クリステルの過去 5
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国に存在を知られたことで、クリステルはあっという間に男爵令嬢となった。
何度か家に帰りたいと主張したものの、それは受け入れられなかった。彼らはあくまでクリステルには丁重に接してくれるが、平民である家族に対してはどうか分からない。クリステルは最終的に彼らの提案を受け入れた。
義親となったローラン男爵夫妻は、精霊信仰に篤い善良な貴族だった。彼らには既に後継となる長男夫婦や他家に嫁いだ娘がいて、新たな娘となったクリステルのことは思いがけずにできた末の娘として可愛がってくれた。
たまに王宮に行き、色々な人に精霊術について話す。一度ためしに王宮に結界を張ると、感激されつつも、「あまり精霊術を気軽に使ってはいけない」と諭されてしまった。
ローラン男爵の手配で貴族令嬢としての教育も受けさせてもらい、身の回りの世話をするメイドまでできた。クリステルは自分の身の上に起きた変化について行くことに精一杯だった。
たまにリツが家族の様子を見に行って、クリステルが書いた手紙を届けてくれた。リツのおかげで家族が無事であることが知れるので、クリステルは安心して男爵家で過ごせる。家族もリツに手紙や絵を預けてくれた。変わらない日常を送っているらしい家族にクリステルは安堵する。
(貴族になっちゃった。ヴィクたんとかエリオットにも会えるのかな)
それは少し怖くもあったが、楽しみでもあった。
「クリステル。君は学園に入ることになった」
嬉しそうな様子のローラン男爵から告げられたのは、王都の貴族の子ども達が通う学園への中途入学のことだった。
「学園ですか……!」
ついにこの時がきてしまった。クリステルはヴィクトリアと同い年である。学園に行ったら、がっつり関わりがあるだろう。
「君は今、仮で我が家の娘になってくれているけど、きっと高貴な家に嫁ぐことになると思う。それまではローラン男爵令嬢として振る舞ってくれるかい」
「はい!」
このような話をされるということは、既に縁談が家にきているのかもしれない。クリステルは自分の未来について全く展望を持てないまま、学園に中途入学した。
学園に入ったクリステルは、初めて同じ空間にいるヴィクトリアを見たとき、あまりの美しさに目を奪われた。まさに漫画のままのヒロインがそこにいた。しかしすぐに彼女に対する罪悪感が首をもたげる。自分は彼女の未来を歪めてしまった人間なのだ。
そして学園生活を送る中で知ったヴィクトリアを取り巻く環境に驚いた。
(悪役令嬢……? 何よそれ!)
侯爵令嬢で王子の婚約者のはずのヴィクトリアに、生徒たちが平気で悪意をぶつけている。これはどういうことだろう。
しかし、エリオットとヴィクトリアの関係は良好だった。誰がつけ入る隙もないほどに。その姿はとても尊くて、二人を盗み見ることがクリステルにとって癒しになっていた。
(供給が多いです! ちょっと可愛すぎませんか、その顔……!)
ヴィクトリアの姿を目に焼き付けては、家で絵を描く。幼い頃から描き続けていた彼女の絵は、随分増えた。
『あの子、素敵だね』
絵を描いていたら、リツが言った。
「そうでしょ。リツもそう思う?」
『うん。クリステルが本当はあの子が加護を貰うはずって言う、その意味が分かった』
ヴィクトリアを気に入ったリツがたまにヴィクトリアの近くを飛んでいるのは知っている。ちょっと寂しい気持ちになったけど、リツは最後にはクリステルのところへ帰ってくる。
“精霊の祈り”でヴィクトリアに加護を与える精霊は猫の姿をとっていた。リツは鳥の姿だから、別の精霊のはずだ。それでもリツはヴィクトリアを好ましく思うのだから、ヴィクトリアは本当に精霊に愛される女性なのだ。
ヴィクトリアは漫画と同じで、表情が変わらないため一見冷たそうに見えるものの、その人柄は誰よりも清廉だ。人から悪意を向けられても、それを攻撃的に返したりしない。特に彼女の近くにいる者は、ヴィクトリアが人格者であることを分かっている。
(まさにヒロインだ……)
クリステルは自分が描いた絵を常に持ち歩いて、こっそりと見ることが習慣になっていた。
まさかその絵をうっかり落として、しかもエリオットに拾われることになるとは、思いもしなかったけれど。
学園に入ってしばらく経って、一通の手紙が届いた。自分宛ての手紙など珍しいと差出人を確認すると、ヴィクトリアからの手紙だった。あまりの驚きにクリステルは「えっ!」と大きな声を出してしまう。
しかし手紙の内容はクリステルを罵倒するものだった。
(平民の中で育ってきた品のない女。同じ教室にいるだけで虫唾が走る。自分の身のほどを知るべき……)
すぐに分かる。これは絶対にヴィクトリアが書いたものではない。こんなこと、ヴィクトリアが言うはずがないし、するはずもない。腹立たしい。ヴィクトリアの名を騙って、人を罵倒するなんて。
無視していても、定期的に同じような内容の手紙が届くようになった。それらはすべて差出人がヴィクトリアの名前になっている。クリステルにはこれが誰の仕業なのかもう検討がついていた。
(オーレリアだ)
その推測は確信にも似ていた。
オーレリアは“精霊の祈り”の中で執拗にヴィクトリアを陥れようと画策する。このように姑息なこともしていた。
(まさかオーレリアってヴィクたんが加護を貰ってないのに嫌がらせをしているの?)
