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遠い家

作者: ガンダム

「それでは皆さん、身体に気をつけて。行ってきます。」

私が言うと母が苦笑しながら

「それはこちらの言うセリフよ。元気でね。いってらっしゃい。」

と言った。実家を出て、真夏の夜道をてくてく駅へ向かう。とある日曜日の夜、道は空いていた。当時私は東北地方の福島県の大学に通っており、その晩帰る予定になっていた。正確に言えば、実家の家族にはその夜帰る旨を告げていた。その翌日の午後にどうしても休めない講義がある為である。昼過ぎから開始される講義である。しかし私は本来の方角と真逆の方向へ進む電車に乗った。勿論乗り間違いなどではない。私の足は某麻雀屋に向かっていた。その店は街の外れの方にあり、辺りは暗く静まり返っているが、店内は相当混み合っていた。既にメンツは皆揃っており、挨拶もそこそこに闘牌が開始された。その時の勝負についてはよく覚えていない。歴史的大勝を果たした、という記憶もなければ、歴史的大敗を喫したという屈辱感もない。ただ真夏であるにも関わらず、クーラーが壊れた暑い店内で友人との久しぶりの勝負に熱中していただけだ。

翌朝早く友人達と別れた私は、早朝の東北新幹線に乗り込んだ。まだ時間的には余裕がある為、普通電車でのろのろと帰る予定であったが、あまりに身体がだるかったので、大学に出向く前に福島県の自宅で一休みしたかった。その新幹線に乗る余裕があったということは、勝負には勝てたのかもしれなかった。上野駅から乗る山形新幹線の車窓から見える朝陽は綺麗で吉日を思わせた。乗って良かったと思えた瞬間であった。だが次の瞬間、誰かに肩を叩かれた。

「お客さん、終点ですよ。」

「シュウテン?」

見れば山形駅に到着している。私が下車すべき福島駅を通り過ぎてしまったようだ。

「あの、すみません。」

私は車掌に声をかけた。

「福島駅で下車するつもりが・・寝すごしてしまったんですが。」

「切符を拝見します。」

車掌は事務的に言うと誤乗、というスタンプを切符に押し私に返してきた。

「山形駅なんて初めて来たな。まぁ、こういう機会でもないと来ないしな。本当は改札の外に出たいけど、切符が福島までだからな。」

そんなことを思いながら上りの上野行きの新幹線の発車を待つ。まだ講義まで時間はあるし、新幹線に2回も乗れるとはラッキーである。次の瞬間目を開けると車窓には都会の景色が広がる。熟睡した感じに嫌な予感が脳を掠める。終点の上野駅到着を告げるアナウンスが軽やかな音楽と共に車内に鳴り響く。

上野駅に舞い戻ってきた私は、その十分後盛岡駅行きの東北新幹線の乗り場にいた。山形新幹線だからダメなんだ、今日の山形新幹線には運がないのだ。そう自分に言い聞かせた。やや緊張しながら新幹線に三度乗り込む。ただそんな緊張を解きほぐしてくれるかのように車内は快適であった。

少し時間が経ったようだ。気が付くと車内には誰もいない。電車が発車する様子もない。外を見るとそこは盛岡駅だった。いつになったら帰れるのだ。狸に化かされているような気すらする。私はまたもや上りの今度は東北新幹線に乗り込む。無事に福島駅に辿り着けますように、という願いも空しく、気付けばまた上野駅であった。

それからまた私は一番早く発車する山形新幹線に乗る。本日3回目の山形新幹線であり、5回目の新幹線だ。後々振り返ってみても、これだけ新幹線に乗ったのは最初で最後である。運がいいのか悪いのか分からぬ。しかもいずれの回も途中経過は夢の中である。この3回目の山形新幹線は、あの美しい朝陽以外は1回目のデジャブであった。発車した次の瞬間同じ車掌に起こされる。

「また・・・寝すごしですか。」

「はい、すみません。」

「今度こそ、しっかり福島駅に辿り着いて下さいね。」

車掌とのこのようなやり取り以外には記憶がない、ということはおそらく特別料金が発生したり、駅員室などで注意を受けたり、といったことはなかったのであろう。その車掌の呆れたような表情だけは今でも鮮明に記憶に残っている。その後、本日4回目の上野行きの山形新幹線に乗る。次の瞬間目を覚ますと、奇跡的に福島駅に停車している最中であった。

ようやく帰ってきた。安堵のため息をつく。その頃には既に大学の講義のことは頭から抜けていた。既に講義は終了している時間である。ただ私には講義に出席出来なかったショックよりも無事に帰郷出来た喜びの方が上回った。あとは自宅に戻ってから布団の中でゆっくり寝ることにしよう。ちなみに当時私の自宅の最寄りは福島駅から一駅の南福島駅であった。まだ発車まで15分程あったが座りたい一心で地方のローカル線に乗る。ここで私は再び睡魔に襲われる。次の瞬間気が付くと栃木県の黒磯駅まで運ばれていた。私の心の中は絶望感でいっぱいになった。今朝見たあの綺麗な朝陽は何だったのだろう。

悪夢の前兆か。福島方面の電車に乗り換えながらそんなことを考えた。覚悟は出来ていた。嫌な予感はしていたのだった。その電車の行き先を確認したときに。次の瞬間、私はその電車の終着駅である杜の都・仙台にいた。その頃には、今日中に自宅に無事に辿り着くことが出来るのか、些か不安になる私がいた。

福島方面の電車の乗り場に急ぐ。次に発車予定の電車はちょうど福島行きだった。おあつらえ向きだ。これで寝すごすことはない。福島駅に到着した際、まだ不安があれば駅から歩いて帰ろう。やや遠いが30分もかからないだろう。

比較的安心感をもって乗車出来た私に新たな苦痛が待ち受けていた。全身の痒みである。かゆくて仕方がない状況が続く。今度はとても寝られそうになかった。既に窓の外は真っ暗な状況で、福島駅到着までの1時間半ひたすら痒みとの闘いである。福島に到着した時にも痒みは治まらない。ようやく自宅に帰還した喜びも痒みにかき消されてしまった。待望の自宅に戻り入浴の準備をする。気になったので衣服を脱いだ裸の身体を鏡で見て驚愕した。ほぼ全身に渡って湿疹ができていたのであった。その夜は痒みのせいであまり寝付けずにいた。車内で寝過ぎたというのもあるかもしれない。いずれにしても綺麗な朝陽から始まった一日は、目的地に辿り着けず、大学の講義にも出られず、挙げ句の果てに体調不良にまでなるという最悪な状況で幕を閉じた。

翌日の最初の仕事は病院に行くことであった。医師に言われる。

「ダニに刺されましたね。いや、しかしたくさん刺されましたね。何か覚えはあります?」

さすがに、クーラーの壊れた雀荘で友人と徹夜麻雀をしていた、とは言えず知人宅で夜通し勉強に明け暮れていたことにしたのだった。

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