1559年1月 凱旋の道
永禄二年(1559年)一月 尾張国清洲城
「お帰り。聞いたわよ。信隆には逃げられたんですってね。」
翌日、高秀高指揮する三千の軍勢が勝幡城を落として、尾張侵攻の軍勢の大半が逗留する清洲城に着くと、その場に留まっていた静姫が出迎えに出てきて、馬を降りた秀高に話しかけた。
「あぁ。でも高山幻道は討ち取ることが出来た。これでこの尾張は俺たちの国になった。今後は内政を行い、国力の回復に努める番だ。」
「そうね。概ねの敵は排除できたようだし、これでようやく戦も終わりになるわね。」
「殿、殿!ここにおられましたか!」
と、そこに佐治為景が息子の佐治為興と共に秀高を出迎えて声をかけてきた。
「あぁ、為景。どうかしたのか?」
「先ほど、土豪の蜂須賀正利・正勝父子をはじめ尾張北西部の国人衆が謁見に参られ、その者達が美濃の斎藤義龍の書状を持ってまいりました!」
「何だと…すぐに行く!」
と、秀高は為景と共に、大高義秀たちを連れて焼け残った清州城の本丸御殿に入った。その中の評定の間に入ると、そこに数名の者達が頭を下げて待っていた。
「…待たせたな。面を上げよ。」
その評定の間の上座に秀高が腰を下ろし、頭を下げていた者達に頭を上げるように促すと、その者達は神妙に頭を上げ、秀高と顔を合わせた。
「お初にお目にかかります。尾張蜂須賀城城主、蜂須賀小六正利と申しまする。」
「同じく!蜂須賀正利が一子、蜂須賀小六正勝にございまする!」
「尾張松倉城主・坪内利定と申しまする。」
「その兄、前野長康にございます。」
と、これら正利らの名乗りを受けた秀高は、その名乗りが終わると正利たちに向けて話しかけた。
「今日はよく来てくれた。用向きは美濃からの書状を受け取ったと聞くが?」
「ははっ、その前に秀高様に対し、我ら一同よりお願いがございます。どうか、我ら一同を家臣の末席にお加えいただけないでしょうか?」
「何、家臣の末席にだと?」
その唐突な願い出に、秀高は驚いた。確かに正勝ら国衆が家臣に加わってくれればより大きな味方を得ることになるが、同時にその真意を測りかねていたのである。
「正利、その申し出はありがたいが、いったいどうしてそう言う話になったんだ?」
「実は我ら一同、秀高様の尾張侵攻の最中に話し合い、これより先に尾張を収める秀高様に従ってこそ、この尾張の平和につながると思い恭順を決めました。その際に反対して織田家に殉じた生駒屋敷の生駒家長・生駒親正を討ち取り、我らこれを恭順の証としたく持ってまいりました。」
と、正利は自身の後ろにおいてあった首桶二つを秀高の前に出した。その首桶には札が付いており、それぞれ「生駒家長」、「生駒親正」と書かれていた。
「…誰か、この首を検めてくれるか?」
「では、某が行いましょう。生駒殿とは顔見知りの中でございました。謹んで拝見仕る。」
と、脇にて控えていた森可成が名乗りを挙げ、首桶に使づいて上蓋を取った。そしてその中の顔を見ると、蓋を閉めて秀高に言った。
「…確認いたしました。確かに生駒殿に間違いございませぬ。」
「そうか。ご苦労だった。」
秀高は可成にこう声をかけ、脇に戻させると正利たちに向かってこう言った。
「分かった。ならばお前たちをこの高家の家臣として召し抱えよう。領地や知行については後々報告するので、暫く待っていてくれ。」
「ははっ!しかと承りました。」
正利は秀高よりの言葉を受け取ると、利定に視線を向けて目配せをした。すると利定が懐より書状を取り出し、それを取次の小高信頼に手渡した。
「殿、今利定殿が手渡ししたのが、美濃の斎藤義龍殿よりの親書にございます。」
秀高に対して正利がこう言うと、秀高は信頼からその書状を受け取り、その中身を拝見した。その中身というのは、秀高に対して尾張統一を祝う文言と、それと同時に美濃と尾張の間に通商協定を結び、両国の商人の受け入れを盛んにしたいという申し出であった。
