怖い
「にゃー……、ヴィクトリア」
もう眠ろうとしていたヴィクトリアに、ベッドに寝そべるアンバーが語り掛けた。こちらをうかがうように見ている。
「なにかしら」
「あのこをたすけてあげれる?」
「あの子?」
アンバーはぴょんとヴィクトリアの腕の中にとんだ。
「なまえしらない。ヴィクトリアのともだち」
「誰のことかは分からないけど、わたくしにできることなら」
ヴィクトリアの答えに、アンバーはにゃっ、と鳴いた。するとアンバーを中心に光が広がり、視界がなくなった。ヴィクトリアは思わず瞳を閉じる。
光が収まったのを感じて瞳を開けると、ヴィクトリアは見知らぬ場所にいた。
どこか部屋の中のようだ。ヴィクトリアは周囲を見回す。一体何が起きたのか分からない。
「ヴィクトリア様……!?」
「クリステル様!」
「な、なぜ私の部屋にヴィクトリア様が」
「ここはクリステル様の部屋なの?」
アンバーを見ると、誇らしげに「にゃー」と鳴いている。アンバーの言うあの子とはクリステルのことだったらしい。
「わたくしも急なことで驚いているんだけど、この子があなたを助けてあげて、と」
ヴィクトリアがアンバーを撫でる。クリステルはアンバーを見て、はっとしたように両手を組んだ。
「もしかして、加護を受けたのですか」
「わたくしが? いいえ」
「あれ? じゃあなんで……」
不思議そうにクリステルはアンバーを見て首をかしげる。腕の中のアンバーがなーぉ、と鳴いた。
「お前、こまってるだろ。あいつがうるさいから、ヴィクトリアにたのんだ」
アンバーが話すと、クリステルははっと息を詰まらせると、ふよふよと自身の周りを舞う光に目を向けた。
彼女はアンバーが言葉を話せることに驚いた様子はない。以前言っていたように、アンバーのことも『知っていた』のかもしれない。
クリステルの部屋は二間続きになっていて、ベッドのある空間とソファや机などがある空間に分かれていた。ヴィクトリアとアンバーはクリステルに勧められるままソファに座り、クリステルは机を挟んだ正面の椅子に座った。
「すみません。メイドさんもみんな寝ているでしょうから、何も出せないんですが」
「非常識な時間に来ているのはわたくしなのだから構わないわ。それで、何かあったの?」
「その……」
クリステルは言いづらそうにそのまま黙ってしまった。しばらく沈黙が続き、ヴィクトリアはふと、彼女に伝えたいことがあったことを思い出す。
「クリステル様。イザベルを助けてくれてありがとう。それに、ナディア様も」
クリステルは目を見開いた。
「イザベルは幼馴染だし、ナディア様もお友達なの。あなたの言葉で、二人とも助かったのよね」
「本当は、ヴィクトリア様が二人を救うはずだったんです。でも私のせいで、ヴィクトリア様が二人を救えないから。だから……」
そう呟くように言うと、クリステルは顔を下に向けた。
前に学園で彼女が泣いていたことを思い出す。自分のせいでヴィクトリアの運命が変わってしまったのだ、と。
「前に言っていたわね。あなたは、未来を知っている。だから彼女たちを救えたのね」
「でも私が知っているのは、ヴィクトリア様が精霊の加護を受けた未来だから。今は全然違う。だから、もし私の知っている未来と同じことが起こったら、イザベルもナディアも、し、死んじゃうかもって、思って」
彼女は苦しんでいるように見えた。一人で大きなものを抱えて、それに押しつぶされそうなように見えた。
きっと未来を変えてしまった自分の行動に責任を感じ、これまでたった一人奮闘していたのだろう。
「クリステル様。一人でできることは限られているわ。もっと周囲を頼るべきよ。あなたが抱えていることをわたくしに分けてくれないかしら。わたくしはこれでも、侯爵家の長女で、王族の婚約者なの。やろうと思えば、たいていのことはできるわ」
ヴィクトリアの言葉にクリステルは目を見張った。
「何だか、心強いです」
クリステルが少し笑顔になったので、ヴィクトリアはホッと息をついた。
「実は遠征で、私、何回か命の危険にさらされまして」
ポツリと、クリステルが語り始める。そのことについては、エリオットから聞いていた。
「多分、きっと……犯人はオーレリア様だと思うんです」
「え?」
「私が知っている未来では、ヴィクトリア様が何度か命を狙われます。それはオーレリア様の仕業でした。だから……」
現実に精霊の加護を受けたのは自分だから、オーレリアに狙われているのだと彼女は言いたいのだろう。
「なぜオーレリア様は精霊術師を狙わなければならないの」
「あの方は、精霊の加護を受けた存在が気に入らないのです。場合によっては王太子妃よりも尊ばれる女性になるから」
ヴィクトリアはクリステルの言葉に驚きつつも、あり得ないとまでは思わない自分に気付いた。オーレリアは気位が高いところもある。時折、彼女にどこか冷酷さを感じることもあった。どこか、心からの信頼を置ける人物ではないような気はしていたのだ。
「私、自分の責任として、ヴィクトリア様が救うはずだった人を救うことも、結界をはることもすべきだって思ってます。でもあんな経験をして、怖かった。いざ死んじゃうかもって思ったら、すごく怖くなって」
クリステルの手は僅かに震えていた。
彼女は実際に盗賊に襲われ、あわや馬車の事故に遭遇するところだった。恐怖を感じるのも当然というところだ。
「また遠征に行くと言われたら、私は、はいとしか言えないです。でもまた、危険な目にあうかもしれない。それで次は死んじゃうかも。だって、私は偽物で、横取りしただけの、モブだから……」
「遠征なら今からでも断れるわ」
「それは……できません。すみません、ウザイですよね。怖いとか言うわりに、行くなんて言って」
そう訴えるクリステルの瞳は潤んでいた。ヴィクトリアはクリステルの手を取った。
「恐ろしくても行くと決めているのね。クリステル様。わたくしも一緒に行けたら良いのに、足手まといでしかないからそう言えない。許してちょうだい」
「ヴィ、ヴィクトリア様が、謝ることじゃ、ないですよぉ……怖いって、言えて、それだけでわたし、心が少しは楽になって……」
彼女はぽろぽろと涙を流した。しばらくヴィクトリアは彼女の背を撫でてやった。
「ねぇ。あなたの知っていることを教えてくれないかしら。わたくしにもできることがあるかもしれないから」
彼女はしばらく逡巡したあと、少しづつ、最初から自分の話を語り始めた。




