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クリステルの過去 1



 自分に不思議な記憶があると認識したのは、クリステルが幼い頃のことだった。

 おかしな言動をする娘に困惑していた両親だったが、クリステルはおおらかに育てられた。そういう個性の子なんだろう、という程度の認識だったのかもしれない。


 クリステルの父親は魔道具職人。母親は近所の食堂を手伝っていた。兄も姉も、妹も弟もいた。忙しい両親に沢山の兄弟。王都の狭い借家で、たくさんの家族と身を寄せ合って暮らす日々を送る。そのような家庭環境の中、変わり者のクリステルは放置された。


 クリステルは成長するにつれ、自分の中にある記憶の持ち主が、どうやらこの世界の住人ではないことを理解した。

 この世界よりももっと高度に発達した社会で、たくさんの便利なものがある世界。魔法は使えないみたいだけど、それに代わる技術があった。そんな全く別の世界に生きた女性の記憶だ。


(でもあまり幸せじゃなかったみたい)


 『前』の自分は楽しく生きていた訳ではなかったようだ。便利な生活をしていたけれど、息苦しくて、孤独だった。だから、現実以外の『漫画』にのめりこんだ。


「クリステルったらまた絵を描いているの? それは誰だっけ?」

「ヴィクたんよ! これはラストシーンでね。今後の決意に燃える顔が尊いの!」

「またクリステルがよく分かんないこと言ってる」


 クリステルはよく絵を描いた。記憶の中で、夢中になった漫画——“精霊の祈り”の絵だ。

 『前』の記憶はどんどん忘れていってしまう。でも特にこの話については忘れたくないし、忘れてはいけない気がしていた。


(主人公がヴィクトリア。王太子ルシアン、第二王子エリオット、幼馴染シリル。ウザイ女のスザンヌと、あと誰だっけ……悪役令嬢のオーレリア! あいつ本当に腹の立つキャラだったよね~)


 “精霊の祈り”のストーリーは、精霊の加護を受けたヴィクトリアという名前の主人公の恋愛模様を描いたものだった。

 『前』の自分は、この漫画の沼にはまっていた。二次創作もしていたし、同士たちと作品について語り合った。

 『前』の自分は特にヒロインのヴィクトリアを激推ししていた。可愛くて、性格も良い。彼女には表情が変えづらいっていうコンプレックスがあるのだけど、精霊の加護を受けたことで少しづつ自信を持てるようになるのだ。そしてここぞという時に出る笑顔が美しくて、尊い。


 精霊の加護に嫉妬したオーレリアの嫌がらせや、幼馴染のシリルから寄せられる密かな恋も、物語のいいスパイスだった。

 特にヒーローのエリオットと心を通わせるくだりは最高だ。魔物に襲われて足を欠損したエリオットは、めちゃくちゃ性格がひねくれている。エリオットは元々兄への憧憬からくるコンプレックスと、自分が愛妾の子であるという根深い劣等感を持っていた。それに加え足に障害を持ってしまったことが決定打となり、性格がひん曲がってしまうのである。

 それをヴィクトリアが少しづつほぐし、癒していく。その様がとんでもなく尊いし、美しいのだ。そして最終的に、溺愛スパダリにクラスチェンジするのである。


 完璧超人ではないヒーローのエリオットはファンの中ではたくさんの議論が交わされていた。アンチもいっぱいいた。IFルートでルシアンやシリルとくっつく二次創作もたくさんあった。


(まぁ、私も好きだったのは王太子ルシアンだったな。王道のイケメンで中身も男前だし。このメンバーだったらヒーローはルシアンだろ普通! って正直思ったわ)



 クリステルが話す“精霊の祈り”の話を、次第に兄妹たちはおとぎ話のような感覚で聞いてくれるようになった。忘れないように記憶の中の絵を真剣に描き続けるクリステルを、家族は咎めることもなく好きにさせてくれた。

