クリステルの過去 2
クリステルはとりあえず、手紙を書いた。
エリオットの身が心配なので、魔物の生息エリアに向かうのはやめておいた方が良いという内容だ。エリオットと、ルシアン。国王にも書いた。
でも分かっていた。こんな手紙、書いたところで意味がないことを。
(平民が書いた手紙なんて絶対本人に読まれずにそのまま捨てられるよね。内容も意味不明だし)
ヴィクトリアがフロレスという店を経営することも知っていたが、それはもう少し未来の話だ。フロレスでなら、ヴィクトリアに近付くこともまだ可能だが、今は店が存在しない。
エリオットが視察に行くと聞けば、クリステルはできる限りその場所に行った。運よく話ができるかもしれないと思ったのだ。しかし彼は王族。一介の町娘であるクリステルが近づける隙は全くない。いかつく強そうな騎士や魔導士が常に彼を守っていたし、怪しい動きなどしようものなら、きっと一瞬で始末されるだろう。
(どうすればいいの?)
焦るだけで、時間だけが過ぎていく。いつエリオットが負傷するのか分からない以上、気が気でなかった。
クリステルは頻繁に教会へ行く。精霊を祀る教会だ。
“精霊の祈り”でも、教会はキーとなる場所として出てきていた。祈りを捧げることで精霊との繋がりが深まるのだ。ヴィクトリアが精霊から貰う加護は『癒し』。加護を使い、人の怪我を癒すというシーンもあった。
王都の街には沢山の教会があるが、クリステルは家から少し離れた“精霊の祈り”に登場する教会へ行く。何となくその方が良いと思ったから。
(お願いします。お願いします。エリオットが怪我をしないように……どうか、シナリオ通りにしないで)
他に手がないクリステルは今日も真剣に祈りを捧げる。もう神頼みならぬ精霊頼みだ。
(お願い。今はあんなに元気なのに。怪我しちゃったら可哀想でしょ。しかも、エリオットったら凄いめんどくさい性格になっちゃうんだよ!)
クリステルは片膝をつきながら、両手を胸の前で組んだ。元々推しだったのはヴィクトリアだけだ。でも実際にエリオットと幸せそうに並ぶ姿を見てしまったら、あまりに尊くて。既にエリオットとヴィクトリアはクリステルの推しカプになっていた。
『ふふっ、ほんとうにおもしろい』
「何が面白いのよ!」
急に響いた声に、クリステルは思わず声を上げた。しかし、教会を見回しても誰もいない。
「へっ?」
確かに声が聞こえたと思ったのに、空耳だったのだろうか。
『こっちだよ、こっち。祭壇。ほら、見て』
クリステルはゆっくり祭壇へ目を向けると、そこには羽虫のような子どもがいた。あまりのことにクリステルは停止する。
『ぼくのこと見えた? ねぇお前、面白いね。何者なんだろう。魂の種類が普通の人間とは違う』
白い髪に、白い目。好奇心旺盛な表情で、彼——もしかしたら彼女——はふわふわとクリステルの顔の前を舞いだした。
「あ、あんた……もしかして、精霊?」
『そうだね。ここにしょっちゅう来てあんまり真剣に祈ってるもんだから気になっちゃってさ。お前、ぼくにそんな態度取っていいの? ぼくに何とかして欲しいから、祈ってたんだろ? こんな祭壇を作っちゃうぐらい、人間ってぼくを崇めてるんじゃないの?』
目の前の事態に、頭の処理能力が追い付かない。
この世界の子どもは、精霊の話を寝物語で聞かされる。教会に行けば精霊の姿と言われる絵を見せられ、精霊の力によって起こされる奇跡について教えられる。
ふわふわと美しく舞うこの羽虫の姿は、教会に描かれている絵とまさに一致していた。
「そ、そう、です……! エリオットを……エリオット殿下を助けてほしくて」
『この国の二番目の王子だね。ふーん。漫画? なんだそれ。あ、片足がない』
クリステルの記憶を覗いたらしい精霊は、楽しそうに笑った。
『ははは。おもしろい。本当にお前って一体なんなんだろう。女神さまの仕業かな。それで、お前はエリオットに懸想してるんだ?』
「ちがいます」
『じゃあなんでそんなに必死なの。何回もここに来て、エリオットについて祈ってただろ』
「それは、推しだからです! 実際に認識してもらって、あの方とどうこうなりたいなんて思っていません」
『オシ? ……なんか絵を集めたりすること?』
「違います! ただ、尊い人を応援して愛でたいという概念です。その延長線上で絵を集めたりはしますが!」
