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ナディアの悩み



「にゃーっ」

「ふふっ、可愛い」


 茶色いふわふわの愛らしい動物が、ヴィクトリアが揺らすおもちゃを捉えようとぴょんぴょんと跳ねる。

 上へ、下へ、横へ。時折ヴィクトリアの膝へ乗り、じゃれてくれる。


「あらあら、仲良しね」

「ナディア様」


 杖をついた老婦人は優し気な笑顔で語り掛けると、ヴィクトリアの近くまで足を進めた。そのまま二人で猫をあやしながら、天気や家族の話をする。

 今日のナディアはいつもよりも口数が少なく、元気がないように思える。どうしたのだろう。心配になったヴィクトリアはちらりと彼女の顔色を窺う。


「なぅっ!」


 猫がナディアの肩に両手をぽんと置いた。その姿が、元気だせよ、とでも言っているようで、二人は思わず笑いがこぼれる。


「ほんと賢い子ねぇ」


 ナディアは猫の頭をゆっくり撫でて、そう呟いた。


「ナディア様、何かありましたか?」

「うーん、そうね。嬉しいことと、少しだけ落ち込むことがあったわ」


 苦笑するように言い、彼女は語り始めた。

 ナディアの孫は男女二人いて、男の子のほうが先日仕事で危険な地域に行っていたという。孫の身が心配だったナディアは元々通っていたこの教会で頻繁に祈りを捧げるようになったらしい。


「この前ね、その孫が帰って来たの。無事にね」

「良かったですわ」


 ヴィクトリアがそう答えると、ナディアはふっ、と笑った。


「どうやらあの子、好きな人ができたみたいでね」


 孫はその思い人の話ばかりするようになり、姉であるもう一人の孫はそんな弟をうっとおしがっているという。

 話を聞く限り、微笑ましい家族の日常のように思える。そして、似たような家族を知っているような。


「実はね、孫が家を離れている間に、何度か手紙を貰ったの」

「優しいお孫さんですね」

「違うのよ。手紙は普通の内容じゃなかったの」


 届いた手紙には、西街の薬屋へ行くな、という内容の忠告が書いてあったという。

 確かにナディアは王都西街の薬屋に行く予定があった。その予定については誰にも話していなかったのに、なぜ孫がそのことを知っているのかと思いながら、熱心にそう書いているものだから、一応予定を変更した。


 そうしたら——


「その薬屋で火事があったのよ」


 ナディアは少し眉を寄せて、ぽつりと言った。

 元々外出を予定していた日、その場所で火事が起きた。きっと孫の手紙がなければ、自分は予定通り薬屋に赴き、火事に遭っていただろう。無事でいられたかは分からない。ぞっと恐ろしい気持ちになった。

 なぜ孫はそんなことが分かったのだろう。ナディアは感謝の言葉と共に、詳細を尋ねる手紙を書いた。


「あなたのおばあさんが薬屋に行こうとしてるだろうけど、駄目だって、孫の好きな子が言ったらしいの。孫はね、彼女は精霊に愛される人だから、そんなことも分かるんだって言うのよ」


 困ったような顔でナディアが言う。ヴィクトリアは彼女の孫についての正体が見えてきた。そして彼の思い人についても。


「ふふ。分かったわよね。私の孫のこと」

「……はい」

「ごめんなさいね。私、随分前からあなたがどんな家の方か分かっていたわ。本当ならこんなに気軽な口を利ける方ではないのに、ヴィクトリア様とお話できるのが楽しくて、知らないふりをしていました」


