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絵の正体



「なにニヤニヤしてるんですか、エリオット様」


 呆れたようにリュカが書類を机に置く。エリオットは無言でそれを取り、瞳を閉じた。


「駄目だ、嬉しいと思ったら駄目なんだけど。ヴィクトリアがちょっと可愛すぎて……ついつい思い返してしまう」

「あー、やっぱりヴィクトリア嬢関係ですね。理解しました」


 はいはい、と言いつつリュカは次に紅茶を淹れる。とぽとぽとカップに注ぐと、それをエリオットの前に置いた。

 今日のエリオットはどこか上の空である。執務を始めても、すぐに手が止まり、顔が緩んでしまうのだ。


 それは、昨日の昼食のとき、ヴィクトリアが初めてエリオットに対する執着の片鱗を表してくれたからである。

 昨日のヴィクトリアはとても可愛かった。彼女がエリオットの愛を確かめようとするなど、今まで一度もなかったことだ。あくまで彼女は政略的に決められた婚約者としての態度を崩さなかったのだ。


 エリオットとクリステルの仲を勘繰るような噂が出ていることは分かっていた。一番誤解されたくないヴィクトリアに対しては直接会った上でしっかり否定しておいたが、それでも尚、不安を持っているのかもしれない。


 エリオットはリュカの淹れたカップを手に持ち、机から絵を取り出す。それを見たリュカはぎょっとして主人を見た。


「ちょっとエリオット様。これ、また新しいのじゃないですか」

「ヴィクトリアがドレスを着た絵だ。制服はこの前書いて貰ったからな」

「精霊術師に一体何をさせてるんですか……」

「言っておくけど、彼女もめちゃくちゃ楽しんでるんだぞ。次のアイデアを寄こせと私に言ってくるほどだ」

「いやー、聞けば聞くほど、変な人ですね」


 噂で囁かれている通り、エリオットはカリエ夫人によるクリステルのマナー教育の後、必ず彼女の元へ訪れている。

 それは、彼女が描いたヴィクトリアの絵を貰うことと、彼女の前世の話を聞くためだった。



 時は最初のマナー教育の後、クリステルの様子を見に行った日にさかのぼる。オーレリアの話が終わったとき、ふとエリオットは学園で拾ったヴィクトリアの絵のことを思い出した。

 エリオットと思われる青年と、明らかにヴィクトリアと思われる女性の絵。あの絵について、ずっと詳細を確かめたいと思っていたのだ。


「そういえば、君はなぜヴィクトリアの絵を持っていたんだ?」


 クリステルは思いがけない質問に、思わず目を見開いて、カリエ夫人に視線を配った。彼女には聞かれたくない話題なのだろう。エリオットはカリエ夫人に下がるように告げる。


 クリステルは夫人が部屋から出たのを確認した後、恐る恐る声を出した。


「もしかして、殿下があれをお持ちでいらっしゃるのですか」

「うん。持っているよ。とても素晴らしいヴィクトリアの絵だったから、毎日眺めている」


 クリステルは顔を真っ赤にして、口をはくはくと動かした。


「そ、その。お返しいただけますか。ずっと探していたのです」

「良いよ、そのつもりだったし。でもタダとは言わないよね」


 エリオットはカップに口をつけながら言った。想定外の回答にクリステルは驚いてしまう。


「いやいや、何でですか。元々私のですよ!」


 愕然とした様子で言いつのるクリステルに、エリオットはにやりと微笑んだ。


「拾った時点で私のものだ。しかもあれは私の婚約者の絵である上に、私も気に入っている。どうしても返してほしければ、あの絵を書いた人物を教えてくれるかな」


 クリステルは気まずそうに口を閉じた。答えることをためらう人物らしい。

 エリオットは手を組んでクリステルに向き直った。


「安心するといい。その者に危害を加えるつもりはない。ただ、なぜヴィクトリアの絵を書いたのかを聞きたいのと、もっとヴィクトリアの絵を描いてほしいと思ったからだ」

「本当ですか……?」

「あぁ」


 視線をうろうろと彷徨わせて、最終的に瞳を閉じると、クリステルはぽつりとつぶやいた。


「私です」

「ん?」

「だから、あの絵を描いたのは私です。ヴィクトリア様をお慕いしていて、その思いが高じてあの絵を描いたのです。でも、ヴィクトリア様に知られたら気味が悪いと思われるに違いありません。お願いします。ヴィクトリア様には言わないでください……!」


 クリステルはエリオットに懇願した。あの日、学園の中庭で土まみれになりながら探していたのも、ヴィクトリアの絵だったという。


 あの絵はお世辞抜きで素晴らしい出来だった。まさかクリステルが描いたとは思わなかった。どうやら彼女には絵の才能があるらしい。精霊の加護を貰わなかったとしても、絵で食べていけたのでは、とまでエリオットは思った。

