1559年8月 郡上郡騒動
永禄二年(1559年)八月 美濃国鶴尾山城
永禄二年八月十四日。美濃国郡上郡にある鶴尾山城に軍勢が集結していた。この城の主・遠藤盛数が東常慶を攻撃するため領内の兵に出陣準備を整えさせていたのだ。
「秀重殿、直純殿。此度は援助いただき誠にかたじけない。」
その鶴尾山城内にて、盛数はその場に来ていた堀秀重と奥田直純に対して援助の礼を述べた。この両名は織田信隆が美濃に逃げ延びてから召し抱えられた家臣で、信隆の意向を受けてこの鶴尾山上に来ていた。
「ははっ。此度は討たれた兄の敵討ち。是非とも仇敵の東親子を討ち取られなさいませ。」
「ふっ、言われずとも、敵討ちはさせてもらうわ。」
秀重の言葉を聞いた盛数はそれを鼻で笑い、同時に常慶への敵対心を更に燃やした。
この挙兵の数日前、盛数の兄で木越城の城主でもあった遠藤胤縁が何者かに討ち取られ、その報告を聞いた盛数はこの犯行は東常慶・東常堯親子の陰謀だと断定し、挙兵の手はずを整えていたのだ。
「既に飛騨の三木良頼殿からの援軍も得ておる。この戦、万に一つも負けるはずがあるまい。」
盛数がそう言うと、そこに側近が現れてこう言った。
「殿、既に出陣の手はずが整いましたぞ!」
「よし!全軍出陣!目標は東殿山城じゃ!」
盛数は目の前にそろった足軽たちに目標を伝達すると、その言葉を聞いて盛数配下の足軽たちは威勢を上げ、やがて馬に跨った盛数を先頭に続々と城を出ていったのだった。その後、その場に残った秀重が直純に語り掛けた。
「…直純殿、上手く行きましたな。」
「あぁ。これほど上手くいくとは思いもしなかったわい。」
直純は秀重の言葉を聞いて所感を述べると、その去っていく盛数の軍勢を見つめながらほくそ笑んだ。実は、胤縁に手を下したのは東親子ではなく、信隆の命令を受けた虚無僧たちによるものであった。秀重と直純はこれを東親子の犯行に仕立て上げ、盛数を扇動させたのだった。
「これで遠藤家が郡上郡を制し、義龍の影響下からは離れる。そうなれば、信隆様の影響力は大きくなるであろう。」
「はっ。全ては信隆様の悲願の為…にございますな。」
秀重の言葉を聞いて直純が頷くと、二人はそのまま鶴尾山城を後にした。
その後、東殿山城に攻め込んだ盛数勢は一気呵成に城を攻め落とし、東常慶・常堯親子の首を取ることに成功した。ここに郡上郡は遠藤盛数の手に落ち、盛数は即座に斎藤家からの離反を宣言したのだった。
「半兵衛、盛数が離反したとは誠か!」
その翌日、稲葉山城では盛数離反の報告を聞いた斎藤義龍が、登城して報告した竹中半兵衛に事の真偽を尋ねていた。
「はい。まさか常慶殿が負けるとは…」
「聞けば、飛騨の三木が盛数に助勢したというではないか。半兵衛、このまま盛数を放っておけば更なる離反を招きかねん!」
その義龍の言葉を聞いた半兵衛は、義龍に対してある事を進言した。
「…こうなれば、尾張の秀高殿に援軍を催促しては?今この状況は敵に攻撃を受けている状況に等しい。尾濃同盟の項目にも沿う事なれば、秀高殿も快く応じてくださるでしょう。」
その半兵衛の意見を聞いた義龍は頷いて納得すると、すぐさまその場にいた不破光治にこう指示した。
「よし、光治!坪内利定を経由し、すぐさま援軍催促の書状を秀高に送れ!」
「ははっ!」
この義龍の指示を聞いた光治はすぐさま右筆に命じて秀高宛の書状を書き留め、それを書き終えると利定へとその書状を送ったのだった。
美濃よりの火急の報せは、それから数日後の十七日に那古野に届けられ、早馬は那古野城の大手門に着くと、馬を降りて中に入り、秀高のいる書斎に飛び込んできた。
「殿!国境の利定殿より書状にございます!」
「利定から?見せてくれ。」
秀高の言葉を受け取った早馬は、懐に納めてあった書状を取り出すと、それを秀高に差し出した。秀高はそれを受け取って書状の内容を見ると、秀高はその内容を見て愕然とした。
「義秀、美濃で騒動が起きそうだ。」
「何?騒動が?」
その秀高の言葉を聞いたのは、その書斎にいた大高義秀と、同じく書斎に来ていた華、そして坂井政尚の三人が、一緒に固まって秀高から手渡された書状を見た。
「ヒデくん、やはり美濃で戦が起きたのね。」
「はい。遠藤盛数が挙兵して東親子を討ち、郡上郡を掌握したようです。それを受けて義龍殿からの書状には、速やかな援軍を求めて来ています。」
