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1559年8月 民の要望



永禄二年(1559年)八月 尾張国内(おわりこくない)




 斎藤義龍(さいとうよしたつ)との間に尾濃同盟と呼ばれる軍事同盟が締結されてから三か月が経った八月某日、高秀高(こうのひでたか)は少数の家来を引き連れて領内の巡検に出かけていた。


「おぉ、殿様!」


 この日、那古野(なごや)から少し離れた小牧山(こまきやま)近辺の農村に近づいた時、沿道沿いの田畑で農作業を行っていた農民たちが、馬に乗って進む秀高の姿を見るや、その姿を見て喜んで話しかけてきた。すると、秀高はその声にこたえるように、馬の脚を止めさせてその場で下馬した。


「皆、ご苦労。田んぼの方はどうだ?」


「へぇ、殿さまのお陰で人手が足りてるお陰で、このように立派に稲も成長が進んでいるだよ。」


 農民たちが手を出す方向を秀高が見ると、その先の一面には水田の中に規律良く植えられている稲から出穂が始まり、秋に向けて中干しなどの水管理を行っている最中であったが、秀高は近くにあった稲から出ている穂を手に取って見て、その穂の実り具合を見て頷いた。


「確かに…一時はどうなるかと思ったが、これだけ成長すれば収穫は平常通りの量を見込めるな。」


「へぇ。だけど問題はこれからですだ。時期的に台風も来るかもしんねぇから、それまでに稲の成長をしっかりしておかなきゃなんねぇだよ。」


 農民のその言葉を聞いて、秀高は深く頷いて考えこんだ。この時期、即ち八月というのは台風が来る時期でもあり、もし台風などの災害が起これば、それだけで凶作の事態になりかねない懸念事項となっているのだ。


「…可成(よしなり)、この尾張は川がたくさん流れている。流域の村々の防災の方はどのくらい備えがある?」


 と、秀高はこの巡検に同行していた森可成(もりよしなり)に話を振った。


「はっ。かつての織田家(おだけ)統治の時代にて、清洲(きよす)の近くを流れる五条川(ごじょうがわ)、並びにこの近くを流れる庄内川(しょうないがわ)の川沿いにある村々を守るために堤防が築かれたことがありましたが、今ではその堤防も浸食がすすみ、堤防の機能を果たしておりません。」


 可成から聞いたその情報を聞いて秀高は苦い顔をした。その可成が補足で足した情報によれば、堤防が築かれたのは今から三十年ほど前のことで、その間に起きた戦や水害の影響で堤防が荒らされてところどころに穴が開いているというのだ。


「…それじゃあ、もし洪水なんかが起きれば、その辺りはひとたまりもないだろうな。」


「はっ…更に川よりも低い土地もある故、損害はさらに大きくなるでしょう。」


 すると、その可成と秀高の会話を聞いた上で、巡検に同行していた大高義秀(だいこうよしひで)が可成に意見した。


「じゃあ、早いとこ手を打たなきゃなんねぇじゃねぇか。」


「…だからと言って、直ぐに堤防の修繕は出来ぬ。もし全ての修繕を行うのであれば人足は四千、期間はおよそ半年かかる。とても台風が来る前には間に合うまい。」


 すると、その可成に対して秀高がある事を思いついてこう言った。


「全てじゃなくてもいい。被害が大きくなる場所の修繕だけでも構わない。可成、現状で最大の被害が見込まれる場所はどこだ?」


「然らば…萱津(かやつ)の辺りにございましょうか。あの辺りは農村が多く、田畑も広くありまする。それと同時に人口も多くいるため、被害が大きいのはここかと思われます。」


 すると、その可成の意見を聞いた上で秀高はすぐにある命令を下した。


「ならば、その萱津近郊の堤防だけでも修繕してくれ。人足と期間はどのくらいになる?」


「されば…萱津だけになりますと人足は五百。早ければ今月中には終わりましょう。」


「それで良い。可成、お前を奉行として任命し、直ぐにでも修繕にかかってくれ。人足は那古野に留まっている足軽たちを連れて行くといい。」


 その秀高の迅速な指図を聞いた可成は、直ぐに返事をした。


「ははっ。然らばすぐにでも取り掛かりまする。」


 そう言うと可成は一人馬に跨ると、那古野へと馬を走らせてその場を去っていった。その光景を見ていた農民たちは、秀高の迅速な行動に感嘆していた。


「はぇぇ、さすがは殿さまだで。」


「そうか?少しでも不安材料を減らして、お前たちの生活を良くしたいだけさ。」


 すると、その中の一人の農民が秀高にこう言った。


「いんやぁ、その心配りだけでも嬉しいですだ。殿さまは稀にみる英主ですだ!」


「…ありがとう。お世辞だとしても嬉しいよ。」


 秀高はその祝辞を受けた後、農民たちに向かってこう尋ねた。


「そうだ、他に何か意見したいことでもあるか?」


「それだったら…この農村にも水路を引いて欲しいだよ。今は雨や細い川なんかで水を回してるだけど、水路があれば水の心配なく稲を植えられるだ。」


 農民から言われたその意見を聞いて、秀高は改めて水路の必要性を感じた。今の状況では農民たちは天候に頼らざるを得なくなり、安定的な水の供給が出来ていない事でもあった。