 そんなある日、家に帰った兄が血相を変えてクリステルに釘を刺した。


「おいクリステル、お前、あの、ヴィクトリアの話はもうするな」

「えっ、なぜなの?」

「お前が言っていたルシアンとエリオットっていうのは本物の王子様の名前だったぞ!」

「えっ……」


 兄の言葉を聞いて、驚きのあまりクリステルはそれ以上言葉を紡げなくなった。


「王子様の名前で、足を怪我するとか、恋愛とか、そんな話をすれば不敬罪だ。騎士や貴族に聞かれでもすれば俺ら平民なんて一発でアウトだろ。お前がどこであの人たちの名前を聞いたのか知らねえけど、絶対にやめろよ。チビたちにも、もう話をするのはやめろ」

「わ、分かったわ」


 兄の懸念はもっともなことだ。クリステルもその家族もただの平民である。雲の上の高貴な方々の名前を馴れ馴れしく口にすることは不敬とみなされる。

 平民であるクリステルたちは日々の生活で精一杯だ。王族や貴族が存在することは知っているが、別世界の人たちだし、国王以外の王族の名前までは把握していなかった。


 しかし、漫画の登場人物と現実の人物が一致するなんて一体どういうことだろう。

 しかも、ルシアンは王太子、エリオットが第二王子らしい。“精霊の祈り”の設定と同じだ。


(こんなことってあるの?)


 現実と記憶の中の漫画との奇妙な一致に、クリステルは引っ掛かりを覚えた。



 今まで通りのせわしない生活を送りながらも、クリステルは漫画のことを考えずにいられなかった。


(本当のことなら? あの漫画のシナリオが、この世界で起こることなら?)


 考えれば考えるほど、この世界は“精霊の祈り”の世界と符号する。

 精霊への信仰。魔法がある世界。誰もが魔物の発生に悩んでいる。

 それなら、これから起こることも、もしかしたら一緒なのかもしれない。


(エリオットが魔物に襲われるのは、いつだっけ……大事な出来事だったような……だめ。思い出せない)


 クリステルとして生きて何年も経ち、漫画の記憶は徐々に薄れている。忘れたくないものは書き記していたが、忘れてしまっていることも多かった。

 エリオットがいつ、どこで、魔物に襲われたのか、思い出せない。


 彼が深刻な怪我をすることを分かっていて、何もできないことは、クリステルにとってはがゆいような、どこか引け目を感じるようなことだった。

 あの怪我で、ヴィクトリアとエリオットはすれ違ってしまうし、仮だった婚約も白紙になる。何よりも、エリオットは体に大きなハンデを負うのだ。


(どうしよう、どうしよう。でも私に一体何ができるっていうの? ただの平民なのよ)



 エリオットが王都の孤児院を慰問すると聞き、居ても立っても居られずにクリステルは孤児院へ行った。

 滅多に見られない王族が拝めるとあって、そこにはたくさんの人だかりができていた。クリステルはその人並みをかきわけていく。


 孤児院の扉から、金髪の少年と黒髪の少女が出てきたので、クリステルは限界まで目を見開いた。

 その少女は、さらさらの艶やかな黒髪で、美しい菫色の瞳は猫目で可愛い。ふっくらとした薔薇色の頬。完璧な造形で、表情が動かないので人形みたいに見える天使。


(うそ、本当に、ヴィクトリアだ……!)


 孤児院の慰問に、彼女も同行していたらしい。ヴィクトリアの容姿はクリステルの知る漫画のヴィクトリアと完全に一致していた。


(推しが、推しがそこにいる!! 動いてる!!)


 そしてその隣には金髪碧眼の王子様。彼も、“精霊の祈り”のエリオットと同じ顔立ちだ。

 しかし、今視界にいるエリオットは漫画のエリオットとは全然違う。穏やかに微笑んで、ヴィクトリアと並んでいる。


(足が、ある……)


 漫画のエリオットは、左足の膝から先がなかった。松葉杖のような魔道具を常に持ち、側近のリュカに支えて貰う場面もあった。

 しかし目の前のエリオットは何に助けて貰うこともなく綺麗な姿勢で立っていて、ヴィクトリアをエスコートしてさえいる。


 二人が何のこだわりもなく仲良く並んでいるその光景が、クリステルにとっては奇跡みたいに思えた。


 心の中で推測してはいたが、彼らを目の当たりにすることで、それは確信に変わる。

 “精霊の祈り”の世界に、今自分はいるのだと。


(でもこれは、漫画なんかじゃない。現実なんだ)




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