「…正利、この書状の他に義龍殿の使者は何か言って来たか?」
「はっ、利定殿の申すには、「この書状を以って両国の和平を誓いたい。」と申されたそうにございます。」
その言葉を正利から聞くと、秀高は下座に控えていた為景にこう言った。
「為景、もしこれが本当ならば、美濃と尾張の間に戦は当面起きないだろう。犬山城に留まる継意に守兵を残し、直ちに鳴海へ帰城せよと伝えてくれ。」
「ははっ。然らばすぐにでも。」
そう言うと為景は立ち上がり、早馬に秀高の命令を伝えるべくその場を後にした。その後、利定に向かって秀高はこう言った。
「利定、直ちに返書を認めるので、それを義龍殿に手渡してくれないか?内容は通商の件を認める旨と、両国の和平をこちらも願うという事を書かせる。」
「はっ。承知いたしました。」
その後、秀高はすぐに筆を取り、先ほど言った内容と同じことを書状に書くと、その書状を利定に手渡しした。これを受け取った利定は後日、配下を通じて美濃の斎藤義龍へとその書状を届けさせたのであった。
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こうして清洲城にて正利らを味方に加えた一行は、鳴海城へと引き返すべく正利ら三千余りを清洲城に残すと、残った軍勢を率いて進軍を開始した。
「あ、この辺りは…」
やがて一行が蟹江の辺りを過ぎたところにつくと、その風景を見て思い出した信頼がつぶやいた。
「秀高、ここって勝幡を出た後に留まった宿屋の辺りじゃないかな?」
「…そういえばそうだな。よし、全軍とまれ!いったんここで休む!」
そう言うと秀高は全軍に進軍を止めさせ、暫くその場で休ませた。そして秀高は義秀らを呼び寄せると、かつて止まった宿屋に赴いた。
「おや、いらっしゃいませ…って、あなた方は。」
と、その宿屋の主人は秀高たちの顔を見ると、どこか懐かしさが込みあがってきたのか秀高たちにこう言った。
「あなた方は、昔止まられたご一行ではありませぬか!とても立派な姿になられて…」
「お久しぶりです。覚えていましたか?」
と、秀高が主人にこう言うと、主人は微笑んで言葉を返した。
「もちろんです。あの独特な服装に雰囲気、たとえ変わられてもお顔がそのままですから覚えておりますとも。」
「ありがとうございます。あの時泊めてくれたおかげで、こうして立派な姿になれました。」
秀高がそう言うと主人は恐縮して、手を振りながら言葉を発した。
「滅相もございません。我らはお客として接しましたので、そのようなお言葉は恐れを多い限りです。」
「そうですか…そうだ、この裏の杉の木はまだありますか?」
と、秀高はかつて、大志を掲げて誓い合った宿の近くの小高い丘に立つ、一本の杉の木の事を主人に尋ねた。
「えぇ、ございますが…」
「?どうかしたんですか?」
と、信頼が主人の様子を見てこう尋ねると、主人はその杉の気に付いてこう言った。
「実はつい先日、その杉の木の近くの林の中に庵を構えたお方がおられまして…その方というのが——」
「…!?」
その後に出た言葉の内容を聞き、驚いた秀高たちは宿屋の主人に一礼してその場を去ると、静姫を連れてその庵へと向かって行った。
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「ごめん下さい!誰かいますか!」
その杉の木の近くの林の中にある、一件の庵の木戸の前で、秀高は中に呼びかけた。すると、その呼びかけに応じて人が出てきた。
「どちら様で…!!あなたは…」
「やはり…あなたでしたか。」
その秀高の目の前に立った人物こそ、この庵を立てた人物でもあった。その人物の名は木下藤吉郎。清洲落城の前、信長の棺と共に城外に出た人物であった。
「秀高殿、どうしてここがお分かりになったので?」
