シリルの事情
ベルトラン侯爵家の客間に、花の香りが漂っている。
客間の机には小さな籠に入れられた花がいくつか置かれ、シリルがそれぞれの花について説明をしてくれている。フロレスで売り出す次の素材について、提案に来てくれているのだ。
「これはゼラニウム。香りが良いし、花自体も鑑賞用として人気だ。あとこれは知ってるかもしれないけど、カモミール。ハーブティーにしたら良いと思う」
シリルから商談のために訪問したいと言われたときは、少し意外な気持ちになった。遠征に魔術師として帯同していたので、もう商人としては働かないのかもしれないと思っていたからだ。
しばらく花の仕入れ価格や、入荷時期などを確認して、商談を進めていく。
「どちらの花もとても良いわ。きっと売れる。どんな加工が良いか考えてみるわ」
「あぁ。これはサンプルで置いてくよ」
ヴィクトリアは花を作業部屋に持って行ってもらうようメイドに頼む。使用人が何人か部屋に入り、シリルが持ってきた花は瞬く間に運び出されていった。
久しぶりに会った彼にはぜひ聞きたいことがあった。
「シリル、あなたが魔術師としてクリステル様の隣にいたときは凄く驚いたわ。なぜ何も言ってくれなかったのよ」
「あぁ……言う暇がなかった」
ははっ、とどこか照れくさそうに彼は笑った。
「無事でよかったわ。あなた、魔術師になるの?」
「いや、クリステルが遠征に行くときはついて行くかもってだけだ。あいつには借りがあってさ」
「借り?」
聞き返したヴィクトリアに、シリルはこれはくれぐれも秘密にしてくれよ、と前置きをして語り始めた。
彼にはイザベルという妹がいる。クリステルはある日突然、シリルに“イザベルが食べる物に気を付けろ”と言ったのだという。最初は何を言っているのか分からなかったが、何となく食事のときイザベルの皿を見てみると、おかしなところがあった。
「イザベルのスープだけ、微妙に具材が違ったんだ」
注意深く見てみないと分からない違いだった。不穏なものを感じたシリルは不注意を装ってそのスープを床に落としたという。
それから、何度か同じようなことがあり、さすがにシリルは父であるデュラン伯爵に相談した。秘密裡に屋敷内を調査したところ、数か月前からイザベルに少量の毒が盛られていたことが発覚したのだ。
「実はイザベルは少し前から体調を崩すことが多くなってて。病気だと思ってたけど、毒が原因だった」
「何てことかしら。イザベルは大丈夫なの?」
「あぁ、大丈夫。今はもうピンピンしてるよ」
イザベルに毒を盛ったのは、デュラン伯爵の後妻だった。彼女は精神的な問題を抱えており、その病気からくる妄想でイザベルに敵意を抱いていた。
事態を把握した伯爵は後妻と離縁し、今彼女は実家で療養しているという。
「家が落ち着いた後、クリステルが遠征に行くって聞いてさ。あいつはイザベルの恩人だし、ちょうど魔術師団からも誘われてたから、同行することにしたんだ」
「そうだったの……」
イザベルが無事で本当に良かった。ヴィクトリアにとって、イザベルも幼馴染である。彼女が毒に侵され、誰も気付かないままだったら、と思うと恐ろしくなる。
「ついて行って良かったよ。色々あったけど、俺も役に立てたから」
遠征では魔物のほかにも何度か危険なことがあったらしい。盗賊も出たという。
盗賊に襲われたときは、シリルとラウルで撃退したらしい。話を聞くだけでヴィクトリアは今みんなが無事で帰ってきたことをもう一度精霊に感謝したくなった。
「何度かクリステルになんであんな助言ができたのか聞いたんだけど、良く分かんなくてさ。まぁ、イザベルが助かったんだから、何でもいいんだけど」
「そうね」
「あいつ凄いよ。魔物がどの辺にいるとかも、精霊の声で分かるらしい。遠征中は色々あったけど、みんなあいつの言うことを聞いてたよ。もうラウルなんか、クリステルを女神みたいに崇めてたし」
シリルがクリステルについて語る顔には親愛の情が浮かんでいる。以前シリルは彼女を変な女だと言っていたが、親しくなったようだ。
クリステルは素敵な女性なのだから、こうして周囲から愛されるのは当然のことだ。自分が時折彼女に嫉妬してしまっても、けして嫌いにはなれないように。ヴィクトリアは彼の話に相槌を打ちながら、そう考える。
ラウルの名前を聞き、ふと彼の姉スザンヌを思い出した。お茶会で声を震わせ、クリステルへの反感を口にしていた彼女。
「もしかして、ラウル様とスザンヌ様のおばあ様に何かあったの?」
シリルはぽかんとした表情をする。
「知ってるのか」
「いいえ。何も知らないわ。この前お会いしたとき、少しスザンヌ様の様子がおかしかったの。おばあ様、と仰っていたわ」
灰色の髪をぽりぽりとかき、シリルは少し気まずそうな顔をした。
「他家のことだし詳しくは言えないけど、俺と同じようなことがあったんだ」
シリルは困ったように視線を下げ、そう答えると、それ以上は何も言わなかった。




