教会の猫
クリステル達が遠征に立ち、ヴィクトリアは忙しい日々を過ごしていた。
王宮に行き、妃教育を受ける。王妃やオーレリアと共に王族女性の公務を負担する。フロレスの経営について指示を出し、学園が休みで会う機会が少なくなったミシェルとコレット、レリアとお茶会もしている。
そして、空いた時間は精霊を祀る教会に行く。クリステル達の無事を祈るためだ。
クリステルには精霊の加護があるのだから、ヴィクトリアの祈りなど意味がないのかもしれない。それでも祈りを捧げたかった。
(どうか、みんなが無事に役目を終えて帰って来れるよう、お力添えをお願い致します)
祭壇の前に跪き、一心に祈りを捧げる。元々ヴィクトリアは教会へ頻繁に訪れていたが、クリステル達が遠征へ向かった後はより頻度が増えていた。
祈りを捧げた後、ヴィクトリアには楽しみにしていることがあった。
「なーお」
「今日も来てくれたのね。良かった」
教会の敷地内に、猫が住み着いている。茶色いふわふわの毛に包まれ、野良猫にしては毛並みが良い。痩せている様子もないので、きっと近所の住人や教会の参拝客から餌を貰っているのだろう。
可愛らしい顔をしていて、じっとヴィクトリアの顔を見つめてくる。
いつからか、ヴィクトリアが教会の扉を開けるといつも待ち構えたようにこの猫が出てくるようになったのだ。人懐こい猫なのか、ヴィクトリアにゴロゴロとのどを鳴らして体を摺り寄せてくれる。あまりの愛らしさに、ついつい猫と戯れてしまう。
「ふふ。今日はお前のためにお弁当を持って来たわ」
「にゃにゃっ」
ベルトラン侯爵家の料理人お手製の餌である。肉や野菜を煮て、細かくしたもののようだ。ヴィクトリアはお弁当を出し、猫に差し出すと、勢いよく食べ始めた。
その様子を微笑ましい気持ちで見守っていると、後ろから声がかかった。
「あら、今日もいらしていたのね、ヴィクトリア様」
「ナディア様! ごきげんよう。ナディア様もお祈りに?」
杖を持った老婦人は人の良さそうな顔を綻ばせて頷いた。
彼女は、この教会で知り合った。祈りに来た時に頻繁に顔を合わせるので、次第に天気の話や、彼女の孫の話、ヴィクトリアの家族の話など、たわいもない話をするようになった。その物腰からきっと貴族の夫人だと思うが、お互い名前しか名乗りあっていないので、詳しくは分からない。
教会で知り合ったのだから、ただ精霊を慕う者同士というだけだ。
彼女は足が悪いらしく、杖をついているが、白髪交じりの髪をきちんとまとめ、腰もほとんど曲がっていない。年齢はきっとヴィクトリアの祖母と同世代だろう。
「あらあら、猫ちゃんもいいものを貰ったねぇ」
「にゃっ」
猫は一鳴きした後、またガツガツと餌を食べ始める。そして瞬く間にたいらげた。
「みゃーう」
満腹になったのか、猫はごろりと転がった。ナディアと一緒に腹を撫でてやると、されるがまま気持ちよさそうにしている。
「ねぇ、うちの子にならない?」
声をかけ、抱きあげようとすると、さっと猫はヴィクトリアの腕から降りた。
「にゃあ」
そうひと鳴きし、去っていく。
「ふふ。つれないわねぇ」
手を頬に当て、上品にナディアが言った。
どうやら、今日もふられてしまったらしい。ヴィクトリアは猫が消えて行った場所を残念な気持ちでしばらく見つめた後、ナディアとしばらく話をして、侯爵家の馬車へ乗り込んだ。
◆
妃教育の後、都合が合えばエリオットとお茶会をするのが恒例になっている。
エリオットは席に座るなり、口を開いた。
「ローラン嬢は無事結界を張ったみたいだよ」
「そうですか! 良かったですわ」
エリオットの報告に、ヴィクトリアはほっと胸をなでおろした。
「戦闘になることもあったみたいだけど、結界が張られたら魔物は一斉にいなくなったらしい」
「本当に、精霊術というのはすさまじい力ですね」
魔物一体を倒すのに、どれだけ苦労することか。ときには命を落とすことだってある。クリステルの結界は、その脅威から丸ごと守ってくれるのだ。
「そうだね。まさに精霊の御業だ。得難い力だよ」
精霊の結界についてはよく分かっていないことが多い。結界を張った精霊術師が死した後も残っているものもあれば、すぐに消えてしまうものもある。まさに精霊の気まぐれというものなのだろう。
クリステル達はこれから王都へ帰ってくるらしい。アベール男爵領から王都へは馬車で一週間ほどだ。学園が始まるまでには帰ってくるだろう。
「怪我人はいないのですか?」
「色々あったみたいだけど、大きな怪我を負った者はいないと聞いているよ」
ということは、シリルも、他の騎士や魔術師たちも無事なのだ。本当に良かった。
ヴィクトリアは教会に行き、感謝の祈りを捧げる。あとは無事に彼らが家まで帰ってこられたらいい。
今日ナディアはいないらしい。彼女とは連絡先を交換したわけでもないので、ここで偶然会えるというだけの人だ。
教会の扉を出ると、いつも通り猫が出てきてくれた。
「猫ちゃん。今日はお前の餌を持ってこれなかったの。ごめんなさいね」
「なぁー」
気にするな、とでもいうように猫が鳴く。
しゃがみこんだヴィクトリアの膝に、猫が飛び乗ってくれた。ヴィクトリアが猫の顎の下を撫でてやると、ゴロゴロと気持ちよさそうに鳴いた。
「今日は嬉しいことがあったのよ。精霊様のおかげ」
「にゃ」
「ふふ。お前は賢いのね」
この猫は、いつもヴィクトリアの話に相槌を打つように鳴いてくれる。まるで人の話が分かるように。
くぁ、とあくびをした後、猫はさっと膝から降り、去って行ってしまう。もう今日は終わりかと思っていると、次は教会の角から何かを咥えてヴィクトリアの元まで戻ってきた。
ヴィクトリアの足元に戻った猫は咥えたものをぽと、落とした。
「これは何かしら? あら、もしかして魔石?」
「にゃあ」
「お前が拾ったの?」
「なーお」
「わたくしへ、くれるの?」
「にゃ」
そうだ、と言っているような、どこか誇らしげな表情に見える。
手に置かれた魔石は、穏やかな緑色をしていて、複雑にきらめいていた。道や、どこかに落ちていたものをこの猫が見つけたのかもしれない。
「嬉しいわ。ありがとう」
「にゃあ」
ヴィクトリアが頭を撫でてやると、猫は目をつぶってされるがままでいてくれた。しばらくすると、目を開いて「なぁ」と鳴き、ヴィクトリアの足元から去っていったのだった。




