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1559年3月 富国強兵へ



永禄二年(1559年)三月 尾張国(おわりのくに)蟹江(かにえ)




「…帰蝶(きちょう)さま、この度は斡旋していただき、本当にありがとうございました。」


 高秀高(こうのひでたか)が、尾張国内の領民に施しを与えた数日後、秀高の姿は蟹江にある帰蝶の庵にあった。秀高は家臣に加えた村井貞勝(むらいさだかつ)の斡旋の御礼を帰蝶に対して述べると、対面にて正座で座る帰蝶は優しく語り掛けた。


「いえ、お礼を言うのはこちらの方です。秀高殿はかつての織田家の家臣であっても敵視なさらず、常に重用してくれています。そのお気持ち、ありがたく思います。」


「…いえ、昔は敵であっても、今は同じ尾張を治める者同士。互いに手を取り合う事こそ、肝心なものと心得ています。」


 その秀高の言葉を聞いた帰蝶は得心して深く頷くと、そこに木下藤吉郎(きのしたとうきちろう)が襖を開けて現れ、お盆にお茶を載せながら現れた。


「秀高殿、お茶をお持ちいたしましたぞ。ささ、どうぞ。」


「藤吉郎さん、ありがとうございます。」


 秀高が差し出されたお茶を受け取り、それを口に運ぶと、それを見つめていた藤吉郎が口を開いて語りだした。


「それにしても、此度の施しの噂、早くもこの尾張に響いておりまする。曰く、「新しいお殿様は情け深いお方だ。」と。」


「…そう受け取ってくれれば、こちらも領民たちのために働き甲斐があるというものです。」


 藤吉郎の言葉に秀高が優しい口調でこう返すと、目の前の帰蝶が秀高にこう尋ねた。


「秀高殿、これからこの尾張を、どのように収めていく心づもりですか?」


「そうですね…これは私というよりは、友人たちの知識を借りる形になるとは思いますが…」


 と、秀高は前置きを言うと、その次に自身の方針を二人に次げた。


「簡単にいえば、「富国強兵(ふこくきょうへい)」です。」


「富国強兵…ですか。」


 帰蝶がその方針の下となる四字熟語を口に出すと、秀高はそれに頷いて言葉を続けた。


「はい。「国を富まし兵を強くす」…富国は米の収穫高だけではなく、金銀の流れや流通・さらに物資を生産して他国に売り、その利益を原動力にしたく思います。」


「ほう、金銭の流れまでを利用すると…」


 藤吉郎が秀高の考えを聞いて得心したのが聞こえると、秀高はそれに頷いて藤吉郎に向かってこう言った。


「はい。幸いこの尾張は津島(つしま)熱田(あつた)といった中部地方随一の流通拠点を兼ね備えており、また領内は米の他にも焼物・呉服と言った特産品も秀でております。これらの生産を奨励し、それを他国に売り捌けば、金銀の収入も安定する事でしょう。」


 すると、その考えを聞いて藤吉郎は深く頷き、しみじみと過去の事を思い返すようにこう言った。


「なるほど…某も昔、個人で針売りなどの行商を行って暮らしており申したが、その個人の商売を纏め上げ、秀高殿にもその分け前が入るとなれば、これはどこの大名家も行っておらん政策になりまするな。」


 その藤吉郎の言葉を聞いた秀高はそれに頷くと、今度は帰蝶の方を向いてこう言った。


「そしてその収入を元に足軽等の兵馬を整え、農民兵にとらわれない常備の兵を組織し、それと同時に技術開発も行って戦力の強化を行います。また国内の城割や防備の見直しを進め、国内の支配体制を構築します。これが、強兵策です。」


「農兵には頼らない…兵農分離を進めるという事ですか?」


 と、帰蝶が秀高に向かってその事を尋ねると、秀高はそれに頷いてこう言葉を返した。


「はい。今の戦は農民たちの力を借りなければならず、もし農繫期の夏ごろに戦が起きれば、働き手の農民たちを駆り出さなければならず、大事な農地の作業の手は止まり、もし死者を出してしまえばそれだけで大きな影響を与えるでしょう。そこで農民たちには農業に専念してもらい、こちらは足軽武士を登用して戦専門の軍事力を備える事こそ肝要かと思います。」


 その意見を聞いて二人は驚いた。もし、この秀高の目論見が成功すれば、この秀高の軍団は農繫期にとらわれず、自由自在に戦を起こすことが出来、また敵の侵攻に迅速に対応できるようになるのである。


「なるほど、それは実に面白い政策ですね。ですが…その足軽を揃えるにしても、今まで戦力の中枢を担ってきた豪族たちは反発するでしょうね。」


 帰蝶の言葉を聞いた秀高はそれに対して深く頷き、その場で腕組みをすると帰蝶に対してある懸念を伝えた。


「はい。それだけではなく、今の尾張の現状でこの政策を行うのであれば、尾張全ての既得権益と戦う覚悟で挑まなければなりません…」


 この秀高の言葉は、今まで語った政策に反発するであろう存在を物語っていた。即ち、自由な商売を嫌う座やその利益を得ている商人、農兵たちの供出を止められ、その影響力低下を懸念する豪族、そして未だ鳴りを潜めている尾張国内に根付く浄土真宗(じょうどしんしゅう)の宗門。これらとの戦いを、秀高は予測するかのように語っていた。