 彼女へ目線を向けると、その顔は蒼褪めている。ヴィクトリアは恐らく勝手に自分の絵を描かれていた程度で彼女を軽蔑するようなことはないだろうが、クリステルは僅かでもその可能性があるならば避けたいのだろう。


「いいよ。あの絵は返すし、ヴィクトリアにも黙っておいてあげよう」


 クリステルはぱっと顔を上げた。その顔には安堵の色が浮かんでいる。


「その代わり、またヴィクトリアの絵を描いてくれるか? それを買わせてくれ」

「買う?」

「あぁ。もちろん、ちゃんと対価を払う。無償で書けだなんて言わない。またあの表情のヴィクトリアの絵を描いてほしいんだ」


 あの絵のヴィクトリアの表情はエリオットにとってとても魅力的に映った。彼女は基本的に無表情だが、ふとした時にはにかむような顔をする。それを的確に描写していたのだ。

 クリステルを見ると、彼女は満面の笑みを浮かべていた。


「嬉しいです。めちゃくちゃ嬉しいです! 実はヴィクトリア様の絵は沢山書いていて、一人で楽しんでいたので。いや、殿下は同担拒否だと思ってましたよ。わざわざ課金を申し出るなんて、やっぱりガチ恋勢は本気度が違います! いや本当に嬉しい……やっぱ推しのことって語り合いたいですもん! ヴィクトリア様がたまに見せるはにかみ笑顔、本っ当に寿命伸びますよね!」

「う、うん……」


 クリステルの反応に若干面食らいながら、エリオットは相槌を打った。


(ドウタンキョヒってなんだ? ガチゴイゼイ?)


 彼女はそれからも口を挟めない速度でヴィクトリアの良さを語り続けた。まぁ悪い意味ではないのだろうと思い、エリオットは彼女の言葉については深く考えないことにした。


 “渡り人”の件についても、彼女にはいくつか確認すべきことがあった。


 彼女が持つ別人の記憶についてエリオットが探りを入れると、拍子抜けするほど簡単に答えてくれた。これまでの記録を紐解く限り、渡り人たちは前世について口が堅い人物が多かったらしいが、クリステルはその限りではなかったらしい。


「今までも日本人がいたんですか! あ、今はいないんですね。そうですか、残念です」


 よくよく聞いてみると、彼女は前世の記憶について鮮明には覚えていないという。

 ただ、彼女曰く“沼にはまっていた”——恐らく夢中になっていた、という文脈だ——マンガと呼ばれる本があり、その作品については幼い頃から忘れないように書き付けていたため、ほぼ正確に思い出せるらしい。そのほかのことについては、曖昧だと言った。


(なんで物語を忘れないように? 本当に意味不明だ)


 普通、もっと覚えておくべきことが他にあるだろうと言いたくなったが、ぐっと自分を抑える。

 エリオットは何度かその“物語”について聞き取ろうと試みたが、彼女は“物語”の内容を話すことを躊躇っているように見えた。忘れたくないほどに大切なものだが、他人とは共有したくないのかもしれない。彼女の個人的な嗜好なのであろうし、それ以上深入りはしないことにした。


 話を聞くにつれ、前の彼女が若くして死んだこともあり、クリステルは医療や農業、建設といった専門的な知識などは一切持ち合わせていないことが分かった。


「九九とか、そんなのは分かりますけど、私前世で特別賢くもなかったですし、働いた経験もないですし、料理もレシピ見ないとできないです。何か詳しいこと? いや、ないですね。だって私、本当にその辺にいるただの女でしたよ。前世の知識でお役に立てることは特にないんじゃないですかね」


 彼女が言うには、わが国は過去の渡り人の功績で、町は綺麗で料理も発展している。特に改善できそうなことは思いつかないらしい。気になるところはあるものの、もっと賢くて経験豊富な人じゃないと無理ですね、などと言うので、彼女が気になるというのは恐らく社会構造全般に関わる部分なのだろう。



 マナー教育の度に絵を貰い、彼女の前世の話を聞く。それをルシアンに報告する。

 そのようなことを繰り返すうちに、エリオットとクリステルがただならぬ関係だという話が出始めた。


(精霊の乙女だと? なんだそれは。誰が言い出したんだ)


 クリステルに会うときは、もちろん二人きりではない。部屋には必ずメイドや側近が控えているし、扉だって閉め切っていない。机を挟んで向かい合って座り、それ以上近付いていない。

 しかしこれ以上不愉快な噂が広まるのは避けたい。彼女の前世についても聞くべきことは殆ど聞き取った。惜しむらくはもっと色々と絵を書いてほしいところだったが、この絵を最後にして、もうクリステルの元へ訪れることは辞めようと考えていた。




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