クリステルの過去 3
クリステルは精霊の森に採集へ行くと家族に告げた。
精霊の森には薬草や食べられる木の実が沢山ある。特に薬草は高く売れるので、採集は子どもにとってうってつけのお小遣い稼ぎなのだ。
精霊の森は、比較的安全な場所だと思われている。リツによれば、魔物の生息域は森の奥らしい。薬草を採取したり、木の実を採ったりするのは森の入口付近だし、出るのは小動物だ。魔物の目撃情報はない。森の奥まで進み、不運にも魔物に遭遇した人はそのまま帰らぬ人となっているのかもしれない。
「クリステル。気を付けろよ」
「そこそこで切り上げるのよ! お兄ちゃんの言うことを聞いてね」
「分かってるよぉ!」
両親や兄弟は心配そうに早朝に出発する兄とクリステルを見送ってくれた。
「行くぞ」
兄と一緒に足を進めていく。クリステルの肩には鳥の姿をしたリツがいた。
「その鳥、本当に賢いよな」
「うん。ピーちゃんは勝手についてくるから気にしないで」
精霊の名は契約者以外に知られてはいけないらしいので、家族の前ではピーちゃんと呼んでいる。リツは呼び名に関しては特にこだわりがないらしい。
二時間ほど歩くと、森が見えてきた。見た目は普通の森に見える。クリステル達以外にも、薬草採集に来たと思われる人が数組いる。
『魔物いるよ。やっぱり奥の方だ』
森を上から見たリツが言った。
「奥まで行かなくても結界は張れる?」
『うん』
兄と歩きながら、リツから情報をもらう。兄と森の中に入り、薬草採集を始めた。この森は薬草の種類が豊富だ。
「お兄ちゃん、わたしあっちの方行くね」
「あんま遠く行くなよ。見えるとこにいろよ」
「はーい」
クリステルはリツの言う方向へ歩き、兄の姿をうかがった。兄はちらちらとクリステルを確認しながらも、薬草採集の方に集中しているようだ。
「リツ」
『じゃあ紋章に集中して。そしたら何か湧いてくるだろ』
「う、うわ……!」
リツの言うように紋章に集中するとそこが光り出し、熱くなってきた。脂汗が額ににじんでくる。
『それを結界にするんだ』
随分ざっくりした説明だ。全然、全く分からない。
「わかんないわ!」
『うーん、やっぱお前は元々、素質はあるけど器じゃないからな』
鳥が消え、羽虫の姿になると、リツは紋章部分に手を触れた。それと同時に、頭の中に森全体のイメージが入ってきた。
どんどんイメージが変化して、森の奥に焦点が移る。そこに、瘴気をまとった魔物がいた。
なるほど、確かに森の奥深くだ。
『ほら、こうだ』
リツの声が聞こえ、急に頭の中に説明書が入ったように、クリステルは結界を張るには自分がどうすればいいのかを理解した。
紋章から放出された何かが、結界に変化していく。魔物が森の深くから出てこられないように、隙間なく結界が張られていく。丁寧に、確実に、押しとどめておく。
『できたね』
リツがそう言うまで、どれぐらい時間がかかったのかは分からない。気が付けば隣に兄がいて、心配そうにクリステルを見ていた。
「クリステル……お前、どうしたんだ。気分でも悪いのか」
はたから見ると、薬草もとらずただ突っ立っているだけに見えただろう。クリステルは顔に滲む汗をぬぐって兄に笑顔を見せた。
「大丈夫だよ。お兄ちゃん」
「あれ? ここ、こんなに薬草あったんだな」
そう言われて地面を見ると、良質そうな薬草が沢山生えていた。結界を張る前にはなかったはずだ。精霊術の影響かもしれない。クリステルはへへっ、と笑ってごまかす。兄は怪訝そうな顔をした。
「まぁ、とりあえずこれも採集するぞ」
二人で薬草をあらかた採り終えると、また歩いて自宅まで帰っていった。
精霊の森で採った薬草は思ったよりも良い値段になったので、クリステルと兄は家族から感謝された。
クリステルは達成感に満ちていた。自分は結界を張った。やり遂げたのだ。ずっと何をすればいいか分からなかったけれど、推しの未来を守れたのだ。
誰よりも助けになってくれたリツに礼を言う。
「本当にありがとう、リツ。これでもう王都の近くで魔物は出ないよね?」
『いや。西の方の丘とか、北の山とかにもいるね。まぁちょっと遠いけど』
“精霊の祈り”でエリオットが負傷するのは精霊の森だった。そこで結界を張ったのだからもう安心だと思っていたが、別の場所で襲われるということもありうるのかもしれない。
でもエリオットは王都から出ることはなかったはずだ。王子が地方へ出るのは成人を迎えた一八歳以降という設定だった。つまり王都近郊の結界を張れば大丈夫だろう。
今日、結界をはる場所から少々離れた場所にいても結界を張れるということも分かった。さすがに離れすぎていたら駄目らしいが、魔物の生息場所から少し離れた安全な場所で結界を張ることができるのだ。
「うーん、じゃあまたその辺の薬草を採るって言えば大丈夫かな。またお兄ちゃんに頼もう」
さすがにクリステル一人で王都を出ることはできない。クリステルは魔力があるが魔法が上手く使えないし、武術を嗜んでいるわけでもない。外には盗賊もいるし、魔物じゃない普通の動物だって危険なのだ。
兄は外へ採集に出たり、たまに日雇いの配送をしていた。外に慣れている上に、魔法も使える。
兄に、また採集に行きたいと言うと、彼はじっとクリステルを見た。
「お前、なんか隠してるな」
「えっ」
「その手の絵もなんなんだよ。なんでうちの家族は誰も突っ込まないんだ。ほんと適当すぎるよ。まさか何かヤバいことに首突っ込んでないだろうな」
「そんなことないわ。手のこれは、よく分かんないけど、急に浮かんだのよ」
紋章は精霊の加護を受けたからだ。クリステルは“精霊の祈り”を読んでいたので知っているが、加護を受けた人間に紋章が浮かぶことはあまり知られていないようだ。
それでもクリステルは一応、普段は手袋をして、自分が精霊術師だと周囲に悟られないようにしていた。貴族辺りに知られれば、大層なことになりそうだから。“精霊の祈り”のヴィクトリアがそうだった。
せめてエリオットの怪我を防げたと確信できるまで、平民の立場で自由に結界を張っていきたいと思っていた。
クリステルが視線をうろうろさせながら答えると、兄は一つため息をついた。
「ふーん。まぁ前みたいにいっぱい薬草が取れるならいいけど」
一応兄が納得してくれたので、クリステルはホッと胸をなでおろした。
兄と頻繁に薬草採集に行くことになったが、兄は精霊の森にばかり行きたがった。
わざわざ遠くに行かずとも、それなりに実りがあるのだからという主張だ。ごもっともである。あまり強硬に主張するのも不自然だと思い、少しづつ兄を説得しながら、色々な場所に採集に行くように努力した。そうして、機会をみて結界を張る。
結局、リツが「もう王都で魔物の存在を感じない」と言うまでに、二年かかった。その頃にはクリステルは一五才になっていた。式典や行事で遠くからエリオットを見る限り、彼の足は無事なようだ。
(私、やったのね。これでもう大丈夫)
クリステルは今度こそ達成感にガッツポーズをした。