「…宜しいではありませんか。」


 と、その言葉を言ったのは、他でもない帰蝶であった。帰蝶は自身の背後にある織田信長(おだのぶなが)を祀る仏壇の方を振り向き、信長の位牌を見つめながら秀高にこう言った。


「我が殿であれば、そのような存在でも一歩も引かずに戦っていたでしょう。秀高殿、あなたが秘めている大志を実行するには、反対する者を倒していかなければならないのです。たとえそれが、何者であったとしても。」


 そう言われて秀高は初めて、自身が元の世界の人物ではなく、戦国武将の一人に変化したことに気が付いた。自身の挙動や言動には、尾張一国、ひいては皆の命がかかっており、もし間違えれば命取りになりかねない。この時秀高は初めて、その事実と向き合ったのである。


「…そうか、俺は戦国大名だったんだな。まだ心のどこかで、元の世界の事が残っていた…。」


 秀高は帰蝶に諭されて、俯きながら呟くようにこう言うと、迷いを断ち切るように顔を上げ、目の前の帰蝶に向かってこう言った。


「分かりました。全てはこの尾張の…みんなのため。もしあらがう者がいれば、正々堂々と戦います。」


 すると、帰蝶はその言葉に対して優しく微笑みながら頷き、秀高に対してこう声をかけた。


「…秀高殿、今後苦慮した時には、またここにきて、その悩みを払ってください。」


「ありがとうございます。帰蝶さま。藤吉郎さんも、また何かあったら来ます。」


「またいつでも来てくだされ。お待ち申しておりますぞ。」


 秀高は帰蝶や藤吉郎からその言葉を受け取ると、帰蝶に促されて仏壇に向かい、手を合わせて信長の位牌に対して祈りをささげたのだった。こうして秀高はその庵を去り、居城の那古野城(なごやじょう)に帰っていったのである。




 それからしばらく後の三月二十二日。那古野城の周囲の家臣団屋敷建設もおおむね終わり、秀高は那古野城の本丸館の評定の間に、大高義秀(だいこうよしひで)小高信頼(おだかのぶより)、それに月番家老の三浦継意(みうらつぐおき)森可成(もりよしなり)を呼び寄せて評定を開いた。


「皆よく来てくれた。今日呼び寄せたのは他でもない。ある事への意見を貰いたくて呼んだんだ。」


「ある事…とは?」


 その秀高の言葉を下座に控える継意が、尋ね返すように秀高に返した。


「あぁ。この高家の主力は農民たち農兵がほとんどだ。だが今年は戦の影響で収穫高の減少が見込まれ、同時に戦で焼かれた村々の復興もなかなか進んでいない。そこで、この農兵たちの軍役を二年間免除させ、その二年間を使って農村の作業に従事させたいと思う。」


「なるほど…農兵の役目を一旦解くというわけですな。」


 可成が秀高の考えを聞いてこう言うと、秀高は可成の意見に頷いて返し、更に言葉を続けた。


「それと同時にこの農兵たちを駆使し、流民が帰ってこない農村にも派遣して今年の収穫減少を抑え込みたいと思うが、皆の意見はどうだろうか?」


 すると、その意見を聞いて家臣たちを代表して、継意が秀高に向かってこう進言した。


「殿、良き策かと思われます。美濃(みの)斎藤義龍(さいとうよしたつ)とは仲は良好。駿河(するが)今川氏真(いまがわうじざね)は依然領内の混乱が収まらずに身動きが取れない状況。伊勢長島(いせながしま)とは不可侵を取り付けておりまする。その状況ならば、ここで農兵たちの軍役を解くのも、宜しいかと存じまする。」


 すると、秀高は継意の意見に頷くと、そこにいた家臣たちに向かってこう言った。


「何も全ての兵を返すわけじゃない。この那古野に住まう足軽武士の二千五百。これだけは残しておき、万が一の備えにする。これならば国力を回復させ、また同時に増強させる余力も生まれるだろう。」


「いい考えじゃねぇか。秀高、俺は賛成するぜ。」


 その、秀高の考えを聞いて義秀が秀高へ、賛同するようにこう言うと、秀高はそれに頷いた。また、その義秀にいた信頼も、秀高に向かってこう言った。


「秀高、僕もその意見に賛成するよ。この戦が終わってまだ日が浅い状況では、こちらが戦を行わないと約束すれば、農民たちも安心して農事に取り組めるからね。」


「某も信頼と同意見でござる。殿、農民たちの力がなくとも、我ら残った兵たちは屈強な猛者揃い。たとえ今川が攻めてきても、太刀打ちする事は出来ましょう。」


 信頼に続いて申した可成の意見を聞いた秀高は、その意見に対して頷くと、その席上にいた義秀ら家臣たちに向かってこう言った。


「よし、ならばこれより農兵たちに軍役を免除する旨を布告する!皆、この布告を尾張全土に届けてくれ!」


「ははーっ!!」


 その秀高の命令を、継意や義秀ら家臣たちは一斉に頭を下げ、その命令に従うことを秀高に示したのだった。




 この秀高の号令によって、農兵たちは軍役を免除され、代わりに自身の出生の村や、戦で被害を受けた村での農事を推奨された。この布告は農民上がりの農兵たちにとっては嬉しい申し出であり、また村々の農民たちは戦の心配なく、安心して農事に取り組む事が出来たのである。


 その結果、収穫高の減少が見込まれていた尾張国内は、村々のいたるところで田植えが着々と進み、また施しによって帰ってきた農民たちもこれに加わって、農村の風景は戦以前の状況に戻っていったのである。





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