秀高が華に書状の末尾に書かれてあった要請を伝えると、その言葉を聞いて義秀が驚いた。
「援軍ったって、この前可成のじいさんに堤防修繕の為に足軽を分け与えたばかりじゃねぇか!どこにそんな余力があるんだ!?」
すると、秀高は義秀の言葉を受け止めた上で、自身の目論見から来る計算を義秀に伝えた。
「…一応兵は出せなくもない。那古野の足軽千と犬山の足軽千、それに鳴海の足軽千を使えば、三千の軍勢を動かすことが出来る。駿河はまだ戦を起こせそうもない。援軍ならば派遣は出来るさ。」
すると、その秀高の目論見を聞いた義秀は、ある事を決意して秀高にこう言った。
「そのつもりなら、俺が援軍の大将を務めよう。戦がなくて腕がなまっていたんだ。この俺が援軍に向かうぜ。」
義秀の意気込みを聞いた秀高はそれに頷くと、義秀にこう指示した。
「分かった。お前が行ってくれれば義龍殿も心強いだろう。お前を大将とし、副将に華さんと政尚、それに高政も付ける。三千の兵を率いて美濃に援軍に向かってくれ。」
「よっしゃ!その命令引き受けたぜ!直ぐにでも戦支度と兵の参集を始めるぜ。」
義秀はそう言うと、すぐさま戦支度を始めるためにその場を去っていった。あまりにも素早い行動に困惑した秀高であったが、その様子を見て妻でもある華が秀高にこう言った。
「ヒデくん、心配しないで。ヨシくんのことは私と政尚さんで見張っておくわ。」
「殿、美濃は拙者の故郷にございます。義秀殿の補佐ならばお任せくださいませ。」
「あぁ。二人とも頼むぞ。」
その秀高の言葉を聞いた二人は、義秀の後を追う様にその場を後にしていた。こうして義秀率いる軍勢三千は、同盟の約束を履行するべく、美濃郡上郡に向けて進軍を開始していったのであった。
「秀重、直純。ご苦労でした。」
一方、東美濃の岩村城では、盛数の元より帰還してきた秀重と直純を、主君である信隆が岩村城内の一室でねぎらいの言葉をかけていた。
「はっ。ご命令通り盛数は見事、東親子を討ち取って郡上郡を手中に収めました。」
「これで殿のお味方も一人増えたというわけですな。」
「…いえ、そうではありません。」
と、秀重と直純の言葉を受けて信隆が放った一言を聞いて、その場の空気が凍り付くように静かになった。
「殿…それはどういう訳にございますか?」
その真意を確かめるべく、傍にいた前田利家が信隆に尋ねると、信隆はその場にいた一同に向かって自分の真意を語った。
「この挙兵は言わば陽動。本当の目的は義龍と秀高の同盟が本物であるかどうかを確かめるための方便です。もし援軍を寄こしてくれば同盟は本物であり、援軍が来なければ単なる口約束でしかない、ただの紙切れになります。」
そう言うと信隆は立ち上がり、その一室の中にある戸棚に置いてあった箱を取り出すと、その箱を一同の前に持ってきて、蓋を開けて中身を一同に見せた。
「見なさい。この書状はすべて、義龍に反感を持つ旧道三様配下の豪族・城主たちからの書状です。彼らにはすでに、尾張からの援軍がない場合はすぐさま決起し、我らと共に稲葉山城を攻め落とす確約を取り付けてあります。」
信隆は一同に向かってそう言うと、秀重らはその中身の書状の一つ一つを手に取って確かめるように見つめた。その書状というのは十枚程度あったが、いずれも送り主は中濃地域の豪族・城主たちが殆どで、代表格に加治田城主の佐藤忠能の名前もあった。
「…言うなれば、この一件での秀高の去就次第で、美濃の命運が決まるというものです。」
「信隆様は、どうなるとお思いで?」
信隆の傍にいて話を最後まで聞いていた利家の尋ねに対し、信隆は眉をひそめてこう言った。
「…十中八九、秀高は援軍を送ってくるでしょう。ですが秀高は、この工作を細部までは知らないはずです。今回の挙兵は、この工作を偽装する目的もあるのです。」
信隆はそう言うと、その一室の外に広がる庭先の風景を見つめながらこうポツリと漏らした。
「私たちは着実に、美濃を絡めとる算段を立てる。かつて秀高が、尾張侵攻の際にそうしたように…」
信隆の言葉を聞いて利家はその箱の中身の書状を見つめた。信隆の心情を窺い知る発言を聞いた上で、利家は秀高への対抗意識を燃やす、信隆の執念を感じ取ったのだった。