この手紙はどちらかというと、ヴィクトリアを標的にしたもののように思える。クリステルを罵倒したいという意図もあるかもしれないが、この手紙を受け取ったのがクリステルでなければ、最終的に受けとった人物はヴィクトリアへの不信感を持つ結果になるだろうから。
もしかすると、ヴィクトリアが周囲から悪意を向けられているのは、オーレリアの暗躍によるものかもしれない。
中庭でヴィクトリアがリツを目で追っていることに気付いたとき、クリステルは衝撃を受けた。
羽虫の姿のリツは人から見えないはずだ。普通なら。
ヴィクトリアの近くを飛びたがる精霊リツ。加護を貰ってないのにリツの存在を感知できるヴィクトリア。
(やっぱり、ヴィクたんは本当のヒロインなんだな)
それを目の当たりにした気分にクリステルはなった。そしてそんな女性の未来を歪めたのは自分。
——ごめんなさい。
気が付けば、クリステルは大粒の涙を流していた。
クリステルは、自分に求められることは全て応えなければならないと思うようになった。だってヴィクトリアを悪役令嬢なんて呼ばれるようにしてしまったのは自分なのだから。
ヴィクトリアが救うはずの人も、自分が救わなければならない。これ以上運命を歪めてはいけないのだ。
壮行会のときに、少し嫌な予感はあった。
笑顔のはずのオーレリアのクリステルを見る目に親しみが一切浮かんでいないことには気付いていた。そしてルシアンがクリステルに話しかけた時、ほんの一瞬彼女の顔に浮かんだ怒りの色はぞっとするようなものだった。
本物のルシアンを初めて見られて弾んでいたクリステルの心は、恐怖のために一気に縮んでしまった。
オーレリアは清楚な見た目で振る舞いに品があり、人当たりも良い。でもその中身が実は苛烈であり、自分よりも尊ばれる女性が許せないという一面があることを知っている。
きっと壮行会の中心にいたクリステルが、精霊の加護を受けたクリステルが気に入らないのだ。
遠征の夜。怒号の響く中、テントの中で一人、クリステルは恐怖に震えた。
クリステルのテントの前で盗賊と戦闘になっている。絶対に出てくるなとシリルが叫んだ。
(怖い、怖い、怖いよ……)
死ぬのは怖い。自分が死ぬのも、自分のせいで誰かが死ぬのも怖い。
どれぐらいそうしていたかは分からない。いつの間にか怒号は消え、隣にリツがふわふわと飛んでいた。
『クリステル。もう悪い奴らは死んだみたいだよ』
外を見ていたリツが言った。
「えっ、死んだ……?」
『自分で死んだみたい』
静かになったテントの外に恐る恐る出ると、そこには困惑顔の騎士と魔術師達と、死体になった盗賊たちがいた。
ラウルにもう大丈夫だから寝るようにと促されたが、クリステルは全く寝付くことができなかった。
そしてアベール男爵領から王都へ帰る道中、馬車で山道を進んでいるときだった。突然馬車が止まり、少し焦ったような顔をしたラウルが馬車の扉を開けた。
「ローラン嬢、下りてくださいますか」
「はい」
何が起きたか分からずに外に降りる。ラウルが別の馬車に乗るようにと言うので、クリステルが理由を尋ねると、彼は言いづらそうに口を開いた。
「この馬車は危ない状態です。山を越えられないでしょう」
馬車に不具合があったということだ。思っても見ないことに、クリステルは言葉も出なかった。このまま進んでいたらどうなっただろう。場所によっては崖もあり、とても危険だ。
(オーレリアだ)
彼女の顔が脳裏に浮かぶ。きれいな笑顔の裏に、じんわりと感じる自分に対する敵意。
オーレリアの標的が自分になったと確信したのは、その時だった。
次回からまたヴィクトリアに戻ります。




