猫の力
エリオットは一人、自室で物思いにふける。
ヴィクトリアに貰ったカモミールティーは驚くような効果があった。
体から瞬く間に疲れが消え、頭がすっきりとした。体の奥から力が湧き出るような感覚があり、最高の状態で執務に集中できた。
(これは、凄いな。ただのハーブティーではこうはならない。間違いなくアンバーの力だ)
どう考えてもアンバーは普通の猫ではない。
言葉を話す時点でそれは明白だが、魔法とは違う力を持っている。あれは精霊術か、もしかすると全くの未知な、別の力なのかもしれない。
しかもアンバーは人の考えが分かるようだ。言葉に出していないにも関わらず、正確にヴィクトリアとエリオットが考えていることを理解していた。
アンバーははっきりと、ヴィクトリアから離れることを拒否していた。あの様子では、無理にアンバーを従わせることは難しいだろう。相手が王族の意向である程度動かせる人間ではない上に、その力が未知数である以上、うかつに手を出すべきではない。
また一口、ハーブティーを飲む。力がみなぎるような感覚がエリオットを包んだ。
近頃エリオットは疲弊していた。クリステル達の遠征では、予想外の出来事が立て続けに起こった。その後始末に、エリオットは奔走している。
エリオットはアベール男爵の報告書を手に取った。
男爵領の山には確かに魔物がいたが、訴えにあったような逼迫した状況ではなかったらしい。報告書には、領内の報告連携の不備を詫びるような言葉が並んでいる。
現時点で領民への魔物の被害はほとんどないが、今後のことを考えクリステルは結界を張った。山では何度か魔物と戦闘になったものの、難なく撃退した。
問題はその後、山のふもとに張ったキャンプで、夜半、盗賊団が現れたのだ。
盗賊団は薬品を使い夜警の騎士たちを眠らせ、まるでその位置を知っていたかのように、正確にクリステルのテントを目指したらしい。クリステルのテントの前にはラウルとシリルがおり、何とか撃退したようだが、かなり激しい戦闘となった。二人が言うには、ただの盗賊団とは思えないほどの手練れだったという。
異変に気付いた他の騎士や魔術師が応戦し、彼らを捕縛したが、形勢不利とみるや彼らは皆自害してしまったという。
死んだ以上、なぜまっすぐにクリステルのテントだけを狙ったのかはもう追求のしようがない。
(捕縛されて自害するなど、行動が盗賊団とは思えない。まるで暗殺者のような)
男爵の報告書には、盗賊団について、前から例の山付近を縄張りに活動していた連中であり、奴らの討伐を感謝するという内容の記載がある。
その後帰還の途についた後もトラブルがあった。なぜかクリステルの乗っていた馬車に不具合があったのだ。異変に気付いた騎士が馬車を止め、事なきを得たが、悪路を進む馬車が壊れでもすれば、御者もクリステルも命は危うかった。
馬車は出発の前日にも点検をおこない、問題ないという判断だったはずだったという。
結局クリステルは別の馬車に乗り、遠征隊は王都まで無事に帰還できたのだ。
エリオットは遠征隊のメンバー一人一人に聞き取りをおこない、男爵に遠征に関する報告書を提出させ、ルシアンや騎士団、魔術師団と共にこの件についての検証をおこなっている。
(偶然が重なっただけ、か……)
検証はそのように結論付ける方向になっている。しかし、数日の間に特定の人物が二度も命の危険にさらされる確率は、どれほどあるだろうか。そもそも盗賊団が本当に盗賊だったのかどうかもエリオットは疑問に思っているが、もう死体が男爵家で処理された以上、確かめることは不可能だ。
クリステル本人は当然ながらかなり怖がっていたらしいが、今は普通に過ごしているという。彼女からも一応一連の事柄について聞き取りをしたが、こちらが把握している情報以上のことは知らなかった。
ふぅ、と息をついたエリオットは再びカップに入ったカモミールティーを見る。
アンバーの件については、一旦保留にするほかない。学園を卒業すればヴィクトリアは王子妃として王宮に入る。一緒にアンバーも王宮に来るだろう。その後に考えればいい。
ルシアンに呼び出されてエリオットが王太子の執務室に入ると、そこには騎士団と魔術師団の団長がいた。彼らは次の遠征にエリオットも参加してほしいと言ってきたので驚いた。
「殿下は優れた魔術師でもあられますので、ご参加いただければ遠征隊の士気も上がります」
「次の遠征はまだ当分先だと聞いていたが」
「陛下とローラン嬢の許可を得られましたので、近々計画を組む予定です」
エリオットに頭を下げているのは、魔術師団の団長だった。
結界を張って欲しいという要望が各地から多く出ていることは知っているが、クリステルの学業に支障が出ない範囲でという話だったはずだ。
「エリオットも、もう一八になったし、お前は既に学園で学ぶべきことは修了しているだろう」
そう言いながらも、どこかルシアンは浮かない顔だ。
「私はそうですが、ローラン嬢は……」
「彼女のことは心配いらないよ」
ルシアンがそう答えたものの、前回危険な目に遭ったのに、時間をおかずにまた遠征に出ることを本当に彼女は受け入れているのかとエリオットは疑問に思う。
(しかし陛下が許可をだしているのなら遠征は決まったことなのだろう)
もとより遠征にはいつか自分も同行せねばならないと考えていた。エリオットは腹をくくる。
「承知いたしました。では次回は私も同行しましょう」
エリオットが答えると、団長二人は安堵としたように笑顔を見せた。
自室に戻ったエリオットは、ヴィクトリアに手紙を書く。遠征へ同行するが、心配はいらないと書き、ベルトラン侯爵家へ送った。