「宿屋の主人に聞きました。この目の前の杉の木は、俺たちが大志を誓い合った場所ですので。その事を尋ねたら…」
すると、藤吉郎は頭をかいてこう呟いた。
「まったく…あの主人に言わないように念を押しておいたのに…」
「それで藤吉郎…いや、藤吉郎さん。ここにあるのは…」
秀高が庵の中に入って藤吉郎にこの庵にある物を尋ねると、その庵の中から一人の姫が出てきた。
「何者ですか。ここは安易に踏み込んでいい場所ではありませんよ?」
「お、奥方!」
藤吉郎がその姫君の姿を見て奥方と呼ぶと、秀高たちはその姫君の前に進み出て、その前に膝を付いてこういった。
「私は尾張鳴海城主、高秀高です。織田信長公のご正室・帰蝶様ですか?」
その秀高の名乗りを聞いた姫君こと帰蝶は、その名前を聞いてこう言った。
「高秀高…あなたがそうなのですか。」
帰蝶はそう言うと、庵の襖を開け、秀高たちを招き入れた。
「入りなさい。最早ここまで来たのなら、会わせない訳にはいきません。」
「…お邪魔します。」
そう言うと秀高たちは藤吉郎や帰蝶と共にその中に入り、庵の中に入った。するとそこにあったものを見て、一同は驚いた。
「これは…棺…」
「はい。我が夫・織田信長の亡骸が収められた棺です。鳴海城で不慮の死を遂げた後、棺に移して葬儀まで清洲に納めてありましたが、いろいろあって葬儀を行うことはできず、こうして棺と共にここまで落ち延びてきたのです。」
帰蝶は棺の傍近くに座り、棺を見つめながら秀高にこう言った。
「秀高殿、あの鳴海の戦いで夫に何を言われたのかはわかりませんが、私にはずっと、秀高殿の才知や人望を褒め称え、そして夫の力にならないのが残念でならないと言っておりました。」
「帰蝶様、しかし俺は…!」
秀高がその帰蝶の言葉を聞いた上で言い返そうとすると、帰蝶は秀高の方を振り返ってこう諭した。
「秀高殿、夫は既に亡く、こうして亡骸になっています。その思想や大志を受け入れられなくても、それをぶつけるのではなく、憎しみを捨てて故人の冥福を祈るべきではありませんか?」
「…帰蝶さまの言う通りよ。」
と、帰蝶の言葉を聞いた上で静姫が秀高に話しかけた。
「もう尾張は私たちの物になったのよ?いつまでも信長に対して憎しみや嫌悪感を持つんじゃなくて、故人の冥福を祈るのも一つの恩情っていうものよ。」
「だが、静にとっては…」
静姫に秀高がこう言うと、静姫は首を振って否定した。
「私の事はもう良いのよ。恨みや憎しみはすべて、あんたが晴らしてくれたんだもの。だから信長の事を否定せずに、今は一人の人間として祈ってやるべきよ。」
「…そうか。分かった。」
静姫の言葉を聞くと、義秀らもそれに同意するように頷き、秀高の方を見つめた。すると秀高は、憑き物が落ちたように表情を柔らかくし、帰蝶にこう言った。
「帰蝶様、先程は申し訳ありませんでした。改めて、お祈りさせていただいてもいいですか?」
「えぇ。きっと夫も喜びます。どうぞ。」
帰蝶に促されるように秀高は焼香が置かれた経机の前に進むと、焼香を捧げて棺に向かって手を合わせた。それに合わせるように義秀たちや藤吉郎、それに帰蝶も同時に手を合わせた。
(信長…お前は俺を未熟だと言った。確かにそうかもしれない。だが、未熟でも俺は仲間たちと共に尾張を取った。お前が育った尾張を守り、そして尾張を足掛かりに天下を掴んで見せる!)
秀高は手を合わせながら、心の中でこう思った。それは今川義元を討ち、信長亡き後の尾張を手中に収めた秀高にとっては、信長への手向けともいうべき言葉であった。
こうして秀高は先君・山口教継が死去してから僅か十ヶ月余りで尾張一国を掌中に収め、戦国大名として名乗りを挙げた。しかしここからが、秀高にとって大名としてのスタート地点でもあり、一連の戦で荒れ果てた尾張を立て直す内政の日々に追われることになるのである。