
しかし、いくらオーレリアでも、精霊術師を害そうとしていたと分かれば、無傷ではいられないだろう。とはいえ、彼女を糾弾するには証拠が必要だ。
「あなたが長い間わたくしのために戦ってきたのだから、わたくしもあなたのために戦う」
ヴィクトリアの言葉を聞いたクリステルは、またぽろぽろと大粒の涙を流してしまった。
「ヴィクトリア、ありがとう」
自室に戻ったヴィクトリアに、腕の中のアンバーが言った。ヴィクトリアはじっとアンバーを見る。名前を聞いても、「いえない」とだけ答えたアンバー。
クリステルは話をしている最中、精霊の名は契約者以外には知られてはいけないと言って、彼女の精霊の名を決して口には出さなかった。
アンバーについての推測はほぼ確信に変わっていた。でもきっと、確かめようとしたところでアンバーは何も答えないのだろう。
「ううん。こちらこそありがとう。アンバーのおかげでクリステル様の話を聞けたわ」
そう言って撫でてやると、にゃあ、とアンバーは鳴いた。
「アンバー。わたくしのこと、あなたは手伝ってくれる?」
「うん。ヴィクトリアがのぞむなら。アンバーは何でもできるすごい子」
アンバーの正体については、また考えよう。今は別に考えることがたくさんある。ヴィクトリアはまずベッドにもぐりこみ、眠ることにしたのだった。
朝、目覚めたヴィクトリアは、まずジョシュアの部屋に向かった。兄の朝は早い。ルシアンの側近として彼を補佐しているからだ。
ヴィクトリアがジョシュアの部屋に入ると、兄は何事かと目を見開いた。
「どうしたヴィッキー。何かあったか」
「お兄様……お話があります」
ジョシュアはひとまず部屋のソファにヴィクトリアを座らせると、自分も向かいに座った。そしてヴィクトリアへ話すように促した。
「わたくしの、社交界の評判をお兄様も知っておられますよね」
「……そうだな」
「今までわたくしを陰から貶めていたのは、オーレリア様ではないかとわたくしは考えています」
ヴィクトリアの言葉に、ジョシュアは息を詰まらせた。
あまりにも突然始まったヴィクトリアの悪評。陰口は同じ派閥であるはずの王族派の令嬢たちがなぜかやけに積極的であること。手紙での工作も、彼女ならあらゆる家に郵便物を紛れ込ませることも可能であることなど、ヴィクトリアはそう考える根拠を挙げる。
「オーレリア様は人を誘導することがお上手ですわ」
スザンヌがやけにヴィクトリアに突っかかってきたのも、きっとオーレリアの誘導によるものだと今は思う。
ジョシュアは少しの間沈黙し、そしてじっとヴィクトリアを見た。
「今自分が言っていることの意味を分かった上で口に出しているんだな」
「はい」
ふう、とジョシュアは息をつく。
「そうか。それならいい。実はな、俺も……、オーレリア嬢に懸念を抱いていた」
「……!」
「例のローラン嬢に届いた手紙を調べたが、実は手紙に使われていたインクが特殊なもので、アセルマン公爵家のお抱え商会でしか取り扱っていないものだったんだ」
インクに手掛かりを得たジョシュアは、商会についても調べたが、件のインクを購入した顧客にまではたどり着けなかったという。しかし、ジョシュアがオーレリアに疑念を持つきっかけとなるには十分な結果だった。
「オーレリア嬢はルシアン殿下の婚約者だ。彼女を調べるにしても慎重に慎重を期さねばならない」
「はい」
引き続きオーレリアについて調べていくことを二人で話し合い、ヴィクトリアはジョシュアの部屋を出た。