推しについてクリステルが説明すると、精霊は楽しそうにくるくると回りだした。
『はは! そうか! おもしろい!!』
しばらくクリステルの周りを舞ったあと、精霊はクリステルの眼前でぴたりと止まった。
『いいよ。お前に協力してあげよう』
「ほ、ほんとうに!?」
『あぁ。でもいいの? 王子の怪我を防ぐということは、お前のオシは漫画とは違う未来を歩むってことだ。お前が見たい場面は見られないかもよ』
「いいです! 好きなシーンは全部私の脳内に焼き付いてます。そもそも、私は平民で、ヴィクたんともエリオットとも住む世界が違うし……それに、あんなに辛い思い……しなくていいなら、しない方がいいでしょ」
精霊は嬉しそうに笑った。
『お前の名前は?』
「え? クリステルよ」
『クリステル。ぼくの名前はリツっていうんだ』
「あなたの名前……」
『そうだ。ぼくの名前を呼んで。ぼくの加護をあげる。そしたらお前はエリオットを救える』
精霊であるリツの囁きは、どこか悪魔のように甘く響く。
リツから加護を受けるという決断はきっと、大きなことなのだろう。しかしクリステルの中に迷いは一切なかった。
「リツ!」
名を呼んだと同時に、クリステルの体の中を、激しく何かが貫いた。
加護を貰ってから、クリステルの左の手の甲に複雑な文様が浮かび上がった。これが精霊の加護を受けた人物であるという証明になるらしい。確か、“精霊の祈り”のヴィクトリアも、手に文様があった。
クリステルがリツから貰った加護は、『結界』だった。
『結界を張って、王子が行く場所に魔物が入れないようにしたらいいんだよ。そしたら魔物に襲われることなんてない』
「本当ね……!」
精霊の名を聞き、それを口にすることで、精霊と契約が成立する。これでクリステルとリツは対等な存在になったという。
リツが敬語はいらないと言ってくれたので、普通に話すようになった。
普段リツは鳥に擬態しているという。精霊は様々な動物に擬態し、人間や動物を観察しているらしい。他に人間がいるとき、リツは鳥の姿になったり、消えたりするようになった。姿についてはリツの気分次第らしい。
『昔の人間がこの街の周辺に結界を張った名残で、殆ど魔物の気配はないけどね。近くで魔物が出るって言ったら、南にある森かな?』
「えっ、そうなの? 南にある森って、精霊の森なんじゃ」
王都の南に位置する森には、精霊に会えるという有名な伝承がある。そのため、精霊の森と言われている。魔物が出るという話は聞いたことがない。
『あの森に精霊はいないよ。魔物が見せる幻影じゃない? それっぽいのを見せて、人間を呼び寄せて、喰ってるんだろうね。数は少ないけど、あの森の奥には魔物がいるよ』
リツがけろりと告げた事実に、クリステルは衝撃をうけた。精霊の森は誰もが神聖視する美しい森だ。まさか魔物がいるとは思わなかった。
「だって、だって……、あ!」
クリステルは手で口を覆った。唐突に、記憶がよみがえる。漫画でエリオットが魔物に襲われる場面。こんなに大切なことを何で今まで忘れていたのだろう。
立ち尽くすクリステルに興味を失ったように、リツはふわふわと周囲を舞っている。
「そうだ……精霊を探しに行って……襲われるんだ」
ヴィクトリアが精霊に会いたいと思っていることを知ったエリオット。彼はヴィクトリアに内緒で下見がてら精霊の森へ行く。そこで、魔物に襲われるのだ。
ヴィクトリアはエリオットのために、教会で祈りを捧げて、癒しの加護を得る。癒しの加護によりエリオットの傷は回復するものの、欠損までは治せなかった。
結局エリオットは何もヴィクトリアに告げずに、婚約を自ら白紙にしてしまう。自分は精霊の加護を受けたヴィクトリアにはとても相応しくないと考えて。
読者視点ではエリオットの真意が分かる。しかし何も知らないヴィクトリアはエリオットから拒絶されたと考えてしまう。涙なしには読めないシーンだった。
(ヴィクたんは自分がエリオットを治せなかったことで婚約解消になったと思うし、エリオットは色々こじらせちゃうんだよね……)
やっぱり、エリオットは今のまま真っすぐ成長していただきたい。それに怪我さえなければ、順当にヴィクトリアと婚約を結ぶはずだ。そうすれば、劇的な出来事はなくても、きっと二人は幸せになれる。
自分には魔物を退ける力があるのだ。推しのために、今、すべきことは明確だ。
「精霊の森に結界を張る。それしかない」