 急に彼女は頭を下げ、態度を改めるような素振りを見せたので、ヴィクトリアは少し悲しい気持ちになる。


「ナディア様、そんなことおっしゃらないで。これまで通り接してください。わたくしも、ナディア様とお友達になれてとても嬉しく思っています」


 ヴィクトリアが彼女の手を取ると、ナディアは上品に微笑んだ。


「こんなおばあさんをお友達と思ってくれているの?」

「当然ですわ」


 そこで猫がヴィクトリアの膝からナディアににゃぁ、と鳴いた。自分だって、とでも言うように。


「ありがとう。その方も精霊の加護を受けた方なのだから、きっとヴィクトリア様のように素敵なお嬢さんなんでしょうけど、ちょっとおかしいと思ってしまってね。だってね、ヴィクトリア様。精霊様といえど、未来は分からないはずよ」

「……そうですね」


 精霊には奇跡ともいえる力があるが、未来視も過去視もできない。それは過去の精霊術師を通して分かっていることだ。


「なぜ西街の薬屋で火事が起きることを……しかも私がそこに行こうとしていたことを知っているのか……、それに孫があまりにもその方に傾倒しているものだから……色々と考えてしまって。でも精霊様の加護を受けた方に、命を救ってくださった方に、そんな風に思ってしまうなんて、私……そんな自分に落ち込んでいるのよ」

「ナディア様……」


 猜疑心と罪悪感で彼女の心は揺れていた。精霊を慕う気持ちがあるからこそのことだ。

 精霊が未来視できないのは明白なのに、クリステルが薬屋で火事が起きることが分かっていたことを勘繰ってしまうのは仕方のないことだ。

 クリステルが持つ渡り人の記憶が関係しているのだろうが、ヴィクトリアはそれを彼女に告げることはできず、ただ頷くしかできない。


 ふと、スザンヌのことを思い返す。スザンヌは、ナディアのことを案じる気持ちもあって、よりクリステルへの反感が募っているのかもしれない。


「スザンヌ様とは、お話をされていますか?」

「スザンヌと? そういえば、ラウルが帰ってからはちゃんと話していないかもしれないわね」

「ナディア様を心配されているようでしたわ」

「そう……あの子、見ていないようで見ているのね」


 ふふっとナディアは笑った。


「ありがとう。年甲斐もなくあれこれ考えてしまっていたわ。情けないおばあさんね」


 退屈そうに、なぁーと鳴く猫を撫でながら、自嘲するようにナディアは言う。ヴィクトリアは彼女に向けて少し身を乗り出した。


「そんな……誰だって、思い悩むことはありますわ。でもナディア様。クリステル様は素敵な方です。ですから、そこについてはご安心ください」

「ありがとう。ふふ。ヴィクトリア様がそう言うのなら、きっとそうなのね」


 ナディアはそこで、じっとヴィクトリアの目を見た。


「ヴィクトリア様が精霊様の加護を受けた方だったなら、きっと何も思わなかったけれど」

「わたくしが?」

「そのご令嬢もきっと素敵な方なのね。でも……ヴィクトリア様。あなたほど純粋で心根が綺麗な方、私はお会いしたことないもの」


 思いもしない言葉にヴィクトリアは声を詰まらせる。彼女がそんな風に自分を評価してくれているとは知らなかった。嬉しさがこみ上げ、胸の奥がじんわりと熱を持つ。


「わかる。ヴィクトリアはきれい」

「……?」


 その時、唐突に響いた声は、ヴィクトリアのものでもナディアのものでもなかった。ヴィクトリアはきょろきょろと声の主を探す。


「心も魂もきれい。だからだいすき」


 また同じ声が聞こえる。今度ははっきりと、声の発生源が分かった。ヴィクトリアはあまりのことに目を見開く。声の主はどう考えても……。


「まぁ……! あなた、お話できたの」


 ナディアが頬を紅潮させ、手を叩いた。声の主は「にゃっ!」と失敬な、とでも言いたそうな顔をしている。


「言葉ぐらいしゃべれる。あ、ほんとはバレちゃだめ。でも我慢できなかった」


 ちいさな口をぱくぱくと開け、器用に声を出しているのは、茶色い猫——多分、猫のはず——だった。




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