「分かった。その事については早いうちにも灌漑を行うよう取り計らおう。もしそれが出来れば、農村の水問題に頭を悩ませなくても済むからな。」


「ありがてぇ。その時を待っているだよ。」


 農民たちは秀高からその言葉を受け取ると、皆一様に頭を下げて感謝の意を示し、秀高の言葉を信じるようにその純粋な目から出る視線を秀高に送っていた。




「なるほど、水路でござるか…」


 それから数日後、那古野城の書斎にて、秀高は居並ぶ重臣たちに対して農民から寄せられた要望である灌漑の一件を諮ると、それを受けて山口盛政(やまぐちもりまさ)が言葉を発した。


「あぁ。言わば灌漑を行ってくれという事なんだが…みんなの忌憚のない意見を聞きたい。」


 すると、その席に同伴していた月番家老の佐治為景(さじためかげ)が秀高にこう意見した。


「畏れながら、一口に灌漑と言ってもその道のりは険しゅうございます。」


「どうしてだ?」


 と、秀高にその理由を尋ねられた為景は、秀高の方を向きなおすとその理由を述べた。


「最も難解を極めるのは、川からの灌漑を引く道のりにございます。川から流れる水の流れを試算しながら水路を引くため、一たび丘に向かって水路を引くことは出来ませぬ。そうすれば、丘にある村々への水の供給は難しくなります。」


「確かに…その段階で村々との間に格差が生じるだろうな。」


 秀高が為景の意見を聞いて頷くと、為景は言葉を続けて発した。


「灌漑をする際には川の流域を試算し、必要ならば新たな川や用水路を開削して設ける必要もありまする。またその辺りに堤防を設ける必要性もあるため、灌漑事業は国を挙げての土木事業となりまする。そう易々とは進みませぬ。」


 その為景の言葉を受けて秀高は考え込んでしまった。確かに一口に灌漑と言ってもそう簡単にできる物ではなく、その完成には長い時間が必要となる。秀高が志す「富国強兵」の道のりはまだまだ序の口である事を、秀高は思い知らされていたのだ。


「殿、よろしゅうござるか?」


 とその時、その場にいた村井貞勝(むらいさだかつ)(おもむろ)に口を開くと、秀高に向かってある事を進言した。


「実はそれがし、信長(のぶなが)殿より灌漑についての施策を纏めるように指示されており、ある程度の考えを纏めておりました。」


「なに、それは本当か!?」


 その秀高の言葉を受けると、貞勝はそれに頷いて近くに置いてあった巻物を取り出すと、秀高や居並ぶ重臣たちの前にその巻物を広げた。その巻物というのは、尾張国内に流れる大小さまざまな川の流域を書きとり、それを尾張の地図に当てはめた精巧なものであった。


「もし、この尾張に灌漑を設けるという事なれば、やはり木曽川(きそがわ)から流れを引っ張ってくるしかありますまい。この犬山城(いぬやまじょう)の西から取水を行い、小牧山を経由して庄内川(しょうないがわ)へと流れ込む用水路と、大口(おおぐち)の辺りで南南東に向けて水路を開拓し、春日井原(かすがいはら)を通して八田川(はったがわ)へと通す用水路。この二つを設ければ、尾張北部に水田を設ける事も出来ましょう。」


 実際にこの水路は存在する。秀高たちがいた元の世界では前者を木津用水(こっつようすい)・後者を新木津用水(しんこっつようすい)とも呼ぶ農業用水である。開削されたのは江戸時代の事にて、今現在の時点では存在していない水路であった。その水路の事を貞勝から聞いた秀高は、その近くにいた小高信頼(しょうこうのぶより)と顔を合わせて確かめ合うと、貞勝にこう言った。


「なるほど…よし、その思案で進めよう。貞勝、直ちにこの思案を元に灌漑計画の策定を頼む。」


「畏まりました。」


 秀高は貞勝の思案を元に水路開拓を進めることとし、貞勝を灌漑奉行に任命して細かな計画を固めるように指示した。そしてこの指示が、秀高の治める尾張を飛躍的に高める要因の一つになるのである。





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